縄文と『古事記』<中・テックとフェミの失われた30年>(『古事記』通読㉓ver.1.4)
前回、『古事記』のジェンダーが、縄文土器にも見られることを明らかにしましたが、今回は、そのような日本のヴァナキュラー(土着的・本来的)なジェンダーが失われてしまったことの現代的な影響について書いてみたいと思います。
I.
■はじめに(ヴァナキュラーな未来は可能か?)
「父なる天と母なる大地」は、西洋や中国などに広く見られるヴァナキュラーなジェンダー(土着的・本来的な男女観)ですが、日本もそうだったと思い込んでしまったことが原因で生じてしまった日本フェミニズム史上の一大事件(論争)があります。
その帰結は、日本のIT化が遅れてしまったことと密接な関係があり、失われた30年の遠因とも言えるのではないかと思っています。
『古事記』の冒頭神話には、その理想とする国家像が、ジェンダーと絡めて記述されています。その国家像は当時の激変する国家情勢の中で日本という国家のアイデンティティを対外的に謳(うた)い上げた『日本書紀』の律令国家モデルとは別のものでした。
『古事記』は揺らいでいるものの永続性を願って書かれ、『日本書紀』は揺らぐ古来の価値観を否定し揺らがぬ新たな国家像を書いたのでした。
現代は近代の国家モデルが揺らいでいる時代であり、同時にこれまでのジェンダー観も揺らいでいる点で、構造上は『古事記』が編纂された時期の時代背景とよく似ています。ただし揺らいでいるのは真逆であり、今揺らいでいるのは『日本書紀』に始まる中央集権的・国民国家的な国家/ジェンダー観です。
2010年代半ば以降、フェミニズムもIT化も世界的には新しい段階に入っているのですが、日本経済は、2010年に「失われた20年」を更新し、2020年に入って、ちょうど「失われた30年」を過ぎたところで新型コロナ禍に見舞われ、今も五里霧中の状態です。またフェミニズムも混乱気味です。
長期化した経済低迷は、IT化が近代の三大構成要素の一つである産業革命(あとの2つは宗教改革と市民革命)以来の大変革なのにもかかわらず、単なるIT投資の多寡の問題と捉えられ、揺らぐ近代の次の国家像をどうするかに基づくバックキャスト(あるべき将来のビジョンから逆算して直近の計画を立てること)のIT化ができていない事が影響しています。
なぜそうなってしまったのかを歴史的に遡れば、その起点に前述のフェミニズム論争を置くことができます。現代の日本もまた、国のかたちとジェンダーとを不可分に見ることが可能です。
揺らぐ近代の向こうに前近代を見ようとすれば、それは懐古趣味であり後進的な思想となりますが、幸いにして『古事記』の国家像は未遂に終わっています。未完の大作を新作のヒントにするのは後進的ではないはずです。
米国は、揺らぐ近代の次の国家像を描くために、過去の洗い直しをはじめています。日本のヴァナキュラーなジェンダーである「縄文土器~『古事記』のジェンダー」を現代に接続させることで、日本もヴァナキュラーな未来を見つけることができるかもしれません。
そのように考えてこそ、今というタイミングで『古事記』の冒頭神話を読み解く意義があるのであり、また、そうでなければ、神世七代の後五代の男女対の神々が描く、国の雛形(=『古事記』の理想とする国のかたち)を私たちが受け取ることは難しいと思われます。
そのため、縄文土器に独神(ひとりがみ)を見る<上>の話と、神世七代の後五代の男女組みの神々を見る<下>の話のあいだの挿話として、ここに、現代の視点で縄文土器~『古事記』のジェンダーを見てみようと<中>の話を書くことに致しました。
■古事記とジェンダーと国のかたちと
「失われた30年」という、1990年のバブル崩壊から今日までの日本経済の低迷を表すおなじみの言葉があります。
当初は、バブルの反動による一時的な株価下落と思われていたものが、いつの間にか「失われた10年」と呼ばれるようになり(1990年代)、それが「失われた20年」(~2000年代)に延長され、とうとう「失われた30年」(~2010年代)を超えました。
その時々の節目には総括的に原因分析がなされ、経済回復への足掛かりが模索されましたが、「失われた30年」の総括がきちんとされないままに新型コロナ禍がやってきて、日本経済はいっそう混迷の度合いを増しています。
経済成長で見ると、日本は世界に取り残されたかのようですが、ちょっと前に「課題先進国」という言葉が流行ったように、少子高齢化やエネルギー問題や環境問題など日本の課題は他国に先駆けて先鋭化している面もあります。ぶっちゃけ、世界中で近代国家がその矛盾で揺らいでいるわけです。
日本の場合、『日本書紀』が謳(うた)いあげた律令国家から積み上げてきた国家像が揺らいでいるわけで、だとすれば、その国家像の実現を懸念して書かれたと言われる『古事記』の国家像(「通読⑯」注釈)に、揺らぐ近代への処方箋のヒントを見出すことができるかもしれません。
なんて書くと、過去に逃げる退行主義か、あるいは新手のナショナル原理主義に思われるかもしれませんが、そういうことではないのです。
プログラムにバグが見つかった時に、ソースコードを調べてバグの箇所を見つけ出して修正するように、近代に不具合が見つかったら、遡ってその不具合の始まりの箇所を特定しないと修正の見当もつけられません。
今は、近代国家が揺らいでいるわけですから、『古事記』が理想と考えた国のかたちを探るには、ちょうどいいタイミングです。
『古事記』冒頭の神話は、「国のかたち」がジェンダーに絡めて書かれています。そして、現代の男女観とは違うその独特なジェンダー観は、縄文時代から連なっているものであることが、一部の縄文土器から分かります。↓
当時の最先端のテクノロジーであった縄文土器に示されたジェンダー、それが『古事記』によって国のかたちにつながっていきます。
ハイテクとジェンダーと国のかたちの揺らぎというのは、現代日本でも密接な関係があるように思います。それをこれから書いていきたいと思います。
■失われた30年を振り返る
1990年のバブル崩壊からの最初の10年=「失われた10年」について、当初の分析では、その原因は景気低迷の主因は担保制約(註釈↓)によって、もともとあった日本の「労働投入のゆがみ」の影響が拡大したこととされていました(※)。
「労働投入のゆがみ」とは、景気悪化のために需要が高級品から格安品に移っても、高級品を生産している企業は急には労働者を削減できないし、格安品を生産している企業も労働者を急には増やせないために、国全体では一人あたりの労働生産性が悪化してしまうことを指しています。
「労働投入のゆがみ」の是正には、企業は労働者を解雇しやすく、労働者は転職しやくなるようにすれば良いのですが、それには解雇時のセイフティーネットが重要です。ところが、日本では長らく解雇や転職が悪とされていたため、制度や社会に解雇時のセーフティーネットが手薄です。
このような状態下で非正規雇用者を増やすことをこの問題の主要な処方箋としたために、後に新たな格差問題を引き起こす一因となってしまいました。
正社員割合を低くする際のセーフティーネットに関する議論や施策はそれほど活発化せず、その帰結として、非正規雇用者が大幅に増えても経済低迷は続きます。
長引く経済低迷の本質的な原因は労働の流動性とは別に求められ、「失われた20年」と呼ばれるようになったころには、日本はIT化の波に乗り遅れたために長期経済低迷におちいったのだという総括が出されました。
ところが、「失われた20年」はさらに「失われた30年」へと延長されることになります。
IT化の波に乗ることが、産業革命以来の大きな社会変革を意味するものであるのに、単にIT投資が足りないみたいな話に「すり替わってしまっていた」のです。処方箋がすり替わってしまえば、対処法がずれてしまい、効き目がないのは当然です。20年が30年になったのは必然だったと思います。
■なぜIT化は矮小化されたのか
「失われた30年」(1990~2010年代)は、世界のIT化が進んだ時代と重なります。インターネットの商用化は1989年(日本は1992年)に開始されています。
以降、IT化の波はすべての産業に押し寄せましたが、日本では、社会全体としての方向性の模索や議論はあまりされず、IT化は、個々の企業の個別の努力に任せられました。
市場経済ではそれが当たり前に思われるかもしれませんが、米国では当初から業界横断的にIT普及後の将来の社会像が描かれ、そこから演繹的に必要な技術が導き出されて、それを開発し普及させるというバックキャストな推進体制が取られていました。
商用データをインターネットでやり取りするための拡張言語であるXMLやネットショッピングを安心して楽しむための認証制度などは、そうした問題意識を持ったコンソーシアムで開発が着手されたものです。
少なくとも日本では、社会の関心はユーザーとしての視座に集中していましたし、企業や政府の関心も技術の導入と展開、普及に集中していました。
IT化の波に乗ることの意義や本質についての前提抜きで、効率的な投資を個々の企業に任せると、市場原理は社会全体では合成の誤謬という非効率を招いてしまいます。個人や企業の先進的な取り組みが、有機的に統合しないので経済を推進していくエンジンに至らないのです。
インターネット黎明期には、日本が世界の最先端を走っているものが数多くありました。
例えば、Yahoo!(1994年設立)で有名になる「ポータル」の概念をいち早く形にしてサービス提供していたのは、当時NTTの研究所に在籍していた坂本仁明さんとその賛同者でした(1993年~・「日本の新着情報」)。
また、日本初のSNSは当時東大生産研の舘村純一氏のcinemascape(2003年〜)なのですが、Facebookが「いいねボタン」を実装(2010年)するより7年も早く「気に入った!」ボタンや、先進的なレコメンド機能を実装していました。cinemascapeは今もほぼ当時のままの姿でサービスを継続していますから、約20年前にもうこれが出来ていたのかという驚きを直に確かめることができます。
まだまだあります。ビットコインのような仮想通貨の基幹技術として一般にも知られるようになったブロックチェーンは、P2Pネットワークと分散ファイルシステムを技術の要としていますが、これは基本的にはWinnyの技術と同じです。Winnyを開発した金子勇氏は、その開発が「著作権法違反幇助」であるとして2004年に逮捕、起訴されました。2011年の末には最高裁で無罪が確定しましたが、判決から何年もたたない2013年に、42歳の若さで心筋梗塞で亡くなっています。
そして、仮想通貨といえば電子マネーの基礎研究はNTTの研究所に在籍していたデビット・チャウムが…(以下略)と、枚挙にいとまがありません。それでいて、どれもが単発の要素で終わり、大きなうねりを起こすには至りませんでした。
日本は、技術的なコンソーシアムでは初期から大きな貢献をして世界のITの発展の一翼を担っていたのですが、それとは対照的に社会設計的な意識にもとづいた活動は国内的な盛り上がりをそれほどは得られず、やがて米国のITが離陸の段階に入って、米国でも社会設計的なコンソーシアムは使命を終え、GAFAの時代に入っていきます。
結局、日本では、社会設計的な思想とビジネスとITとは三位一体の関係を築けなかったんですね。こうして、気がつくとIT化の波に乗ることが、単にIT投資が足りないみたいな話に「すり替わって」しまったのです。
私は、この「すり替わり」には、2つの要素にからんだ1つの原因があると思っています。
II.
■すり替わりの2つの要因
要素の1つめは、問題の射程がとても長いこと。
IT化の波に乗ることは、産業革命以来の大きな社会変革を意味すると書きましたが、産業革命は、宗教改革、市民革命と並ぶ近代社会の成立要件の1つです。
つまり、産業革命が更新されるということは、近代が更新されるという世界史的な重大事です。
前回に書きましたように、日本ではいつ中世が始まったかの認識が厳密で無く、逆に近代は黒船来航によって唐突にもたらされたものですから、新しい時代の開闢を世界と同期して体験できるというのは、日本史上、飛鳥以来、つまりは建国以来のビッグイベントです。
こんなスケールの問題は、ビジネスマンの手には負えないと考えがちです。アメリカなんかだと、EVの会社が社名にテスラなんて付けてしまうように、文明を変えてやるぜって気概は経営者にわりと当たり前だったりします(ニコラ・テスラとトーマス・エジソンの闘いは最近ハリウッド映画にもなりました(エジソンvsウエスティングハウスwithテスラな映画です)。一般に共有されている意識としても、ビジネスと娯楽と歴史を変える大発明とが、割りと近い関係にあるように思います)。
また、アカデミズムでも、最近は文明史的な発想でビッグピクチャーを描くことは不誠実だと見なされるために、蛮勇を奮う知識人は少数です。和製ヴェーバーのようなスケールの知識人が今から出てきて今日流のテーマを追求しても、学者としてどこまで評価されるか疑問です(評論家か思想家としてカリスマになるとは思いますが)。
産学官とも、まるで細かいレギュレーションに沿って舗装されたサーキットを高速で走るF1マシンのように精緻化の方向での進化を追求してきたために、これからはラリーだ、未踏の山を越えろと言われても困るというのは分かります。
要素の2つめは、欧米が持っていて、我々が一般には持っていない方法論があることです。
現代芸術家の村上隆氏が、自分の作品がなぜオークションで1億円以上もの価格が付けられるのかについて、「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」と種明かしをしています(『芸術起業論』2006年・幻冬舎)。モデラーがアニメを3D化すれば、フィギュアと呼ばれて数千円~数万円の商品になるけれども、村上氏が二次元的意匠の3D作品を製作すれば、現代アートと呼ばれて数億円で取引きされるのです。これは、村上氏が自分の作品を欧州の文脈で紹介することに力を注いでいるからだそうです。
IT化で問われているのは、新しい国のかたちです。それは、自由主義陣営か共産(独裁)主義陣営かという単純な二分法ですむような話ではありません。
また、諸々のテック(X-tech)を総合した姿であるSociety5.0(政府が唱導しています)のような、帰納法的に描けるものでもありません(だからSociety5.0はCountry5.0やNation5.0とはネーミングされていないのでしょう)。
近代という時代は欧米発の時代ですから、この寿命の尽きかけた近代をどう超克していくのかに対する日本ならではの肚の底からの解答を、欧米諸国にメリットのある形で、しかも彼・彼女らに生体拒絶反応を起こさせないように、彼・彼女らの文脈に沿った言葉で示さないといけないわけです
(『日本書紀』は、当時の東アジア世界に対して同様のことを、「<日本ならでは>を放棄して」行うことが編纂動機だったために、『古事記』が危機感をもって書かれたのだと思います)。
近現代での彼・彼女らの文脈というのは、ぶっちゃけて言えばキリスト教史ないし近代思想史の文脈です。産業革命も宗教改革を経て成立しています。
実際、インターネットを爆発的に普及させた立役者であるWebの開発には、発明者であるティム・バーナーズ・リーのユニテリアン(プロテスタントの一派、長くなるので詳細略)としての思想が背景にあったことが公表されていますし(Tim Berners-Lee The World Wide Web and the "Web of Life" 1998)、シンギュラリティという言葉を有名にした現Google(アルファベット)のAIチームトップのレイ・カーツワイルの著作『シンギュラリティは近い』(邦題:ポストヒューマン誕生・2007年・NHK出版)が、ユニテリアン教会の思い出から書き始められているのも偶然の一致ではないと思います。
後述しますが、コンピュータどうしをネットワークでつなぐインターネットの発想そのものが、カソリックの元神父イヴァン・イリイチの思想を元にしています。
などと書くと、スティーブ・ジョブズは禅に傾倒していたぞ、禅は鎌倉仏教ではないのか。そもそもIT業界の大物はピーター・ティールをはじめ無神論者の方が多いはずだぞ。などと疑問に思うかもしれません。
ただ、欧米の無神論者や禅愛好者は、キリスト教の文脈を共有した上での無神論者や禅愛好者なんですね(極端な例として、ミュージシャンの故レナード・コーエンはユダヤ教徒かつ禅宗の僧侶です。彼の最晩年の作品"You want it darker" は一神教と禅宗の融合を思わせる名曲です)。だからこそ、リチャード・ドーキンスのように無神論者のキリスト教への批判が苛烈になる側面もあるわけです。敵が見えていてパンチを繰り出しているわけですから。
さて、先ほど「すり替わり」には、2つの要素にからんだ1つの原因があると書きました。それは、1980年代の日本が、ITを近代を乗り越えていくツールとして考える契機を逸してしまったことだと考えています。
■エコフェミ論争という特異点
かつて、1980年代に、青木やよひ氏と上野千鶴子氏との間に、今でも語り継がれるほどのフェミニズムについての激しい論争がありました(後に「エコフェミ論争」と呼ばれるようになったものです)。
フェミニズムになじみの無い人のために、ここで世界と日本のフェミニズムの歴史をざっと振り返ってみます。
上野氏と青木氏との論争は、ちょうど第二波フェミニズムが落ち着き、第三波フェミニズムが始まる前の、はざまの時代に行われました。
上野氏は、日本における第二波フェミニストの代表的な存在の一人であり、フェミニスト=女性解放運動家であるとの認識のもとに、自身の立ち位置を明確にしている運動家でもあります(参考:「古市くん、社会学を学び直しなさい!!」(光文社新書・2016年))。
青木氏は、「現代の社会的枠組みの中で男女の「完全平等」を求める女性解放運動よりも、よりラディカルな地平をめざし」「近代の欺瞞と産業社会の矛盾を明るみに出そうとしている」フェミニストです。(参考:「シリーズ・プラグを抜く3『フェミニズムの宇宙』」(新評論、p.244、1983年)
論争の発端は、青木氏が1983年に発表した「女性性と身体のエコロジー」という論考でした(前掲書所収)。
青木氏は、女性性は、時代や地域によって変わる「女らしさ」とは全く異なる「天なる父と母なる大地」という宇宙観が息づいた「野生の思考」に支えられたものであるとし、日本における女性蔑視の背景に、儒教道徳と一体化した家父長制的近代産業社会体制を見ました。
青木氏のフェミニズムの根本は「母なる大地」なんです!
近代は「野生の思考」を奪う存在ですから、女性性も近代によって毀損される存在です。近代産業社会は、また、公害を生み出し自然を破壊するものですから、近代批判において、エコロジーとフェミニズムは同時に達成されるというのが青木氏の主張です。
■トリッキーな反論
これに対し、上野氏は、いささかトリッキーな反論を行います。
青木氏をイリイチ派のフェミニストと|見做≪みな≫し、青木氏よりもイリイチの思想を叩き、同時にイリイチ賛同者を根絶やしにして、未来にもイリイチ賛同者が現れないよう苛烈な批判を開始したのです。
上野氏の反論の皮切りとなった「女は世界を救えるか?」(1985年・『現代思想』vol.13-1所収)では、イリイチの誤りを分かって支持している者の狡知は許しがたいし、誤りに気付かないで賛同しているならその無知は救いがたいとまで書いて(前掲書p.82)イリイチの賛同者の立場を無くす論陣を張っていましたので、上野氏の反論は、批判というよりは面罵に近いものだと当時の私は思いました。
■排除の理由
さて、上野氏が批判したイリイチの思想は、どのようなものだったのでしょうか。社会学者の宮台真司氏のインタビュー記事(コイトゥス再考 #24「泥沼のマスキュリニティ」)に言及されたこの論争の概括を軸に、イリイチの著作(『シャドウワーク』、『ジェンダー』、『生きる思想』)を参考に、私なりにまとめてみます。
イリイチは、男女差別について論考するにあたり、「男女は「同じヒト」なのに社会的扱いが異なるのは不公正だ」という問題意識そのものにメスを入れました。
「同じヒト」という発想は、近代資本主義が仮定する、人間を交換可能な労働力と見なす発想=中性的な経済人(ジェンダーなき個人)の仮定がひそんでいます。
人類史のスケールで考えれば、近代よりはるかに長い何万年という期間にわたる原初的社会では、男女が「同じヒト」であるという発想はありませんでした。あったのは、男には男の人間としての、女には女の人間としてのそれぞれ独自のコスモロジー(聖なる意味世界)です。
それらは相互補完の関係にあって、どちらが主でどちらが従であるといった主従関係や優劣はありません。これをイリイチは、ヴァナキュラーなジェンダーとよびました(『ジェンダー』1984年・岩波書店)。ヴァナキュラーとは土着的とか伝統的といった意味です。
男女差別を根本的に解消するには、中性的な経済人を保証する、男女が「同じヒト」であるという発想に乗っかって「同じヒトとして同様に扱え」と主張するのではなく、ヴァナキュラーなジェンダーを取り戻す(=男女の優劣や主従関係ではない伝統的な男女の役割が社会に自然にある状態にする)ことが大切だと考えたのです。
「同じヒトとして同様に扱え」という主張は、結局は女性を疑似男性(産業社会にビルトインされた労働者として取り替え可能な顔のない男どものような人間)化してしまうのではないか。そうであれば、女性解放闘争の戦利品は不幸なものに終わってしまうために、男女の区別(男女別々のコスモロジー)を大切にしようというのが、上野氏が看過できなかったイリイチの主張であり、イリイチと青木氏の共通点です。
上野氏は、青木氏の背景にイリイチを設定し、青木氏への反論という機会を活かしてイリイチの思想とその賛同者および類似の思考を持つ人々を社会的に一掃しようとしたのですが、当時まだ大学生にもなっておらず知力の足りていなかった私は、なぜ上野氏がこのような特異で徹底した攻撃スタイルを取ったのか理解できませんでした。が、後年、上述の宮台氏のインタビュー記事を読んでようやくその理由を理解することができました。
宮台氏の分析は明瞭です。社会における男性優位の構造の解消は大変困難なのが現実であるという事実を踏まえれば、男女差別撤廃のためには社会的な男女区別的な扱いをなくすという戦略を取らざるをえません。伝統の名のもとに隠蔽される男女差別の許容につながると思われるイリイチ的な主張は、男女の価値序列の解消実現に向けて戦い一定の成果を上げてきたフェミニズムにとっては利敵行為以外の何ものでもないと一蹴したのです。
なるほど、上野氏は、フェミニズムの活動家として、思想家イリイチを戦略的に完全に葬り去る必要があったというわけです。
論争は、上野氏の圧勝に終わりました。
以降、日本では、イリイチに賛同する者は女の敵であるという社会認識が生まれてしまいました。(帰結として当然ですよね)
これで、当時、『脱学校の社会』(1977年・東京創元社)や『脱病院化社会』(1979年・晶文社)など近代社会の歪みに対して根本的な問題提議を行って盛り上がっていたイリイチブームは、冷や水を浴びせられた状況になり急速に萎(しぼ)んでいきました(と記憶しています)。
上野氏の圧倒的勝利は、しかし、フェミニズム以外の分野で、知られざる副反応を引き起こすことになります。
III.
■ITの初発の思想
上野氏ー青木氏のエコフェミ論争は、偶然にも、IT時代の始まりの直前に勃発したものでした。
そして、日本では知る人ぞ知るなんですけど、イリイチは、海外ではインターネットテクノロジー(IT)の発想の元祖として知られていたのです。
が、既に、思想家としてのイリイチを語ることは、女性蔑視の賛同者であるという風潮が定着してしまっていたために、当時の日本ではまだ多くは語られていなかったイリイチのITの思想的源泉としての側面が顧みられる機会は失われてしまっていました。
1990年代、私は就職して某IT企業(当時はITという呼び方は一般的ではなかったですが)で黎明期のインターネット業務に携わっていたのですが、Wired誌や別冊bitなんかが好まれるわりと技術と思想系をからめた話が好きな界隈(オフラインとオンライン≒NetNews)でもイリイチは無視みたいな空気感があったのを覚えています。
上野氏が取った戦法が、イリイチのジェンダー論ではなく、そのようなジェンダー論を発想するイリイチという思想家の存在と、それに類する発想を持つ人々を壊滅させることだったために、その圧倒的勝利の当然の帰結として、イリイチに触れること自体がタブー視ないしは時代遅れという風潮ができてしまっていたのです。
インターネットというのは、要はスマホも含めたコンピューターがネットワークで相互に繫がっているコミュニケーションツールなのですが、集合知(みんなの意見は案外正しい)という言葉に象徴されるように、専門家や権威による情報管理を否定するインフラでもあります。
その端緒を拓いたのがイリイチでした。
イリイチは、科学上の発見には2つの相反する利用の仕方があるといいます(『コンヴィヴィアリティの道具』(日本エディタースクール出版部/ちくま学芸文庫)。
ひとつは「機能の専門化と価値の制度化と権力の集中をもたらし、人々を官僚制と機械の付属物に変えてしまう」ものです。
もうひとつは「それぞれの人間の能力と管理と自発性の範囲を拡大する。そしてその(拡大された)範囲は、他の個人の同じ範囲での機能と自由の要求によってのみ制限される」ものです。
そして、「現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私はコンヴィヴィアル(自立共生的)と呼びたい。」として、そのような社会を可能にするようなツールの概念「コンヴィヴィアリティの道具」を提唱します。
このイリイチの思想に傾倒し、「コンヴィヴィアリティの道具」をパーソナルなコンピュータのネットワークシステムによって実現しようとした、スチュワート・ブラント、フレッド・ムーア、リー・フェルゼンスタインなどの初期ホワイトハッカー達の取り組みによって、IT革命は最初の一歩を踏み出しました。
イリイチがいなければ、今日のインターネット社会はまだ到来していなかったか、最初から現在の中国政府の取り組みのように個人への管理目的で発展していたかもしれないのです。
イリイチがタブーとなっていた日本では、インターネットブームは、表層的な技術の輸入で終始することを運命づけられました。
日本企業も技術者も、インターネットが何たるかを思想面で理解することがあらかじめ知的好奇心の向く先から除外されてしまったために、海の向こうの次の一手を読むことは難しくなりました。
もちろん何人かの個人はそうではなかったのですが(私も当時の上司や協業先含め何人かお会いしています)、社会的な関心の方向性がそうでなければ資金力のあるオーナー企業でも無い限り、企業としての追求はほぼ無理です。
そのため、日本は技術的には先進的なものを多く持っていたにもかかわらず、ビジネスにおいて常に後手となり、30年前に時価総額世界一位だったNTTをはじめ多くの企業が低成長となり、その後手を「タイムマシン経営」(日本にとって海外は常に未来なので、海外の成功事例に注目することはタイムマシンで未来に行くようなものだから、確度の高い経営ができるとする経営手法のこと)として企業戦略の根幹に位置づけた孫正義氏のソフトバンクが今日では時価総額でNTTを上回っています(2021年7月現在)。
プラットフォームを巡る争いとなったIT時代のビジネスは、競馬に似ています。ビジネスも賭博も、勝負師以上に胴元が儲かるのは当たり前ですし、勝てる勝負師の周りには屍累々は当たり前です。まして、馬は勝負の最前線にいても勝負の全体像を知るすべもなく、知ったところでトップ目指して必死に走る以外の選択肢はありません。
GAFAにプラットフォームを完全に牛耳られてしまった今日を思うにつれ、思想的な熱狂からIT革命をスタートした米国との差を思わずにはいられません。
今は、画面のあるデバイスが主戦場だったIT化の第一ラウンドは終了しつつあります。エネルギーやビークル、スマートシティ、個々人の生活などが主戦場となる第二ラウンドたるDX化では、プラットフォーマーの顔ぶれもガラッと変わるかもしれません。日本が仕切り直しを図るには、今はタイミングだと思います。
とはいえ、仕切り直しをする際に、過去を無視して学ばなければ、失敗を繰り返すだけです。イリイチの話をもう少し続けます。
■近代のデバッガー
イリイチの思想が、ハッカー達をとりこにしたのは、「コンヴィヴィアリティの道具」というビジョンが優れていたこともそうですが、その発想が、デバッグに似ていたからだったのではないかと私は思っています。デバッグとは、プログラム上のミスや脆弱点を見つけ出してそれを修正することです。
上野氏はイリイチの思想を近代批判と読み、その「脱近代衝動」は無責任だと切って捨てたわけですが、当時、IT業界に籍を置いていた私の目からは、イリイチが行っていたのは近代のデバッグだったように見えました(もちろん、論争のあった学生の時にはそうは思っていませんでしたが)。
『ジェンダー』にせよ『脱学校の社会』にせよ『脱病院化社会』にせよ、イリイチが現代社会の歪みを指摘するときに取るスタイルは、「どこから間違えたのか」を指摘することだからです。
イリイチはこのようなとき、歴史家を自称するのですが、問題が起こったその時点から探究結果を書き起こします。通常の歴史家のように、問題が起こった時点の前の時代を広く記述し、大過去を背景としてプロローグのように書き始めるようなことはしません。これは、イリイチが歴史をコードを読むように読んでいることを示しているように思います。バグを発見したとき、バグフィクス(バグの修正)に重要なのは、コードを最小に書き換えるには、どこからはじめるのがよいかを見つけ出すことです。
近代批判が目的ならば、近代全体を近代以前と比較して批判すればよいのですが、イリイチはそのような大雑把な比較をしてはいません。上野氏の見立てとは違って、イリイチは近代の否定者なのではなく、近代のバグが嫌いだったのだと思います。
イリイチは、もともとは解放の神学(※)の神父でした。歴史が前に進むことを嫌うプロのキリスト者などあり得ません。日本の知識人の多くはキリスト教の理解に疎いために欧米の思想を誤解することがままあるのですが(しかもイリイチはカソリックだったからか、プロテスタントの米国人からも誤解されやすいというおまけ付き)、上野氏は元キリスト者なのになぜキリスト者の心情に思いが至らなかったのだろうと疑問に思います。
ただし、プログラムと違って、歴史のバグは見つけても容易にバグフィクスができるわけではありません。イリイチは、デバッガーとしてバグのありかをソースコード(歴史)に見つけ、バグをフィクスする新しいコードの要旨を『コンヴィヴィアリティの道具』として書き残しても、それが社会にパッチとして実装されるには、多くの人々の手が必要であり、時間もまたかかります。
恐らく、そのタイムラグにより、上野氏はイリイチを反近代主義者と見なしてしまったのではないかと私は考えています。
■日本のヴァナキュラーなジェンダーとIT新時代
さて、前回「縄文と『古事記』のジェンダー<上>」で示したように、縄文土器が示す日本のヴァナキュラーなジェンダーは、天なる父と母なる大地といったものではありませんでした。
男と女は天と地とに棲み分けるどころかひとつの土器に表象を共にし、機能においてのみ片方の性別が起動するというものでした(赤彩注口土器)。
(写真出典:JOMON ARCHIVES )
『古事記』冒頭の創世神話は、女神であり、男神でもあり、そのどちらでもあり、恐らくそのどちらでもない場合もある「独神(ひとりがみ)」から始まり、赤彩注口土器と同様に機能においてのみ性別を有しそのものの性別を意味しない宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)を経て、男女対の神々に引き継がれるという構成を取っています。
近代的な男女の別とは異次元の立ち位置にあるのが、我々日本のヴァナキュラーなジェンダーなのです。
エコフェミ論争をひるがえってみれば、上野氏が指弾した男女区分の温存は、欧米での文脈におけるヴァナキュラーなジェンダーなのであり、日本でのヴァナキュラーなジェンダーは、男女区分の無意味さを示すものです。
日本のヴァナキュラーなジェンダーを踏まえていれば、そもそも、上野氏と青木氏は争う必要がなかったのです。
もしエコフェミ論争がなければ、日本でもイリイチのITに繫がる思想が広く知られていたかもしれないと思うと大変に残念な気がします。
青木氏やイリイチの女性蔑視の背景に近代産業社会を見る視点は、縄文土器~『古事記』の冒頭神話に見られるような日本のヴァナキュラーなジェンダーを経由すれば、そのまま、LGBTQをはじめ社会の様々なマイノリティ問題を抱える人たちとの積極的な連携を意識した第三波フェミニズム(1990年代〜2000年代)の視点に重なります。
日本のヴァナキュラーなジェンダーには、男女の別を前提とした視座からの性的マイノリティを見る視点(LGBTQもそうです。だからノンバイナリーを告白した宇多田ヒカル氏も、クイアに一括りにされてしまうことには違和感があると表明したのだと思います)が存在せず、独神(ひとりがみ=ノンバイナリー)を起点として男女の別の方を派生事例とするからです。
エコフェミ論争のあとのフェミニズムは、もっと海外と歩調をあわせるような歩みを進めていたかもしれません。
また、今日の第四波フェミニストは、人間の能力と管理と自発性の範囲を拡大するツールとしてITを駆使し、政治的に相互に結びついた個人として社会を変革しようとしており、それはまさにイリイチが提唱した「コンヴィヴィアリティ」の実践と言えます。
第四波フェミニズムから見えてくるのは、もうエコフェミ論争の帰結であったイリイチ排除ドミノを憂う必要がなくなったという朗報(イリイチファンにとっては悲報!?)です。
今やドミノ倒れは終わっているからです。
インターネットの商用化からGAFAの席巻まで(1990年代~2010年代半ば頃)は、イリイチ排除ドミノによってITの思想的探求が日本でなされなかったことの社会経済的な機会損失が大きかったように思います
1990年代~2010年代半ば頃のIT化は、商業(サプライチェーン全体、消費者はその末端でエンドユーザーと呼ばれます)のネット対応を目的としたもので、ネットへの出入口はパソコンやスマホ、タブレットなどスクリーン付きデバイスが主体です。これを私は、IT化の第一段階=スクリーン段階と呼んでいます。
ITの思想的探求からバックキャストで社会設計を行い完成させていく時代は、その初期の目的の大まかな達成により終焉し、ITを意識せずに個別の目的を思考し、その達成手段としてテクノロジーを効果的に活かしていく時代に移ってきているようです。
2015年頃から、X-techという言葉が登場します。対象×テックで、金融ならフィンテック(フィナンシャル・テック)、教育ならエデュテック(エデュケーション・テック)、健康問題ならヘルステック、女性の悩みならフェムテックなど、課題に対してテクノロジーでの解決・緩和を目指すものです。ネット接続は当たり前(IoT)であるため、特にそれが強調されたりはしません。時計型デバイスや自動車、あるいは医療機器など特定の目的に特化したデバイスが主体です。IT化は第二段階=生活改変段階に入っています。「コンヴィヴィアリティ」は汎用化し、同時に個別化したのです。
イリイチに遡らなくても、現実を切り取れば、そこに「コンヴィヴィアリティ」があります。そして、独裁とITとの相性の良さや、コロナ対策が見せてくれたプライバシー厳守によるIT管理の良き側面の引き出し方などが、牧歌的な初期のコンヴィヴィアリティの道具の時代の終わりを示しています。
■失われた40年は無い
おそらく、次の「失われた40年」という言葉は無いと思います。これは経済回復の予言ではなく、仮にあと10年経済回復しなくても「失われた40年」とは呼ばれないのではないかとの予測です。
「失われた30年」が始まった30年前と言えば、今の40代のほとんどがまだ社会人になっていません。現在50代以上でなければ、失われる前の日本の経済状態がどうだったかは記憶にないはずで、「失われた」という実感がない人たちが、これからの日本社会の中心を担っていくことになるからです。
今後のいっそうの少子高齢化の進展に伴って、経済低迷はいっそう酷くなるという見方もあります。
出典:国土交通白書2013
人口減が必須なら経済低迷も不可避だよね、みんなで平等に貧しくなればいいよね、的な衰退を肯定する主張が一部の知識人から出されて一定の支持を得ています。
未来の貧困をよきものと捉えるのは、三丁目の夕日的なノスタルジー消費としての貧困であって、現実の貧困を舐めているとしか思えません。
ましてやそれを高度経済成長期やバブル経済を謳歌した世代が言うのは、先行逃げ切りというか、あとは野となれ山となれというか、子育て世代の私としてはとても容認できるものではありません。
せっかくイリイチ排除ドミノが終焉して第二ラウンドが始まっているのですから、このタイミングを、日本のヴァナキュラーを考慮した新しい国のかたちを作っていく機会に活かしたいものです。
新しい時代の国はどうあるべきかをめぐって、創世神話のまるきり違う『古事記』と『日本書紀』の二冊もの日本歴史の総括本を作ってしまった先人のエネルギーは、当時の世界の変化に強く同期していたことの証明です。
この先人のエネルギッシュさを取り戻し、なぜ日本が産業革命以来の大きな社会変革の波に乗り遅れたのかを分析して、未来を過去の延長線上に見るような議論から卒業し、新しい時代の国のあり方をめぐる根本的な議論があちこちでなされるような日本こそが、『古事記』らしい日本だと思うのです。
(次の<下>では、特に現代社会を論じない通常の『古事記』通読に戻ります)
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