見出し画像

『両親』について考えてみた

自分と向き合う日々を過ごしている。
今回は両親について、思い返して考えてみた。
改めて振り返ると、もう印象的なことくらいしか覚えてはいない。
だからこそその思い出たちは、きっと今の自分に何かしらの影響を与えているのだと思う。

父親

父は口数が少なく、自分の意見は例え聞かれたとしてもほとんど話さない人だった。
本当に何も考えていないのか、言葉にするのが下手くそなのか、とにかく父の意見・意向というものをこれまで聞いた記憶はないに等しい。

父は、対照的によく喋る母の話をずっと聞いていた。特に相槌を打つこともなく、意見を返すこともなく、ただ聞いていた。
母はそんな父を「つまらない人」といっていたが、異なる意見をぶつけると激化してしまうので何も言えなかったのかもしれない。
(そういえば、父は母の前以外ではよく喋るかもしれない。)

『意見が違う時は黙ることも吉。
 相手に意見を求めるのなら黙ることが吉。』

結局「つまらない」とは言われつつも、争いは激化せず、今も穏やかに老後を迎えようとしている父はたぶん間違っていなかった。

父が黙ってしまうのは、母が隙なく喋り続けるからだ。漸く口を開いて出た言葉も母は自分の言葉で覆い被せてしまう。
隙を作るため、傾聴するため、黙ることを心得よう。

母親

母はお節介焼きで、熱血で、悔し涙をよく流す人だった。
手が届く範囲のあらゆる悲しみや不幸感に首を突っ込んでは、やってあげたい事とやってあげられない事の狭間でしばしば泣いていた。

その性格が自分に色濃く影響しているのは、
その姿が目に焼き付いているからだけではない。

母の手の届く範囲の人々の多くが自分自身の知り合いだった。もっと言えば、母がどうにかしようともがいている多くの悲しみは、自分のクラスメイトや近所の友達に降りかかっているもので、それらの悲しみは当時の自分にとって身近すぎたのだと思う。

母は「あんたならわかるだろうから」とそれらの悲しみと母の悔しさについてよく話してくれた。けどもしかすると母自身も抱えきれず、漏らしたものだったのかもしれない。

そんな環境から、
僕らは変に大人にならざるを得なかった。
もちろん不完全極まりない、仮初のオトナだ。
ただ確かに、何かに絶望し、諦め、ある種の悟りを拓いたりなんかした。
ある友人は大人の振りをするようになったし、またある友人はグレたりもしたが、彼は子供でいようとしたのだと思う。
皆、自身の中に矛盾を抱えて過ごしていた。

母はそんな背伸びをしたり、あるいはグレて悪さばかりする僕の友人たちを等しく子供として扱った。彼らはそれが嬉しかったらしい。
母の前では皆素直で、その光景から僕はそんな母が誇らしかった。と同時にやはり悔し涙を流す母の背中を見るのは辛かった。自分は力をつけて、母にも出来なかったことが出来る人間になろうと思った。

サポートありがとうございます! 栄養ドリンクに変えさせていただきます!!💪