3月23日 ニューヨーク3日目
朝がた6時か7時くらいに一度目が覚める。同居人が、朝のお祈りをしていた。
その後、彼はそっと仕事に向かい、僕は2度寝。
10時くらいにのんびりと起床し、のんびりと準備。
今日でアメリカ滞在ラストだし、のんびりふらふらするか〜と外に出たら、雨だった。
ストロベリーフィールズとダコタアパートへ
いったん近所のお店で、ハンバーガーとポテトをテイクアウトして、宿で腹ごしらえ。
雨とはいえ、アメリカラストデイだし、やっぱ行けそうなとこは行っときたいなと思い、
やはりビートルズきっかけでギターを始めた僕としては、ジョン・レノンにゆかりのある地は攻めておくべきだなと。
てことで、ジョン・レノンが殺されたダコタアパートへ。
地下鉄で3駅くらい、宿から近かった。
マンハッタンのレッドラインの地下鉄の構内。
数人くらい人を見かけるだけで、ほとんどいない。
外を出ると、ますます雨が降っていた。
シカゴがウィンディーシティなら、僕のなかでニューヨークはレイニーシティになってしまうくらい雨と底冷えがすごい日だった。
でも、よく考えたら、1ヶ月の旅のなかで雨を経験してなかった気がするので、最後の最後にこんだけ降るのも、ある意味ラッキーやなと思いながらダコタアパートへ向かう。
これが、ジョンレノンが晩年に住んでたダコタアパート。
超高級マンションで、現在も普通に人が生活している。入居審査がめっちゃ厳しいらしい。
正面に見える門の前で、1980年12月8日にジョン・レノンはファンに撃たれた。
それがこの門。
ほほ〜という感じだった。
ダコタアパートのすぐ目の前が、セントラル・パークになっており、横断歩道を信号守って渡ってみる。
右奥がダコタアパート。
渡ってすぐのとこ。セントラル・パークの園内にストロベリーフィールズというモニュメントがある。
オノ・ヨーコがデザインした、ジョン・レノンのモニュメント。
花が一輪だけ添えられていた。
雨のなか、しかもコロナ真っ只中で、ここにいたのは僕1人だった。
まぁ、そりゃそうか。
ストロベリーフィールズをぐるっと一周。
オノ・ヨーコのナレーションが聴けるらしい。聴かなかったけど。
寒くて鼻水が止まらなかったな。
タイムズスクエアへ
その後、ダコタアパートの下にある地下鉄から乗車して、タイムズスクエアへ。
ここも10分もせず到着したかな。
ニューヨークの地下鉄は、わかりやすくて便利。
タイムズスクエア。ここもいつもなら、人が多いんだろうな。
車も人もほとんどいないので、写真の下の方を見たらわかるように、道路の真ん中でポーズ決めて写真撮影してる若者たちがいた。
観光客か地元民かはわかんないけど、その気持ちはすっごいわかるぞ。
ワールドトレードセンターへ
その後、再び地下鉄に乗り、さらに南下。ワールドトレードセンターへ向かう。
やっぱ9.11のモニュメントは見ておきたい。
ワールドトレードセンターの駅。
この旅のなかで見た駅構内のなかで、だんとつでピッカピカだった。たぶん新築だろうな。ナインイレブンの記念館とあわせて建設された新築の駅なんかな。
もちろん人は、ほとんどおらんかった。
雨のなか、地上にでる。寒い。
ナインイレブン跡地に作られた公園と記念館。もちろん、コロナでクローズしてた。ビルの天辺が霧で見えない。
このでっかい穴が、おそらくテロに飛行機が突っ込んできたビルの跡地。このでっかいのが2つあった。
花とメッセージが刻印されてた。
中3くらいの受験シーズン真っ只中、塾から帰ったらニュースでやってたの今でも思い出すなぁ。
ここ、20年くらいのターニングポイントの一つだろうな。あの日は。あのとき、僕は歴史の1ページを目の当たりにしたんやのう。
このあと、できれば自由の女神の後ろ姿だけでも見に行きたかったけど、霧がすごくて見えないだろうし、雨もすごくなってきたから、宿に戻る英断をする。
まぁ、ニューヨークで最低限行きたいとこは行けたから良し!!
アメリカ横断、最後の夜
ビールとお茶菓子を購入して、16時半くらいに宿に帰宅。
しっぽり1人で飲みながら、ダラダラ過ごす。
ゴルゴ13を読んだり、荷造りしたり。
今夜で、ホステルのシャワーも最後か。
旅を通して、シャワーの勢いが弱いとこが多かったな。
てか、今夜が旅の最後の夜なのか〜。
て、考えたりしたけど特にしんみりすることはなかった。
明日、普通に飛行機に乗って、そのあと、普通に日本での日々が始まるだけだ。
この旅は、コネチカットの教会で最高の締めくくりを迎えたので、もう既に余韻で時間を過ごしている。
なんて考えながらダラダラしてたら、23時くらいに同居人が帰宅。
彼はどうやら、ウーバーイーツみたいな配達で、1日中働いていたらしい。
ちなみに、アメリカではウーバーイーツみたいなサービスがいくつかあるらしい。彼は、「ウーバーイーツは働く側からしたら、いまいちだから使わない」って言っていた。
あと、「今日はコロナと雨のおかげで、200ドル稼げたぜ!」てスマホの画面を誇らしげに見せてくれた。
そのあと、いろいろ世間話をしてたら、彼はトレーニングを始めた。
ドアで懸垂をする同居人。僕は彼のストイックぶりに爆笑してしまった。彼は、はにかんでいた。
アメリカのご飯はガビッジばっかだから、ワークアウトして体を鍛えないといけないそうだ。
彼曰く「アメリカは、デブが多いだろ?あれは食生活のせいだ」とのこと。
そんなこんなで
アメリカ横断最後の夜は、懸垂マスターの彼とのんびり話す。
彼も、日本から来た僕との会話を楽しんでるようだった。
アメリカの貧困の話とか、日本のアニメの話とか。彼がいきなり「ダッテバヨ」て言ってきたのは笑けた。ナルトの物真似だった。
彼は、将来的に事業を起こしたいらしい。そのために、今はお金を貯めるときなんだと言っていた。
すげーストイックなやつだなと思いつつ、一方でぼくは、その日、彼がお祈りをせずにいつのまにか爆睡してたのを見逃さなかった。
アメリカ最後の夜は、ゲストハウスの同居人と、いろいろ話せて、とても思い出深い一夜となった。
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