自己をまもる
自己を護る者は他の自己をまもる
だから自己をまもれ。
そのような人は常に害を受けることなく、 賢者である。
出典:『アングッタラニカーヤ』
ブッダのことばを、瞑想と照らし合わせて自分なりに考えてみました。
自分をまもるってどういうことだろう…保身や自己中心ということ?…自分に関して、ネガティブなイメージをけっこう持つことってあります。しかしそういうイメージも、よくよく分析すると根底には他者との比較や幼い自分への言い訳が内包されているようにも思います。
ほんとうに、自己をまもるとは?
それは自分の心を平和な状態にすること…
これには二つの状況を確保することなのかも、と私は思っています。
ひとつは、集中できる時間をとること。
もうひとつは、観察できる時間をとること。
集中できる時間…私にとっては、最近では絵を描いたりライティングしたりする時間です。
これをしているとき、私は「生きててよかった~!」と感じられて、最高にハッピー!ということを感じる。
そして、自己観察の時間…つまり私にとっては瞑想の時間をとる、ということ。内観をすることで、自分の心に気づいていきます。手動瞑想や、指先瞑想などもこの時間になります。
そしてその延長で、日常生活の中で自分が怒ったりイライラしたり、または喜んだり悲しんだりしている心の様をなるべく良い悪いのジャッジを抜いて観察するようにします。
この二つをしていくと、あら不思議、自分のことをしているのに、他のひとがどんなきもちで日々生きてるのか、同じように客観的に観察できるようになってきます。
怒る上司、イヤイヤ期のこども…あちらの感情に飲み込まれる前に、自己が守られて安定していると、観察というワンクッションを置いて、対応できるようになります。
このことが「他の自己をもまもる」という意味なのかもしれません。
そして、かなえなれないのぞみが相手にはあるのだ、という理解をする余裕もでてきます。
受容的態度が、自己をまもるひとにはできるようになる。
https://www.instagram.com/p/BOq5_Swgc2j/
さて、この絵は、瞑想で自分を観察していくと、他の人にも私と同じような心の作用が働いているんだなーと気づいたところ。
主に子育てで、これは役立ちます。
頭ごなしに叱ることはなくなってきました。
なにかトラブルが起きたとき、トラブルの事象の前に子どもの心にふっと目がいくようになるからです。
「あっ、この子はわざとではなく間違えてこぼした、そして、しまった!と反省している…」
「あっ、この子はイタズラしてる。眠いか、さみしいから遊んでほしいんだな…」
なとなど。
コラッ!ではなく、どーした?という姿勢を自分は持てるように、近頃はなってきたかも、と思う今日このごろなのでした!
☆まるっ!☆
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?