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5.【こだわりについて】

こんにちは。
何となく日記を書きたいなと思って手を動かしています。
ただ独り言ではなく、50%くらいは誰かに話しているような。
そんなイメージで書いていきます。

自分にあった事。
自分の感じた事。
自分の考えた事。

自分の中ではなくて、オンラインの世界に置いておこうと思います。
これを読んだ誰かが、少しでも楽になればなんて思って。

お見送りを受けた

分かっていてもお見送りを受けるとメンタルやられます。
自分を否定されているわけではないと理解はしていても、自分の心は傷つけられたと反応してしまいます。
反応は選べると分かっていても、落ち込むものは落ち込みます。

ちょっと落ち込んでから、日高屋でラーメンを食べて、外に出た時ふと思いました。

「今持ってるこだわりって必要?」

自分には転職活動に当たって具体的な軸があります。
ただ、どんな理由を持ってその軸をも設けたのか、ちゃんと考え直す必要があるなと思いました。

そう思って理由を詰めていくと、最後に残ったのは「他人に認められたい」という欲望でした。

他人に自分を紹介する際、就職先ややっている仕事を胸を張って言いたい。
それで持って「すごいね」と言われたい。
そんな欲望が根底にありました。

所謂、承認欲求というやつです。
その欲求が自分のやる気を奮い立たせて、ポジティブに進んでいく原動力になるならそれでも良いと思いますが、その欲求を基に立てた方針が自分を傷つけているのは、なんだか人生勿体ないことをしているなと思いました。

こだわりがいけないのではなく、こだわりを持つ際に自分が何を根拠にしているのかを大切にしよう。
そんなことを考えた夜でした。

ところで自分、どうしたいの?

幼い頃、希望を聞かれるとどっちでもいいと答える子供でした。
やがて大人になって、やりたいことや目標を聞かれると、咄嗟にそれっぽいことを言えてしまう人間になってしまいました。

なので他人からは「意識が高くてしっかりしている」と言われることが多いです。
実際は全くそんなことないのですがね。

加えて、自分の発言に責任を感じすぎるという変に真面目なところがあるので、一度言ったことは結構がんばります。
結果的に結構メンタルやられます。

人の目を気にしてしまうとちゃんと自覚するようになったのは社会人になってから。
少しはマシになってきましたが、未だ、反射的に人の目を気にする言動をとってしまうことが多いです。

自分を追い詰めているのは誰でもない「自分」であるので、一人になった時よく自分に聞いてみることにしてます。

「ところで自分、どうしたいの?」
「自分にとって何が幸せなの?」

他人の目を気にしてしまうことを「ゼロ」にはできないと思ってます。
むしろ、そんな性質のお陰で周りから信頼されるようになったとも思ってます。
しかし、他人軸で生きるのは結構辛いです。

なのに、いざ自分がどうしたいか考えてみると、「どうしたいんだろう」と考えてしまいます。

ずっと自分の声をふさぎ込ませていると、自分の声が聞けなくなります。
言葉にできなくなります。
結果、何でもいいかなとか考えてしまい、また他人軸に帰って辛さを感じるという負のループに陥ります。
私の場合はですが。

なので、自分が思ったことはなるべく言葉にして捉えようとしてます。
ずっと無視して聞こえなくなった自分の声を、ちゃんと聴けるようになるため。

長いのでここまで。
気が向いたら自分の思いの言語化をしている時の変化も書いてみようかな。


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