- 運営しているクリエイター
記事一覧
私の望遠レンズ履歴書 ③ 1964年のオリンピックで使われたオリンピック取材の目ニッコール1200ミリf11それも1番最初の生産ロットのナンバー クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
1964年に開催された東京オリンピックでは報道写真の一大変革があった。それはまさにレボリューションと呼んでも良いものだった。それまでの報道写真はもっぱらアメリカからお下がりの4インチ× 5インチの大型カメラつまりスピードグラフィックを使うのが普通であった。それが徐々に当時のタイムライフのようにカメラは小型軽量な35ミリに徐々に変化していったのである。世紀の祭典の一大スポーツイベントとなれば望遠レンズに力が入るのは当然である。1964年と言うことで時間軸上で1つはっきりさせてお
私の望遠レンズ履歴書 ④ チェコスロバキアの国境警備隊が使ったと言われるアストロベルリン800ミリf5まず重くて持ち歩き不可能 クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
チェコスロバキアの国境警備隊が使っていたと言う触れ込みの800ミリの大きくて重いレンズをプラハの業者から買ったのは20年近く前だった。まだ社会主義国の頃の政府と言うのは逆に東側の機材を使いたがらずに西側の機材を使いたがるものである。アストロベルリンと言う会社は戦前から存在するがチェコの国境警備隊がこれを購入した当時は当然ながら西ドイツなのである。この東側の体制の報道関係者というかカメラの機材調達係が西川の機材に対して持っている尊敬というか信頼というかそれは大したものなのだ。か
私の望遠レンズ履歴書 ⑤ トキナー800ミリf 8小型軽量で二分割できるのでドキュメンタリーのフィルムクルーがAatonにつけて愛用していたのを見て手に入れた クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
1980年代初めに私はアメリカのモダンフォトグラフィーと言う当時世界で2番目に大きいカメラ雑誌の極東通信をやっていた。それでボスが来日すると随行して日本のカメラメーカーを回ったり工場見学をしたりした。これが私のカメラに対するキャリアを完璧にしてくれたので今にして思うと非常に貴重な体験だと思っている。その関係で当時新大久保に会ったTikinaと言う会社の人と知り合いになった。会社の偉い人のところに遊びに行ったらこれはもう使わないからと言うので大きな缶詰を私にくれたのである。中に
私の望遠レンズ履歴書 ⑦ 小型軽量なニッコール10.5センチef 4当時のカメラ雑誌の広告に私はこのレンズで登場。ギャラは破格の500,000円だった クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
日本人の商品の好みと言うのは豪華主義である。高いほうがいいと思っている。私などはめったに行かないが鰻屋などに行くと1番安いやつを頼む。見えっ張りとかそういうことではなくて安いほうのうな重はそこにうなぎの本質が潜伏しているからだと思うわけである。家人は鰻好きで老舗の野田岩などでかなり修行を積んできた。しかし最近私と同じようにうなぎの本質に気がついて最近食べているのはもっぱら安い500円の得な魚やのやつである。そういうことっていろいろなところにあると思う。
私の望遠レンズ履歴書 ⑨ フランスのKinoptikの超望遠レンズと言うのはレンズグルメのわがままの袋小路である クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
フランスのパリにあるレンズメーカーである。最近ではそんなに活躍していないが1950年代から60年代にかけてのフランス映画のヌーベルバーグの黄金期には大活躍したレンズメーカーであった。このレンズが組み合わせるカメラはたくさんあるが1番有名なのはフランスのエクレールが作った亀フレックスと言うカメラでこれは35ミリと16ミリのフォーマットが僕のカメラで数分間で交換できると言う世界中どこにもないような特別な気候を持っていて劇映画からドキュメンタリーのカメラマンまで非常に広く使用された
私の望遠レンズ履歴書⑩KOMURA500mm f 7のレンズをKillfitのミラーボックスで使う クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
現在のレンズ世界と50年前のレンズ世界の間で何が違うかと言うとこの2つの間にはレンズブランドのステータスの連続性は全く断ち切られていると言うことである。言い換えればOEMの生産が普通になってしまっているからカールツアイスのレンズは信州中野の子子流作っていたりする事は不思議でもなんでもない。しかもありがたいことにというか皮肉なことにというか、そのレンズ性能はどこのメーカーでも極めて高性能であったからこうなってしまうともはやメーカーの差額と言うのはブランドの差と言うことになってし
私の望遠レンズ履歴書 ⑪ ソ連製のミラーレンズMTO500ミリと1000ミリはwin時代の私の重要なFotoAugeであった クラシックレンズレンタルサービスTORUNO
超望遠レンズでミラーレンズと言うものがある。日本で最初にミラーレンズを出したのはレフレックスニッコール500ミリ明るさエフ子であった。同じ時代の500ミリの望遠レンズの屈折式光学系のものはその重さは7倍位あったであろう。しかもレンズの全長が非常に長い。報道写真関係など機動性を要する撮影では屈折式の超望遠レンズはまず使うことができなかった。当然の話である付属品として大きくて重い木製三脚も付いていた。これではモチーフをスピーディーに追跡するなどと言うのは無理である。日本工学が出し