不安というエネルギーと自分を同化しがち。そこからの卒業。
頭痛から、不安がストレスを生むと知り、私=不安 になりがちだけど、それはもうやめようって決めてみた。気づかないといけないんだなって。
昨日は高校生の進路面談に行ってきた。
あっという間に高校生活も最終学年。もう受験生なのです。
今年の担任の先生は、若くて元気ハツラツ。本音で話しやすいし、とても楽しい面談だった。
が、しかし、学校から帰ってくると、どんどん頭痛が始まってしまった。
痛いと、本当にそればかりに気持ちがいってしまい、家事が滞ってしまう。夕方からがテンポよく動かないといけない時間帯なのに・・・と思って焦るから、余計頭痛が酷くなる。
でも今回は、今定期的に鍼灸に通っているおかげで、意外とちょっとしたケアですぐに治ってきた。
痛い最中に分析はできない。痛みだけで手一杯。だから、昨晩は痛みが去ってから、痛みにフォーカスを当てて、どんな感情が痛みを引き起こしているのか探ってみた。
と、その前に、肉体は肉体でケアが必要です。私は薬を飲むのが苦手なので、下記のようなことを試しています。意外と効果あるので、参考にしてみてください。
肩が凝っているなら、温かい湯船に浸かりほぐしたり、お灸とかこんにゃく湿布とかでもいい。そして、目の使いすぎが原因なら、目に蒸しタオルとかを乗せ、のんびりしたらいい。または、冷えが原因なら、足湯なんて効果的だ。あとは、骨盤の緊張からくる頭痛の場合は、足湯とか、または思い切ってお散歩に出るのもいい。大股で歩くと、意外と痛みが和らいでいく。あとは白湯。これは必需品。
そんなふうにして体もケアしつつ、心もケア。
だって、体と心は表裏一体だから。
昨日は楽しく過ごしていた割に、私の感情は密かに「不安」を隠し持っていたようだ。
・面談の時間に追われる不安。
・子どもの将来に対しての不安。
ここでも原因は未来にある。
時間通りに動かないといけない、というのは仕方のないこと。それは社会人として当たり前なので、それはいいとして、子どもの将来に対しての不安はどうにかしたいって思った。
心配はするし、進路が決まるまで落ち着かないのは当然のことだけど、頭痛まで起こしてしまうのはいかがなものか、と。
だってそれは、自分をも傷つけているということではないのだろうか。痛いのって嫌だし。
何がそんなに不安?と自分に問いかけると、後悔してほしくない。自分らしく生きてほしい。自分の人生をみつけてほしい。と心が訴えてくる。
だよね。頭で考えると、これは当たり前だし、どうしようもないことなんだけど、心はものすごくストレスを抱えているようだ。
ストレスを抱えるということは、そこにエゴが関連しているのではないのだろうか、と考えた。
そうです!
またまた発見した私のエゴ。
それは、失敗させたくない、というエゴ。しかも自分が保護しているうちは、ということ。
失敗を見たくない、という恐怖もあるけれど、私が保護者としてまだ存在しているのに、それなのに失敗させたと世間に思われたくないというエゴです。
頭痛を発生させるほどの「ストレス」=「過ぎる思い」というのは、恐怖やエゴが関連しているということを確認しました。
確認するだけで、エゴはしぼんでいくのでOK。でも、そんな傲慢な自分は卒業しようと決意することも大切です。
心配したり、落ち着かなかったりは親だし、当たり前なんだけど、過剰なストレスで痛みを発生する場合は、やっぱり「過ぎ」ているのでしょう。
気をつけようって思いました。
それから・・・
この「不安」というエネルギーはよく知っているエネルギーだなっていうのも気づけた。
重くて、鈍くて、なんだか体がだるいときと似てる。そして、どこにも出掛けたくない、人と会いたくないというときと似てる。
そういうとき、私はトラブルを引き寄せてしまうようです。頭痛だったり、うっかりミスだったり、二度手間やっちゃったり、うまく事が運ばなかったり。
だから、そういうエネルギーが自分って思わなくてもいいかなって。自分はすぐに不安になってしまうって思わなくていい。そうやって自分と混同しちゃわないで、本当の自分ってそうじゃないよって気づく必要がある。絶対に。
何かトラブルを招く前に、このエネルギーを感じ取って、本当の自分でいられるようにしたいって思いました。
うん! そうしようっと。
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