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ぼくの日常のエッセイ(初夏の回想と憧憬#1)

 なんだかとても幸せな波風が、ぼくの心の帆を優しく揺らしたことをいまでも鮮明に覚えている。あの夏に戻れるならぼくは伝えられなかった言葉を届けられるのだろうか。

 もう、なにもかも過ぎ去ってしまった話だ。



    ◆ ◆ ◆

 中学の半ばくらいの、ちょうど夏休みが始まったころのことだったように思う。特別仲が良いわけでもなかった部活の仲間に、ついでのように誘われて学校近隣の夏祭りに来ていた。普段はサッカー用のグラウンドとして使われる、殺風景なグラウンド。これが今日だけは綺麗な提灯と数多くの屋台で飾られ、華やかにハレの日を彩っていた。

 男子の仲間たちと合流するが、さして話すこともなく会話に困っていたような覚えがある。ぶらぶらと祭り会場の近隣を男三人でかたまって歩いていると、対面から見慣れた顔の、見慣れない格好をした集団が歩いてきた。

 黒地にピンクの柄が入った浴衣を筆頭に、目に悪そうな色彩を身にまとった部活仲間の女子たちがこちらに近づいて来る。

 どこか居心地の悪さを感じて、ぼくは最低限のあいさつだけをすませた後、金魚の糞のように集団の背中をついていくことにした。

 グラウンドのトラックに沿うように展開された出店の正面を歩くぼくらは、ただあてもなく衛星のように同じ場所を巡る。ぼくの一歩先を行く彼女らは、ただ楽しそうに祭りの賑わいに馴染んでいた。

 この場にいることをひどく悔やむ気持ちがむくむくと膨らんできて、帰宅の言い訳ばかりが頭を埋め始めた時だった。ひときわトーンの高い声がぼくの背を叩いた。

 「おお〜!君も来ていたの?」

 振り向くと、こちらに笑いかける見慣れたクラスメートと、その傍に彼女の部活仲間が数人立っていた。彼女らも同じくこの祭りに参加していたらしい。学校と祭り会場が目と鼻の先であるからか。なるほどこういうことも起こり得るだろう。

 自分の部活仲間より数倍も仲の良い人であったから、ぼくも相好を崩し、口を開く。

 「うん、友達に誘われて。」

 数秒前の思考に対し、「友達」など嘘もいいところであるが、説明の簡易さを優先させた。先までの憂鬱な感情を置き去りにして、和やかに談笑を始める。彼女のツレの中に共通の友人もいて、話は小気味良く続いていく。

    ◆ ◆ ◆

 ふと、左腕の袖を軽く引かれた気がしてぼくはそちらに視線を向けた。

 彼女の姿を視界に収めたこの瞬間を、ぼくは鮮明に記憶している。全身を優しい風が静かに包みこみ、反対に動悸が酷く耳障りだった。

 多く語る必要すらない、ありふれた「一目惚れ」を、ぼくはこの時はじめて体験したのであった。

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