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noteを始めて早や3ヶ月! の甘酸っぱいキモチ

noteの初投稿から3ヶ月が経った。《3ヶ月連続投稿》のバッチ🌟を頂いた

毎日あるいは毎週投稿されている方達には及びもつかない投稿記事の数(涙)・・・なのに、noteは本当に優しい !!

その優しさに自ずと癒されながらも、やはり癒されきれない”焦り”が胸に残る。

それは振り返るまでもなく、noteに向き合う時間の大半は、「書く」ことに充てられなかったという反省に基づく。

気付くと私は、時間を忘れて「読み」続けていた。そして、ずっと「考え」続けてはいたのだが・・・。

人生に限りがあると身に沁み始めた年頃だけに、早や3ヶ月が経ったという事実には甘酸っぱいキモチにさせられる。

そんな私を諭すような文章に出会った。

 僕はタイムマネジメントを駆使して、人生のすべてをコントロールしたいと考えていたのだと思う。
 自覚はなかったけれど、僕にとって生産性へのこだわりは、心を守るための戦略でもあったのだ
(中 略)
 目の前の仕事をせっせとこなしているかぎり、仕事が自己肯定感に直結している状況を疑問に思わなくてもよかった。自分の時間を支配しようと躍起になっているかぎり、人生が突きつけてくる最も大きな課題から目を背けていられた

オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』かんき出版
「第1章  なぜ、いつも時間に追われるのか」より

 自分の生き方は正しいのだろうか、そろそろ諦めるべきことがあるんじゃないのか。
 そんなことを考えると、心がとても不安になる。(略)
 人によって不安の対象は違うけれど、核心は同じだ。この人生しかないということーーーこの欠点だらけで、傷つきやすくて、ものすごく短くて、思い通りにならない人生が、ただ一度きりのチャンスだということーーー、その事実を、僕たちは認めたくないのだ。

同 上

そう、私はとても人生は短いということにハッと気付き、今しかないと思ったからこそ新たな道に一歩踏み出したのではなかったか・・・。

自分はいったい何のために生きているのか?
何か根本的な変化が必要ではないのか?

同 上

多かれ少なかれ周りから求められるタスクをこなすことで歩んできた今までの人生。求められることに応え続けるその習性を、もう脱ぎ捨てなければならない地点まで来たと、切に思う。

 やりたいこと、やるべきこと、他人にやれと言われたことーーそれを全部やるだけの時間が本当にないのだとしたら、もう諦めるしかない。どんなに悔しくても、どんなに人に嫌われても、時間がないのだから仕方ない。やることリストが終わらないからと行って、自分を責める必要はまったくない。やれることはやる。できないことはやらない。それだけだ。「もっとやれ、全部やれ」という内なる暴君の声は、ただの勘違いだから無視していい。
 いや、そうはいっても実際は、それほど簡単に割り切れないかもしれない。
 なぜならそれは、自分の限界という、みじめな現実に直面することを意味するからだ。
 どのボールを落とすか、どの人をがっかりさせるか、どの夢を捨てるか(中略)創作活動のために時間を使うなら、家の掃除がおろそかになり、運動不足になるだろう。

同 上

末尾の一文には思わず苦笑だが、そう、どちらにしても甘酸っぱさは背負いながら、人生を歩み続けなければならないということ・・・それは真実だろう。


※ 一番書きたいテーマが有るものの、未だ今はそれを胸に温め、育みつつ・・先ずは徒然なるままに「思うことを書く」練習をさせて頂いています。

今後ともどうぞよろしくお願いします m__m 。 

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