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「雨のち晴れ」ーー今ここにある幸せの貴さ

「信じる」ことと、「疑う」・「怖れる」ことは、紙一重だと思う。

「無条件に信じる」ことができている状態が永遠に続くなら、本当に幸せだ。・・・いや、永遠に続くものと感じているからこそ、「無条件に信じる」ことができのだと思う。

ところが、予想もしなかった事が、突如として起こる。一瞬にして、それまで有った無条件の信頼は崩れ落ちる。

そして、もしも・・・もう一度、以前のように信じたいと願い、自ら信じようとするならば、その為には、これまでは空気のように当たり前だった筈の些細な事を一つ一つ問い直し、確かめざるを得ない。少なくとも、信じていたものの僅かでも確かに「真実」だったと認めたい。その為に、何が真実で何が偽りだったのかを一つ一つ「問い直し、確認する」ことになる。

「問い直し、確認する」・・・それは「疑い、怖れる」ことに他ならない。そうせざるを得ない自分自身が、惨め過ぎて、ツライ。

信じていたものが崩れ、身体じゅうの至るところに在るらしい「涙腺」が決壊するのを必死で耐えているような日々は、言葉を探して探して…心が漂い続ける。


「読むこと」と「書くこと」は「呼吸」、つまり息を「吸うこと」と「吐くこと」のようなものだと、どこかで読んだ気がする。こんな日々には、ひとの書いたものをすがるように読み続け、明らかに「吸う」ばかりの過呼吸になってしまう。・・が、そうやって巡り合えた言葉に、心が震え、救われ、癒されながら、僅かずつでも心を整えていくしかないと思う。

心が境界線を彷徨い続けるような・・・そんな中で、見えてきたものが有る。それは、これまで見逃してしまっていた小さな幸せの数々。自分に向けて与えられていながら、ちゃんと受け止めることができていなかった事が幾つも有った。

永い間、ずっと変わらず、そして今も・・・自分に注がれている愛に気付いたとき、心に幸せが訪れた。自分にとって一番大切なモノがはっきりとわかった。

今もこうして注がれている愛に、疑いようは無い。ずっとずっと前から、変わることなく、自分に与えられていたものだという記憶。その幸せは、「真実」でしかない。

ただ、その幸せな時間が、脆く危ういものだと知ってしまったからこそ…愛おし過ぎて、切ない。


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