過去の悲しみも未来の不安も、ここには存在しない
仏教。
苦を苦でなくする技術が、仏教にはある。
苦が消えた世界が、楽な世界。
抜苦与楽。ばっくよらく。
ポイントはマイナスからの脱却です。
決して「天国」を目指すものではない。プラスを目指さない。
ニュートラルを知る旅です。
苦しみの認知があって初めて、仏教はかたわらに寄り添う。
したがって、ハッピーなひとは仏教をあんまり必要と思わないかも。
過去のトラウマ。昨日の憂さ。未来に待つ死。明日のゆううつ。
今日はっと気づくことがありました。
なんだかもやもやした気分をよく観察したところ、今ここにいない人のことを考えていた。
あの人はまだ怒ってるのかも。
また不機嫌なあの人に会うと、いやな気分になるかも。
過去の経験から未来の予測を勝手に立てて、妄想してしまっていたのです。
勝手にその人のストーリーが浮かぶ…小説なら良かったのかもしれませんが、実在の人物の妄想です。
ノンフィクションのうちにフィクションが頭の中で苦しみを生んでいた。
取り越し苦労という言葉もありますが、本当にその通り。
考える必要のないことで、勝手に苦を生産しちゃってたみたいです。
今日の絵はこちら。
https://www.instagram.com/p/BQjxqGmFu5G/
蝶は、今ここにだけとまる。
過去未来に意識がとんでいるとき、それは今を生きていないことになる。
はた、と、その妄想に気づくと、そのような事実は、今ここ、この瞬間には一切無いことが判明する。
そしてありのままの現実が立ち上がる。
蝶との接触はリアルの象徴。
妄想の霧が晴れる。苦が抜ける。
そうすると、もし本当にその人と対面したとしても「この人は怒っていて不機嫌だ」というこちら側の構えが消えて、相手のことが思ったより朗らかに見えて、結果、いやな気分になるかも…という予測がおおいに外れる、ということに。
今ここ。
蝶がふと体にとまる偶然のように、妄想の切れ間を楽しむ。
妄想に気づいて手放すだけで、もう苦しみのストーリーを構築しなくてもいいんだとわかります。
それがわかると、今度は全く新しい意識がはじまる。
違う人生のスタート。
抜苦与楽。
気づきの瞑想で、また一つ楽を得たのでした。
☆まるっ!☆
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