マガジンのカバー画像

5月新マガジン第2弾 静物写真の腕を上げる

11
スナップショットとstillライフと言うのは隣同士になっている考えるべきである。それでスナップショットの続編として今回はstillライフを取り上げる。写真術が発明される以前の絵画…
マガジンで購入していただくとonenoteお得です。頼りになるのはあなただけ!
¥2,000
運営しているクリエイター

記事一覧

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその一 かぼちゃのスープ入れのカメラアングルの正面はどっち側か?小学校の図工の時間を思い出す

5月のカメラノートスペシャルである。スナップショットとstillライフと言うのは隣同士になっている考えるべきである。それでスナップショットの続編として今回はstillライフを取り上げる。写真術が発明される以前の絵画の最も重要な役割はstillライフであった。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその2. 題材になるものがよければ腕が上達するのか?

例えば本格的にスティールライフの写真に取り組もうとして、その素材を果物とか野菜とか魚等で構築しようとして卸売市場などに行ってものを買ってくると言う場合であるが、やはり高級なそして鮮度が高い生鮮食品の方が写真の写りが良いのであろうかと言うことが我々が最初に遭遇する設問なのである。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその3. 正岡子規の方法論に学ぶこれが1番手っ取り早い

正岡子規は俳句に写生と言う概念を取り込んだ人である。正岡子規本人は写真に対してかなりいろいろな興味を持っていた。その例を2つだけあげるのならば彼は明治の終わりの人でありながら組み写真に対しての可能性を論じているのである。まだその論理は初歩的であるが1枚の写真ではわかりにくい建物とか環境の条件を複数の写真で表現するのならばそれを見る人はもっとわかりやすい理解が得られるであろうと言うことを言っている。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその4 広告写真を長くとっていたのでそれが逆に私の場合はマイナスになっている

広告写真を長くやっていたのだが広告写真と言うのはその日stillライフを撮る写真のことである。面倒なのはこのstillライフは単に独立独歩の存在で外からの干渉を受けないと言う芸術写真ではなくて巨大スポンサーが背景についていてスポンサーの言うなりにならなければならないと言うかなり日和見主義的なスキルフォトグラフィーであると言う点だ。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその5 Josef Sudekが撮影した傑作は自分の家の中にあるガラクタだった

コロナウィルス騒ぎで1番滑稽なのは、写真家は仕事がなくなったから撮影に行けなくてかわいそうと言う錯覚である。なぜそんなことがあるものか?Josef Sudekの場合を見ると明確に理解できるのであるが彼はあちこちのヨーロッパにはでかけているけれども実際のメインのステージは中庭にある彼のアトリエ兼相撲でほとんどの名作が撮影されているのである。そしてそれらはスナップショットではなくStillライフなのである。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその6 街角写真と言うのはスチールライフと同じものである

2018年の秋からブラパチワークショップと言うのを開催した。東京の主に周辺部のstillライフ的な風景を撮影するのがその目的である。実はこれはお客さんを連れて歩いてお客さんに街の写真をしているライフにとると言うことを教えるのではなくて、私は自分の写真生活のためにやっているのだ。半世紀も写真家をやっていて面白いのは 私がずっとテーマとしている東京の風景の変貌である。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその7 50年前銀座8丁目のビルのペントハウスでニコンカメラのstillライフをとっていた

20歳代の初めの頃私は日本デザインセンターでニコンエフのカタログを主に撮影していた。銀座8丁目の水商売ビルの八開建のそこからさらに階段を上った1番上に東宝スタジオというのがあった。そこで主に撮影をしていたのである。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその8. 1970年代のウィーンの生活は生活そのものがstillライフのワークショップであったことに気がつく

私のオーストリアウィーン時代の生活と言うのはその実際のところはスティールライフのワークショップであったと言うことに最近になって気がついた。まず歴史そのものが堆積している街であるからアパートメントを1歩でも出るとそこには歴史的な存在が重なり合っているのである。バロック時代とかゴシック時代とか言うのはまだ新しい方でちょっと古い地面を掘り起こせばそこからローマ帝国時代のコインが出土するような土地柄なのである。極東の江戸とは全く比較にならないですね。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその9. 街の看板に最大限の注意を払うこと。スナップショットがつまらないのは人間の顔で人物が特定できるからつまらない

町歩きというのは不思議なもので意識と無意識の境界線を歩きながらさまよっているようなところがある。自分のイメージ通りの写真が撮れましたなどとしたり顔で言う写真家は偽物である。そのことは歴史のに残る写真家はみんな言っている。つまり写真家の貧困な想像力を遥かに超えたところの現実突破の風景にこそ写真の本当の醍醐味が存在するのである。それはそのままstillライフの写真の面白さであると言い換えることもできる。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその10 生活に本当に必要な物を撮影するとこのぐらいの数でしかない

生活に必要な最低限のものはそれが最低限であることが逆に生活の必要になる。私が尊敬する作家のどこかのノートにそんなことが書いてあった。チェコのプラハには1975年から2017年まで暮らしたのである。指折り数えてみれば40年にちょっと足りない位の時間をプラハの路地裏を行ったり来たりして暮らした。もっともその前に過ごしたオーストリアウィーンの場合は私は7年半の間に1階日本に戻ってきただけであるがプラハ時代には極端に言うと1ヵ月ごとに東京とプラハの間を往復していたのである。

¥200

5月第2弾カメラノートスペシャル 静物写真の腕を上げるその11. 机の上の物体が自ら存在を語り始める

7年半暮らしたオーストリアウィーンの部屋のデスクトップである。当時使っていたニコンSPが1台。脇にペリカンの安物の万年筆があって、脇にペリカンのインキ壺がある。後ろのほうにちょっと闇の中にエアメールの便箋と封筒が見える。最近のモバイラーがめんどくさいのは、古事記の引っ越しみたいに細かいケーブルで繋がれた小さな物体を適当なリュックサックに持ち込んであっちこっちでお店を広めることにある。仕事をすると言う事より下そういう細かい電子デバイスをもて遊ぶのがその人の本来の趣味であって仕事

¥200