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死んで終わり、じゃない


この夏、祖母の葬儀で帯広まで行った。山形から東京回りで北海道に向かった。未就学児4人を連れての大きな旅だった。

祖母との思い出はそれほど多くない。この度の訃報を聞いたとき、故人を偲んで涙を流すこともなかった。
葬式で「悲しいね」と語りかけてくる娘に、僕はどう返したらいいか分からなかった。自分が深く悲しんでいるとは、思えなかった。
そうだ、僕は元来薄情な人間だった、と気づく。

そんな僕ではあったが、葬式という場は多くのことを教えてくれた。
葬儀の終わりに、父と姉とが祖母との思い出を語った。また会食時には、献身的に祖母の世話をし続けた叔母が、「これから私は何をして生きていったらいいのか」と心情を吐露していた。
そうした血の通った言葉を聴きながら僕の心に迫ってきたのは、祖母という一人の人間が確かに生きていたこと、そしてこの地での歩みを終えて去っていったという事実だ。

確かに祖母との思い出はそれほど多くない。祖母は自己主張の強い人ではなく、その言動は特段人目を引くものではなかったかもしれない。
ただ、華々しい何かを残してはおらずとも、あるいは僕が祖母を思い出すことがそう多くはなかったとしても、祖母の人生があって父の人生があり、僕の人生もまた存在している。
祖母の人生は、僕の家族つまり僕の子どもたちにも確かにつながっている。

きっと、人の人生とはそのようなものなのだ。親類関係に限らない。有名無名を問わず、思い出されるかどうかにもよらず、それでも数々の人の生のつらなりの上に、僕自身の人生が存在している。
そしてこの人生もまた、僕が望もうと望むまいと、あるいは名を残す残さないに関わらず、これからを生きる誰かの人生の一部となる。

「人間死んだら終わり」という発想は、「私」という個人の単位でしか人生を見ないときに出てくるものなのだろう。
死んでも命は続く。空想でも気休めでもない。本当のことだ。


今回遠路ということもあり、「家族を連れては行けないだろう」というのが当初の正直な思いだった。生前、祖母と我が子とのあいだに直接の接点はなかったに等しい。
けれど結果、僕は家族と共に行くことになった。そして振り返ってみると、今の家族とともに葬儀に参列できたことは大きな意味のあることだった。
なぜなら、僕にとって今回の葬式が、命のつらなりを知らしめられる機会となったからだ。
それはつまり、去りゆく人に「さよなら」と「ありがとう」を伝える場に、これからを生きる世代とともに参加できた、ということである。
きっと、いのちを見送るということは、いのちを受け継ぐということなのだ。

一人で行こうかと考えあぐねていた僕の背中を押して「一緒に行こう」と言ってくれた妻に感謝したい。また行き帰り、同じ飛行機とバスに乗って旅をリードしてくれた姉夫婦には頭が上がらない。総勢13人、未就学児7人という「集団」は、はたから見て保育園の遠足行事さながらだったろうと思う(実際は二家庭に過ぎないのだが)。周りに大いに迷惑もかけた。申し訳なくも、有り難い旅だった。

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