マガジンのカバー画像

私の望遠レンズ履歴 レンズレンタルサービスTORUNO

11
4月第2弾 私の写真術は広角レンズばかり使っていると言うふうに思われているし自分でもそう思っていたのだけれども、過去半世紀を振り返ってみると望遠レンズも使っていることに気がついた。
マガジンで購入していただくとone noteお得になっています。頼りになるのはあなただけ!
¥2,000
運営しているクリエイター

記事一覧

私の望遠レンズ履歴書 ① 最初に買った 私の望遠レンズ履歴書レンズKomira135ミリf2.8  クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

小学校の3年生か4年生の時に手に入れたのが1番最初のペンタックスである。49,500円もした。実際に買ったのは父であるが息子がカメラ好きなので母への言い訳に私が欲しがっていると言うことにして手に入れたのである。実際問題としてこのペンタックスはほとんど私が使っていて小学校の写真部にもペンタックスを持参した。顧問の先生の持っているカメラがペトリのレンズシャッターのレンジファインダカメラなのであるからペンタックスを持った小学生はイヤミである。

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ②オーストリアで最初に手にした望遠レンズTelyt200ミリef4 Visoflex                                                          クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

1973年にそれまで3年間勤務した広告制作会社を辞めて退職金を770,000円もらってフリーランスとなった。月給が50,000円のときの770,000円だから当時は景気が良かったのであろうか?それで家人と音楽の都オーストリアウィーンに行ったのである。最大の理由は雅人が光の音楽大学に留学すると言うのがその理由であったが、私の場合はカメラを持って街を彷徨歩くと言う、言い換えればウィーン路上大学に留学したわけである。

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ③ 1964年のオリンピックで使われたオリンピック取材の目ニッコール1200ミリf11それも1番最初の生産ロットのナンバー                                                                クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

1964年に開催された東京オリンピックでは報道写真の一大変革があった。それはまさにレボリューションと呼んでも良いものだった。それまでの報道写真はもっぱらアメリカからお下がりの4インチ× 5インチの大型カメラつまりスピードグラフィックを使うのが普通であった。それが徐々に当時のタイムライフのようにカメラは小型軽量な35ミリに徐々に変化していったのである。世紀の祭典の一大スポーツイベントとなれば望遠レンズに力が入るのは当然である。1964年と言うことで時間軸上で1つはっきりさせてお

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ④ チェコスロバキアの国境警備隊が使ったと言われるアストロベルリン800ミリf5まず重くて持ち歩き不可能      クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

チェコスロバキアの国境警備隊が使っていたと言う触れ込みの800ミリの大きくて重いレンズをプラハの業者から買ったのは20年近く前だった。まだ社会主義国の頃の政府と言うのは逆に東側の機材を使いたがらずに西側の機材を使いたがるものである。アストロベルリンと言う会社は戦前から存在するがチェコの国境警備隊がこれを購入した当時は当然ながら西ドイツなのである。この東側の体制の報道関係者というかカメラの機材調達係が西川の機材に対して持っている尊敬というか信頼というかそれは大したものなのだ。か

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑤ トキナー800ミリf 8小型軽量で二分割できるのでドキュメンタリーのフィルムクルーがAatonにつけて愛用していたのを見て手に入れた                               クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

1980年代初めに私はアメリカのモダンフォトグラフィーと言う当時世界で2番目に大きいカメラ雑誌の極東通信をやっていた。それでボスが来日すると随行して日本のカメラメーカーを回ったり工場見学をしたりした。これが私のカメラに対するキャリアを完璧にしてくれたので今にして思うと非常に貴重な体験だと思っている。その関係で当時新大久保に会ったTikinaと言う会社の人と知り合いになった。会社の偉い人のところに遊びに行ったらこれはもう使わないからと言うので大きな缶詰を私にくれたのである。中に

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑥  NARAHARA IKKOさんがスペインの闘牛場で振り回していたニッコール35センチf4.5僕はいつも闘牛場で1番長い望遠レンズを振り回しているカメラマンだった                                                             クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

写真家にとってそのレンズを買おうか買うまいかと悩んでいるその原因と言うのは別にカメラメーカーレンズメーカーの広告がその理由になると言う事は絶対に無いのである。それよりも優れた写真家がどのような超望遠レンズを愛用しているかというのが私の非常に重要な買い物ガイドの助けになると言うことだ。

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑦ 小型軽量なニッコール10.5センチef 4当時のカメラ雑誌の広告に私はこのレンズで登場。ギャラは破格の500,000円だった                                            クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

日本人の商品の好みと言うのは豪華主義である。高いほうがいいと思っている。私などはめったに行かないが鰻屋などに行くと1番安いやつを頼む。見えっ張りとかそういうことではなくて安いほうのうな重はそこにうなぎの本質が潜伏しているからだと思うわけである。家人は鰻好きで老舗の野田岩などでかなり修行を積んできた。しかし最近私と同じようにうなぎの本質に気がついて最近食べているのはもっぱら安い500円の得な魚やのやつである。そういうことっていろいろなところにあると思う。

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑧ 20cmF4は小学生の頃の私の憧れのレンズだった。それ以来目にすると買うようにしているのでサッカーチームができるほどある                                           クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

ニッコール20センチF4と言うのは憧れのレンズである。かなり長いこと作られていたのでいろいろなバリエーションがあるが後半に作られたものは200ミリと表記されている。最初の頃の生産のやつは20センチと表記されている。このレンズに関しては私は少年時代の甘酸っぱい思い出がたくさん詰まっているのである。

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑨ フランスのKinoptikの超望遠レンズと言うのはレンズグルメのわがままの袋小路である                        クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

フランスのパリにあるレンズメーカーである。最近ではそんなに活躍していないが1950年代から60年代にかけてのフランス映画のヌーベルバーグの黄金期には大活躍したレンズメーカーであった。このレンズが組み合わせるカメラはたくさんあるが1番有名なのはフランスのエクレールが作った亀フレックスと言うカメラでこれは35ミリと16ミリのフォーマットが僕のカメラで数分間で交換できると言う世界中どこにもないような特別な気候を持っていて劇映画からドキュメンタリーのカメラマンまで非常に広く使用された

有料
200

私の望遠レンズ履歴書⑩KOMURA500mm f 7のレンズをKillfitのミラーボックスで使う     クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

現在のレンズ世界と50年前のレンズ世界の間で何が違うかと言うとこの2つの間にはレンズブランドのステータスの連続性は全く断ち切られていると言うことである。言い換えればOEMの生産が普通になってしまっているからカールツアイスのレンズは信州中野の子子流作っていたりする事は不思議でもなんでもない。しかもありがたいことにというか皮肉なことにというか、そのレンズ性能はどこのメーカーでも極めて高性能であったからこうなってしまうともはやメーカーの差額と言うのはブランドの差と言うことになってし

有料
200

私の望遠レンズ履歴書 ⑪ ソ連製のミラーレンズMTO500ミリと1000ミリはwin時代の私の重要なFotoAugeであった                           クラシックレンズレンタルサービスTORUNO

超望遠レンズでミラーレンズと言うものがある。日本で最初にミラーレンズを出したのはレフレックスニッコール500ミリ明るさエフ子であった。同じ時代の500ミリの望遠レンズの屈折式光学系のものはその重さは7倍位あったであろう。しかもレンズの全長が非常に長い。報道写真関係など機動性を要する撮影では屈折式の超望遠レンズはまず使うことができなかった。当然の話である付属品として大きくて重い木製三脚も付いていた。これではモチーフをスピーディーに追跡するなどと言うのは無理である。日本工学が出し

有料
200