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一方、ペンギンはおしゃべりを再開した

上野でクリントイーストウッドの最新作「運び屋」を見てきた。イーストウッド作品は2000年代以降はだいたい映画館で見ている。学生時代に凄いシネフィルがいてそのひとの影響である。ま、俺もアメリカ映画で卒論書いた人なので。いま、イーストウッドを見ることは、本当に人生まさしく終焉を迎えようとしている存在を見ることでその緊張を味わいにいくという感じがある。90歳で監督兼主役とか異常なことである。写真は上映後に食べた贅沢さくらソフトクリームである。

さて、書簡を面白く読んだ。思い出の地大阪のイベント、俺がその場にいたらいぬ氏とともに俺も騒いで協力したくなっていたのではないかと思う。東京ではこんなサポートやらない。なんででしょうね。スケール感が好きなんだよね、大阪とか関西の。私ごと感でやっている手弁当イベントなのがまた良いよね。意識高い、と揶揄する前に踊ることで楽しまなきゃと思えるのは本当に大阪という都市の良さだと思っている。個人的にはそれがまちの「サイズ感」というように思っているというわけ。

タイトルのおしゃべりの再開、というのは、コミュニカティブになりつつあるという現在を表している。おしゃべりせずに実践だ、ということに対してのちょっとした皮肉である。おしゃべりすることが俺の社会復帰であり実践という状態を表してみた。

近況でいえば、お呼びがかかったり、お呼びをかけたりして人に会う機会が増えてきた。前の職場の人とランチしたり、いろいろな人とおしゃべりしているうちに、機会を得て小さくマイペースに仕事をし始める機会を得ている。あれだけ頭でっかちになって考えていた副業、もとい複業が自然とテイクオフ出来てきたというのが驚きである。こだわりを手放してこそ手に入るものというと言いすぎかもしれないが、フラットになれたことで一歩前進したような感覚がある。

仕事は、社会人になって最初に手がけたことの延長というか、まあいぬ氏がプロとしてやっているコミュニケーションの分野である。ブランディングやらプロモーションやらPRやら狭義にはいろいろと細かく分けられるだろうが、平たく言って情報発信のための企画とそのうち実践、というものである。人事、は少し絡んでくると思う。凝り固まったもの(仕事へのこだわりとか負の感情)を1年かけてほぐすどころか解体してきたので、ここからまた再構築する感じか。

おしゃべりはするけれど、アレコレと考えすぎることは控えめにして、動き出して見るか、というフェーズにきているようだ。1年のお休みというのは大きいが、もうひとつ、どうやら早期退職的な制度が出来たようであることで、おしりを意識したこともひとつ大きい。もって50歳、だったら怪我しすぎないように好き勝手やって、生活基盤を出来るだけつくりあげつつ、50歳から夢・目標にしている「居場所づくり」をいっちょマジに目指そうと思えたことがある。居場所、というあいまいな言葉にしているが、多少具現化して考えてもいるものがある。

そう思うと、働き方を複線化してリスクヘッジしていったり、育休で生活ダウンサイジングを試して見たり、内外的にも行動で「ブランディング」したりしていることは悪くない行動なのかもしれない。あと、投資でマジに金を利殖しようとしていることは、眉をひそめられようとも野望だから、体裁でなく俺の問題として還元できる。そもそもリスクとるの俺だし好きでやるんだから関係ないし。

いささか勢いよく書いてみたが、まあそんなに日常は変わっていない。ただ、これからの半年がこの1年の葛藤を経てこれまでより濃密に過ごせそう?なのではという良い予感がある。春だからか。リミットにしたことで、育休のひとまずのお終いも見えてきているしね。

つまるところ、いろんな人のノイズを排除して残るだろうことは、俺にとって働くことは、生きるためのオカネ問題程度の意味しか付与されないものということだった。正味、今はそうで、マズローの発展よろしく社会的意義とか高次の次元に行くのはそういう心配が薄れてきてからなのかもしれないと思う。

(最近の人びとの社会貢献云々への志向の高まりに自然なものを感じないのは、こういった欲望を錯誤して一足飛びに「善」ぽいことに仮託しているからではないかなと感じている。もちろん、イキナリ社会貢献=欲望の対象という、ニュータイプのワカモノもいるというようには思うのだが。余談)

いつも書いていることを今回もまた書いてしまったけど、それだけこの1年で発見した感をもっていることなのかな、と感じています。ではまたDag.

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