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人より優秀だと思われたい、それは私の手柄。そう思うことはストレスに繋がる。

エゴってストレスを生んでくれちゃう。

だからそれさえ発見できれば、ストレスさえも手放せるってこと。ストレスは自分以外のことが原因だと思いがちだけど、それだけじゃないのかも。ちょっと違った角度からストレスを解消してみた。

昨日も寝る前に、自分の中の心に寄り添ってみた。

何を考えているのか?ではなく、何を感じているのか、どんな感情を隠し持っているのか、だ。

すると、ふと、優位に立ちたい、という言葉が出てきたので、それについて感じてみた。

いやな過去の記憶ばかり蘇ってくるのだけど・・・

例えば、大昔、ホメオパシーと整体を仕事にしたいと思い、ブログで集客をしていたのだけど、その記事の内容を丸ごと盗作?されてしまったり。また、講座の内容を録音され、それをそのままコピーした講座をやられてしまい、あたかもその人が創始者のような感じでやっていたりと、人間嫌いになりそうな体験がいろいろ蘇ってきた。

こういう愚痴をお友達に話すと、みんな労ってくれたり、味方になってくれて嬉しかったのだけど、ひょっとすると、ここにも私の中のエゴが発動していたのかなってことに気がついてしまったのだ。

大げさな言葉かもしれないけれど、盗作とか技術の横取り?とかは、もちろんいけないことだと思う。でも、それはそれをやった本人の品性の問題であって、私の問題ではないと思う。多分。

でも、その傷ついた心をまだ引きずっているということは、私自身にまだ何か気づかないといけないことがあるってことなんだと思う。

だから、そこに隠れているエゴを探してみた。

こんなことを正直に書くって、なんだか恥ずかしいんだけど、その恥ずかしさがなければ、私はまた同じ過ちを繰り返してしまいそうだし、前進できないかもしれないので、あえて書きたいと思う。

私には、人よりも優位に立ちたいというエゴがある。

当時の私のブログは、こんな症状も改善しました、こんなこともよくなっています、こんなに勉強していますという、言わば自慢を披露する場だった。

その知識や技術を無断で盗っていった人に対して、私のほうが優秀なのに、私がやったことなのに、私の手柄なのに、と腹を立てていたわけだ。

今では、自分の優秀さ加減が、いい加減なものだと自覚しているので、当時の自分を思い起こしてみると、滑稽ではある。でも当時の私は、誰よりも優位に立ちたい、誰よりも必要とされたい、誰よりも優れていると思われたい、と思っていた。

そして、今だに、必要とされたい、自分に相談してほしい、というエゴがまだ残っていることに気づく。

今はもう全然勉強もしていないのに、と〜んとやる気も体力も失せてしまっているのに、悩み事なら私に聞いて、とか、そういうことだったら私に相談してよ、と思ってしまうエゴがいるのだ。

でも、本当に相談されたら、困るのは自分だと思うんだけど・・・(笑)。

でも、でも、どこかでそう思ってしまう。

これもエゴ。

人よりも優位に立ちたい、優秀だと思われたい、というエゴ。

実は、エゴをなくすのって意外と簡単で、客観的に気づいて、「あ〜 もうやめよう。バカだ、私。」って思うだけでいい。

そして、そのエゴが出てくる度に、「そういうのやめる」って決意していく。

エゴって、きっと隠れているからこそ増幅できるんだと思う。でも、見つけられてしまうと、まるで光が当たったかのように、どんどんしぼんでいく。

すると、昨日の自分よりも、今日の自分が成長していたりなんかする。

あ、成長って、かっこいい言葉で書いちゃったけど、そんな大げさな意味ではなく、体感としては、楽に、そして、リラックスして生きれるようになる。

多分、優位に立ちたい、必要とされたい、手柄をひけらかしたい、というエゴは、ストレスにもなっているんだと思う。だから、そのエゴを手放すということは、そこから生じたストレスも手放すことになる。だからかなぁ、なんだかますます焦りが消え、のんびりできてる気がするのは。

ということで、人よりも優位に立ちたい、優秀だと思われたい、というエゴ君! 君と一緒にいると、恥ずかしい自分になっちゃうから、だから、お別れします。と心の中で伝えましたとさっ。

今日もお読みくださり、ありがとうございます。

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