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トータルで見る

「クローズアップは、たんに一つの感情を表すにすぎない。 大切なのは全体のシーンの雰囲気をみせることである。 一つの役がどれだけ重要でも、それは全体の一部に過ぎない」チャーリー・チャップリン

凡夫である私であります。
瞑想で、以前に比べるとだいぶ落ち着いてものごとをとらえられるようになってはきているものの、やはり意見の食い違いなどは何かとでてくるものです。

それでちょっとケンカなどしてしまうのですが、ケンカについても以前より感情的にならなくなってきたようにおもいます。

本日の絵はこちら。

https://www.instagram.com/p/BPzDuxpgIpj/

感情的な怒鳴り合いは、結局怒りのアドレナリンの放出の快感に理性が追いやられている状態なんだな!と、最近感じるようになりました。

怒りからうける周りの弊害は多数あります。
怒りを受けた側は、恐怖・不快感・不安感を持ちます。

私自身、幼少期の記憶の中にある父親の怒りについて、トラウマ的な苦しさをずっと持っていました。

怒りはやっぱりダメっすよ。

でもそう頭ではわかっていても、大人になると、叱ることと怒ることがまぜこぜになってしまいがち。

口論に関しても、冷静さを欠くと結局は相手をどうやりこめるかの競争にしかならない。

そんなときハッと我にかえって、建設的な回答のでないケンカはやめよう、と気づく力が、大事なのかも…と思いました。

感情の場に流されて自分まで感情的に振る舞うことはない。

自分の心のホームは安全が保証されています。
かき乱された感情について、客観的に見ることで、自分の安心感がよみがえります。
そうすると相手のいいぶんも聞けてくる余裕ができる。

そんなことを描いてみました。

一時期感情的にやりとりした相手でも、チャップリンのいっている言葉のように、全体の一部のことでしかない。
時がたって全体のシーンを見てみると、一時的なクローズアップのトラブルも、無常の一部でしかないと気づきます。

自分の観察をする。
そして妄想や感情的なものを手放していく。
そうすることで、トータルというものを感じる力がつくなあと思った今日このごろなのでした。

☆まるっ!☆

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