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自分を縛っているもの。母として、女性として、大人として…種類分け、役割、差別のあれこれ

今日は、

「カテゴリ分け」によるデメリット?

というようなテーマで思うことをお話ししたいと思います!(笑)

 

きっかけは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著)を読んだことによる思考の広がりです。

 

ちょっと無理やり私なりの観点に繋げてますので、

強引な解釈もあるかもしれませんが(^^;)、

温かい心でお付き合いいただけると嬉しいです。

 

またまた私の価値観全開のお話にはなると思いますが(^^;)、

1つの考え方として少しでも参考になれば幸いです😂

 

それではよろしくお願いします! 

あなたの「カテゴリ」はなんですか?

早速変な質問をしてますね😂

 

すいません(笑)

 

ここで言うカテゴリーは、

種類わけ、、、つまり、

「日本人」

「母親」

「大人」

「女性」

というような意味合いで使っています。

 

 

私は、

子供が生まれて自分が母親になってから、

「母として」

の顔を持つようになりました。

 

そして周りからも、

「○○君のお母さん」

と言った感じで、

数ある「お母さん」の中でも、

もっと細かく種類分けをされるようになりました。

 

もちろんいろんな顔が他にもあります。

 

大人としての私。

母としての私。

仕事場での私。

女性としての私。

 

子供が生まれると同時に、

「○○君のお母さん」と呼ばれるようになり、

下の名前ではほとんど呼ばれなくなったりもします。

 

 

「大人」としての顔も持ちつつ、

子供がいると、

ただの大人というよりは、

「子供がいる親(大人)」と言ったような感じで、

プラスアルファの価値観がくっついてきます。

 

 

そしてそれらをもう少し俯瞰した場所から見ると、

「日本人」

という顔も持っていることになります。

 

 

そしてもっともっと遠くから見ると、

「人間」

という風になるんですよね。

 

 

ちょっとわけのわからないこと言ってるかもしれませんが(笑)

もう少しお付き合いください(笑)

 

 

私は先日、

「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本を読んで、

いろんなことを考えさせられました。

 

本当にとても良い本でした。

 

そこにはいろんな現代の問題が書かれていました。

 

人種差別や、階級差別、

日常で実際に起こっているいろんな問題、、、

 

私は日本で生まれ日本で育ちました。

小さい頃から「差別はいけないよ」「みんなで仲良くしようね」というようなことは、

親からも学校からでも学んできました。

 

なので当たり前のように「差別はやってはいけないこと」というのは、

自分の価値観の中にありました。

 

 

そして今、

私が住んできた周りの環境では、

そこまでそういった差別に関するようなことは経験することが少なかったので、

「そんなにないものなのかな」

と、なんとなく思っていたのですが、

 

ただ見えていなかっただけで、

実際にはたくさんあるし、

しかも世界中で結構身近なところで、

日常的におこっていることなんだなということも本を通して改めて気づきました。

 

 

そういった本の内容から、

「日本人として」

「母として」

「女性として」

というようなワードはちょっとかけ離れている気がするかもしれませんが、

なんとなく私の中ではそれらがちょっと連動したような気持ちになりました。

 

 

「本来はどんな人だって「人間」という視点で見れば一緒なのに、種類分けすることで差別がおこってしまうきっかけになるのかな」

  

と思いました。

 

 

人種差別とか、

階級差別とか、

今までの歴史があったりするので一言ではそう簡単に解決できるような問題ではありません。

 

それぞれの背景がありますからね。

 

そして多分、

私が思うには、

白黒はっきりさせて解決!

というのが正解ではなくて、

白だったり黒だったりグレーだったり、

それらをお互いみんなが行ったり来たりしながら、

自分自身にも問い続けながら、

お互いを人として認め合って、

尊重しあっていくことが大切なんだろうなと思いました。

 

 

そんな色々の思考の巡りから、

リアルな、

自分が普段経験していて思っていることへと、

テーマが移行していきます。。。 

 

「カテゴリ分け」のデメリット

先ほどお話したように、

みんなそれぞれ色んなカテゴリに属して、

というか、

自分でそのカテゴリにいるんだなと自らがそう思ったり、

周りの人たりに勝手にカテゴリ分けされたりして、

みんなそれぞれがいろんなカテゴリに属しながら、

日々日常生活を送っています。

 

そしてカテゴリ分けするともれなくついてくるのが、

「○○はこういうもんだよね」

「こうあるべきだよね」

といった価値観です。

 

これは、

自分自身がもともと持っている価値観だったり、

その時の世の中の常識とされている価値観だったり、

いろんなものが入り混じっています。

 

 

ただこの、

「こういうもんだよね」

「こうあるべきでしょ」

というようなもののなかで、

「これは自分の昔からの考え方の癖だったり、親からの刷り込みだったり、単なる思い込みだ」ということに気づけば、

そういったカテゴリにくっついてくる価値観の縛り付けからは抜け出せることができるのですが、

 

周りからの価値観の圧力というのは時として厄介なものがあったりします(^^;)

 

 

かなり飛んだ考え方になりますが、

「カテゴリ」で分けるからこそ、

「そこのカテゴリにくっついている役割までも」が求められるわけで、

 

「いっそのことをカテゴリ分けがなければいいのにな」

と思ったりしました。

 

 

母親とか、

父親とか、

男性とか、

女性とか、

大人とか子供とか、

先生とか、他にも色々、

とにかくいろんなカテゴリー、種類分け、そして役割があります。

 

 

分けることはもちろんメリットもあります。

 

役割分担することで、

作業がはかどったり、

効率化できたりしますからね。

 

でも、

細かく細かく分けすぎることで、

それが「絶対するべき」というようなものになってしまうと、

やはり窮屈です。

 

そしてその枠組みから外れてしまうと、

「ジャッジ」が下されたりすることもあります。

 

 

そう考えると、分けるところまではいいのですが、

細かく分類しすぎて、

あまりにも型にはめ込んでしまったり、

 

種類分けされたそのカテゴリーの中でも、

優劣がつけられてしまうと、

そこからジャッジが始まったりして、

差別にも繋がったりして、

そこでまた分裂が起こったりもします。

  

 

「日本人」として誇りを持つことは大切ですし、

「日本人同士の仲間意識」が芽生えるのも悪いことではありません。

 

 

母としての誇りを持つのも悪いことではないです。 

 

 

ただここでも、

母親というカテゴリーをさらに細分化していって、

その細分化されたところでそれぞれが仲間意識を持つと、

「そうじゃない人たち」に対し、

よからぬ感情がわいてしまったり、、、

ということもあったりします(;゚Д゚)

 

 

やっぱりここでも何が問題なのかというと、

「自分や自分の仲間以外の人たちに対してのジャッジ」

があるかないかで、

変わってくるだろうなと思いました。

 

 

いろんな役割分担をすることは本当に大切なのですが、

その前に、

「私たちは同じ人間で助け合うのがあたりまえ」

という大前提がないといけないんだろうなと思います。

 

「言葉」が無意識に私たちに与える影響

 

言葉が無意識に私たちに与える影響って大きいですよね(^^;)

 

例えば、

「私は二児の母です」

と言われた時点で、

その人に対して、

「母親なんだからこうだよね」

と言ったような無意識のイメージがどうしても課せられてしまいます。

 

 

しかもそれは人それぞれ、

持っている価値観が違いますので、

いろんなイメージをもたれてしまうということですよね。

 

 

そういう意味で、

言葉が持つイメージの圧力も結構あります。

 

 

その「言葉」に対してみんなが同じ共通の認識であればいいのですが、言葉によっても、人によっても微妙に違ったりもしますよね(^^;)

 

そういうのって、

話し合いをする時でも大事な視点で、

「そもそも今話し合っていることは同じイメージ、共通認識を大前提にして話せているのか?」

と考えることって大切です。

 

 

話がそれてきたので戻します(^^;) 

  

 

カテゴリ分けをすること自体が悪いことではないのですが、

細かく分けすぎてしまって、

そこの枠にはめ込んでしまったり、

ジャッジが入ってしまうと、

どうしてもおかしくなってしまうなぁと思います。

 

 

そんなこと思っていたら、

いっそのこと、

「細かく分けずに「人間」でいいやん!」

と思えてきたんですよね(^^;)(笑)

 

 

人種分けとか、

種類分けとか、

そういうことはせずに、

「幸せに生きるために共に協力し認め合う人間同士」

という認識だけでいけたら、

 

人種差別で言ったら、

私は日本人だからとか、

私は○○人だからみたいなことはなくて、

大きなカテゴリーの中での仲間として考えることができるんじゃないかなと思ったりしました(^^;)

 

 

もちろんそこでも、

人が集まれば集まるほど、

「差別」的なことは出てくるとは思うのですが…

 

 

私たちに刷り込まれている価値観を、

一旦リセットできたらいいんですけど、

そういうわけにはいきませんよね(^^;)

 

 

そう思うと、

私にできることは、

子育てをしている身として、

子供達には、

ニュートラルな視点で物事を伝える努力をしていかないといけないなと思います。

 

 

親が差別的な価値観を持っていると、

子供も自然とそういった価値観を持つようになります。

 

なので家の中でも、

できることはあります。

 

 

昔の日本の価値観のような、

男性の方がえらくて、女性が男性を立てると言ったような価値観も、

その家庭のお父さんとお母さんの夫婦関係を子供たちは見ながら学んでいると思います。

 

 

なので、

ニュートラルな視点を伝えようと思ったら、

夫婦関係もそういったニュートラルな関係で普段からコミュニケーションを取ることが大切だなと思います。

 

 

家の中の家事だって、

「お母さんがするのが当たり前」

という感じにするのではなくて、

お父さんも当たり前のように手伝って、

「家族はチーム」

と言った価値観のもと、

みんなで協力していけるような関係性を構築していくことが大切だなと思いました。

 

 

どちらが上とかどちらが下とか、

どちらが偉いとか偉くないとか、

そんな価値観は置いといて、

 

みんな横の関係性で公平なんだと、

そういった姿勢を自分自身がしっかりと行動で示して行くことが大切ですね。

 

 

本を通していろんな気づきがありました。

 

 

学んだだけではなくて、

行動に移していかないといけません。

 

 

本を読むことで、

普段は体験できないことを本の中で体験し、

知識としてそれが自分の中に入ってきました。

 

それを知った上で、

これからはまた行動を選んでいくことができます。

 

 

そう思うと、

いろんなことを考えるきっかけになる本はやっぱりすごいなと思います(^-^)

 

 

いろんなことをつらつらと書きましたが、

この考えが少しでも何かのきっかけになれれば幸いです!

 

 

人生は白黒はっきりつけられるものよりは、

ほとんどがその間のグレーなものばかりです。

 

その中で自分自身が、

どう思いどう行動を選んでいくのか?

 

自分が悔いのないように、

選んで行動していくしかありません。

 

誰かがこう言っていたからとか、

多数派だから安心とか、

そういうのではなくて、

自分の中でしっかりと考えて、

その中でも白や黒やグレーを行ったり来たりしながら、

考え続けて行動し続けていくしかありませんね。

 

 

私も、

気を引き締めて、

やっていこうと思います。

 

最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました(^-^)

おまけ

今回読んだ本で感心したのが、

ブレイディみかこさんの息子さんの冷静さとやさしさです。

 

大人よりもしっかりしているというか、

会話の一言一言が深くて温かくて、

素敵なお子さんだなと思いました(^-^)

 

息子さんとの会話が本当に素敵で、

いろんな話ができる親子関係が本当にすばらしいなと思って読んでいました。

 

私も普段からいろんな話をしていこうとおもったのですが、

その前に!(笑)、

まずは息子たちの話を沢山きいてきいて、

聞きまくって(笑)、

そういった事を積み重ねていったのちに、

そういった会話につながっていくんだろうなと思います(^-^)

(相手からの「この人はしっかり話を聞いてくれる!」という信頼関係がないと、そもそも深い話もできないですからね(^^;))

 

子供たちとのコミュニケーション、

本当にこれからも大切にしていこうと思いました(^-^)

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