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ショートショート『僕の無くしたもの』

気がつくと、僕は白い砂浜の前に立っていた。てっきり僕は、お約束の大きな川が流れていて、向こう岸から知り合いが手を振っているシーンが見られるかと思ったら、そうでもないようだ。目の前に広がっているのは多分海で、波の音が聞こえてくるのと、湿気を含む冷たい潮風が僕の頬を撫でていく。空は、僕の今の心境を映すように鈍色の雲が流れていく。
自分の姿を見ると、白装束ではなく、普段着ているジーンズと白いロゴT、ランニングシューズだった。これからどうしたものかと頭に手を置きながら周囲を見渡すと、白い木造の建物が見える。季節外れの海の家か、誰かの別荘かもしれないが、人の影は見えなかった。なんとなく、波打ち際の方へ歩いていくと、足跡が砂に残っていた。動物みたいな足跡も一緒にあった。誰か散歩でもしているのだろうか、自分以外の存在を感じることができた。
背中の方から、声が聞こえてくる。振り返ると、白い家のデッキの方からだった。
「どうされましたか~」と。「こんにちはー」とできるだけ声を張り上げて、僕はその声の方へ近づいた。その人は、白いアロハシャツを着た恰幅のいい中年の男性だった。黒い帽子をかぶっている。ニコニコしながら話しかけてきた。バーをやっているらしくて、昼間からでもアルコールが楽しめるようだ。財布を持って出ていないことは知っていたが、僕は誘われるがまま店に入った。
そこには、1人だけ客がいて、釣り竿を横に置いて海の見える窓際の席に座っていた。魚柄のアロハシャツを着ている。店主は常連客だと言う。
「どうしてここへ?」
「気づいたらこの砂浜に立っていたのです」と正直に言ってみた。店主は
「そういう人はたまにいらっしゃいます。あなたには必要だったんでしょう。まあ、ゆっくりしてってください」
そう言って、ウェルカムドリンクを出してくれた。他に客はいなかったが、静かなジャズのような音楽が流れ、ゆったりとした時間が流れている。
「先ほど、私がここにいるのは必要だったとおっしゃいましたね」
「無くしたものを探しにくる人がたまにいますので、そうかなと」
僕が無くしたもの、それはなんだろう。
「驚くかも知れませんが、僕は、父に毒草を食べさせようとしたんです」
「そうですか、お父さんに」
「はい。小さい頃からの僕への仕打ちに耐えかねてしまったんです。ハシリドコロという植物をご存知ですか?春先にふきのとうと似た芽を出します。間違えたふりをしてそれを料理して食べさせようとしたのです。僕のいる地方では、そんな事件がたまに新聞に載るのです。しかし僕は、料理した皿を間違えて自分で食べてしまったようで、気がついたらここに」
店主は、相変わらずニコニコして聞いてくれている。ウェルカムドリンクのアルコールもあいまって、僕はついつい、父に受けてきた仕打ちをぶちまけてしまった。店主は相変わらずニコニコしてただ聞いている。その顔を見ながら話していると心が軽くなっていくのがわかる。話し終えると、店の窓から潮風が入ってくるのを感じた。
「親が子に先立つのは順縁と言いますが、僕の場合、子が先立つのですから、逆縁ですね。僕はまだ結婚もしていないし、やりたかったこともたくさんあった。心残りは多々ありますが、自分が父に毒草を食べさせようとしたから因果応報とも言えます。僕はもう行きます。ウェルカムドリンクだけいただいて、何も注文せずにすみません」
店主は、グラスを磨きながら
「お気になさらず。詳しくは申し上げられませんが、物事をするには一番良いおりがあります。あなたはまだ人生をあきらめる時ではないようです」
そう言って店主は、カウンターの奥から何やら取り出した。
「うちのオリジナルグッズです」
それはビニール袋に入っていたが、白い袋に紐が付いているから手提げかも知れない。
「お土産まで頂いて、話も聞いていただいて、ありがとう」
僕は店から出ると、店名の書かれた看板に書かれた文字を読んだ。
「布袋屋?」
その看板と、主人の様子から「布袋様」という神様を連想した。じゃあ、この白いものは僕が無くした『堪忍袋』なのかも、そう思ったら、どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。そして帰らなきゃと感じるとだんだん私の意識は遠のいていった。
あれから、僕はあの白い家には一度も行くことはなかった。

次の年、父が突然倒れて病院に担ぎ込まれた。それを聞いた僕や家族は、もしかしたらこれが最期かもしれないとそれぞれに察し、急いで病院に集まった。そこは僕が一年前お世話になった病院だった。
医師の手厚い治療のおかげで、父は奇跡的に一命を取り留めた。父は目を覚ました時、集まった家族に向かって言った。
「ウェルカムドリンク、美味かった」




このお話はフィクションです。ショートショートとしてお楽しみください。


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