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【コラム】マーメイドはひとりで躍る⑮

男は、本気の勝負に挑んでいた。

2021年10月21日、福岡ソフトバンクと北海道日本ハムの今季最終戦は、投手戦の様相を呈した。ニック・マルティネス、伊藤大海の両先発が隙のない投球を見せ、スコアボードには0が並ぶ。

7回裏、福岡ソフトバンクは一死二塁と先制のチャンスを迎える。松田宣浩の打順だが、ここで工藤監督が動く。

「代打だ…!」

球場全体の視線が一点に集中する。視線の先、一塁側ベンチからひとりの男が姿を現した。その刹那、人々の心が大きく躍った。

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男は12日前、どこか見慣れないスーツ姿でこう語っていた。

「決して順風満帆ではなく、山あり谷ありだったが、僕だからこそやってこられた。悔いはありません」。

プロ15年目の男が取った選択は、ユニフォームを脱ぐというものだった。

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ゆっくり、ゆっくりと左打席に歩を進める。きっといまこの瞬間は、ドライアイの松田宣浩だって瞬きをしていないだろう。

「さあでは、長谷川の最後のバッティング、目に焼き付けましょう!」

実況アナウンサーはそのことばを置き土産に、マイクのスイッチを切った。流れるのは球場内にこだまする声援と拍手だけになった。

さあ、舞台は整った。
男には、やっぱりまだまだユニフォーム姿が似合う。

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65秒後、実況アナウンサーは重い口を開く。

「最後は一塁へ、ヘッドスライディング。長谷川勇也プロ通算4409打席目、そしてホークスの長谷川としての、最後の打席が終わりました」。

万感の思いで挑んだ最終打席は、一塁へのゴロ。全力疾走、ヘッドスライディングでベースに飛び込むも、判定はアウトだった。

先制の絶好機に凡退。それでも男には、他の選手がタイムリーを打った時以上に温かい拍手が降り注ぐ。

あたりまえじゃないか。ホークスファンはみんな、長谷川勇也と歩んできた。これは、紛れもない「感謝」の拍手だ。

チャンスで凡退したことなんてどうだっていい。長谷川勇也が全力プレーを見せてくれれば、それ以上何も望むものはない。きょうは、長谷川勇也の引退試合なのだから。

男は一塁側ベンチに戻ると、悔しさを露わにした。右手を強く叩きつけ、本気で悔しがっている。とても最終打席を終えた振る舞いには見えない。チャンスで打てなかった現役バリバリの選手のようだ。

その姿を見て思う。やっぱり、前言を撤回させてもらいたい。

長谷川勇也という男に対して、「引退試合でチャンスに凡退することなんてどうだっていい」なんて言うのは間違いだ。男にとっては、最終打席だろうとなんだろうと、背番号「24」のユニフォームを着てプレーしている限り、選手として大事な一打席だったのだ。だからこそあえてこう言う。

「チャンスの場面で頼りになる男、打撃一閃・長谷川勇也のタイムリーが、もう一度見たかった。一ホークスファンとしてそれが悔しい」。

「男に二言はなし」という武士道の精神からは反するかもしれないが、本心を吐露した方がなんだかすがすがしい気もする。

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男は試合後、ユニフォーム姿でこう語った。

「会見では、順風満帆な野球人生ではなかったと言いましたが、今日一日を通して考えが変わりました。訂正します」

「長谷川勇也のプロ野球生活15年間は、多くの方々に支えられ、順風満帆の野球人生でした」。

己の道を究め続けた打撃職人・長谷川勇也にだって、お別れの瞬間には二言がある。ならばやっぱり、「男に二言はなし」なんて気にしなくて良さそうだ。



長谷川勇也選手、15年間本当にお疲れ様でした。ホークスファンとして、野球ファンとしてあなたを応援できたことを誇りに思います。


執筆・マーメイド侍

※参照
ソフトバンク長谷川 引退会見 “山あり谷ありも悔いはない” NHK

福岡ソフトバンク・長谷川勇也引退セレモニー全文「プロ野球生活15年間は、多くの方々に支えられ、順風満帆の野球人生でした」パ・リーグ.com

【最終打席】長谷川勇也『闘志を燃やした!執念のヘッドスライディング』パ・リーグTV



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