3月読了本「正欲」朝井リョウ 親になって思うこと、多様性という名のマジョリティ
ようやく読み終わりました。
わたしが見てる読書アカのみなさんが揃って「考えさせられる」「すごい本」と言われてて気になっていたものの、最初の数ページがとっかかりづらくて、積読したまま結構な日が経ってしまいました。みなさん言うだけあって、色々考えさせられる一冊でした。
あらすじ
所感(ネタバレ含みます!未読の方はお気をつけて)
ネタバレしないような所感を書こうと思ったのですが、何を書いてもネタバレになってしまいそうで、もうネタバレありで書いてしまおうと思います。未読で今から読もうと思っておられる方は回れ右してくださいね。
多様性に思うこと
この本で描かれているのは、多様性として叫ばれているものの外側の方のお話です。「水」に性的興奮を覚え、他の人たちがいう「普通」の感覚がわからない。放って置いてほしいのに、「まとも」な人たちは、自分と違うものを拒絶する。その人たちからすると、“多様性を受け入れる”ということ自体がマジョリティ側の傲慢であり、受け入れられる方も、マイノリティ側のマジョリティなんだと。
多様性、で括れない人たちが小説の中だけでなく現実にもいるかもしれない。多様性ですらマイノリティ側のマジョリティなのだ、と言われると、自分の考えの浅さを思い知らされる思いでした。でも、例えば小児愛者を受け入れられるか、と言われると、自分の子供が生まれた今やはり嫌悪感は感じてしまいます。(気に触る方がいらっしゃったらすみません…) 何に性的興奮を覚えるかは人それぞれだと思いますが、でも守らなければならない社会のルールもあるし、でも社会のルールもマジョリティ側が考えたものであるとしたら……。あぁあぁー、もうちゃぶ台をひっくり返したいほど頭がモヤモヤします。難しい。。
多様性の中でマジョリティであり続けること
また、印象的だったのは、多様性の中で生きていく不安をマジョリティの人たちは感じているんだ、という文。多様性の中でマジョリティで居続ける事は最早マイノリティなのだと。思えば、教育改革実践者の藤原和博さんがおっしゃられている有名な言葉がありますよね。その分野で100人に1人の人材となれたら、それを3分野持てると100万人に1人の存在になれると。
話している内容は全く逆ですが、多様性の中でマジョリティでいることのマイノリティと言われると、藤原さんの話を思い出してしまいました。
輪郭がはっきりしない不確かなもの「セックス」
小説の中の主人公たちは、水に性的興奮を覚える方々なので、普通の性行為に対し興奮することはありません。なので、飲み会の場で繰り広げられる下ネタの話題についていけず、異質な存在として認定されていくのです。
そこで、セックスの疑似体験を夫婦でしてみる場面があるのですが、そこでの表現がとても印象的でした。
個人の感情抜きに冷静に言葉にしてみると、性行為ってこうなってしまうんだ!とびっくりでした(笑)
確かに、と納得しました。
セックスの話だけでなく、人は自分が多数派であるかどうかを確かめるために、人に同意を求めたり確認したり、時には噂を流して異質なものを排除しようとしたりするのかと。
シャーデンフロイデ、という言葉もありますよね。同じような感じなのかな。ホルモン的にも、そういう性質があるのかもしれないですね。
まだ読んでる途中なので、読み終わったらまた記事にまとめようと思います。
不登校の子供がYoutuberになりたい、と言い出したら
一人の主人公の子供が不登校であり、小学生Youtuberに傾倒していきます。
私自身は、特に何か問題に巻き込まれる事なく、のほほんとした学生時代を過ごしてきました。多くはありませんが、今でも交流のある友達も出来ました。そのため、もし子供が不登校になり、このようなことを言い出したら、自分だったらなんていうだろうと考えてしまいました。
心を壊してまで学校には行かなくていいと思うけど、でも、友達と部活や遊ぶ学生時代ってかけがえのないものだとも思うし。
娘はまだ1歳、小学校に入る6年後とかには、勉強のやり方とかも変わっているのでしょうか。
何のために学校に行くのか。何のために勉強するのか。
娘がもう少し大きくなるまでに、一辺倒ではなく自分なりの答えを見つけたいと思います。
多様性の難しさ
もう今後、多様性って軽々しくいうことはできないな、と思いました。何を言っても、受け入れますよー、と上から目線になってしまう気がして。
結局、自分の辛さ、苦しさっているのは自分にしかわからないものだと思います。
前、朝ドラの「おちょやん」で、成田凌が「自分が辛いのであれば、他人がどう言おうと辛いんだ」というような事を言っていました。
誰が何を言おうと当人ではないし、寄り添うことができたとしても同じことを経験できる訳ではない。でも、人はマジョリティであることを確認し、繋がりを求めてしまう。
せめて、自分の考えを人に押し付けないように、また人に安易に引っ張られる事がないように、自分の軸をしっかり持って、勇気を持って相談してくれた人にそっと寄り添える人間になりたいなと思いました。
何だかすごく悩んで書いた割にまとまりのない文章で、しかも小説の魅力を全然伝えきれていない気はしますが、、、
ぜひ読まれた方、感想教えてください。
とりあえず、もう一度「流浪の月」を読み返したくなりました。
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