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テトリスにハマる自分を観察する

テトリスご存じですか?

現代には様々な種類のテレビゲームがありますが、どうも私は単純パズル系が好きなようであります。

子どもがゲームをやりたがるようになり、Webで配信されているパソコンの無料ゲームなど、覗いてみる機会が増えたのです。

はじめは、ふーん、テトリス懐かしいな~、でもそんなに興味ないわー…という具合だったのですが、なんかハマってしまいました!

簡単にクリアできるところから始まり、だんだん難しくなっていく。はじめはカンターンなんて小馬鹿にしていたのが、あれ…なんかクリアできなくなってきた…悔しいな~腹立つね、クリアするまでやるぞ!と、あれよあれよとハマる訳です。

運良くマインドフルネスにふれていた私。ハマる感覚に気づくことができました。

ハッ!!これってもしや、とんじんち!

貪瞋痴(とんじんち)とは仏教用語で「心の三毒」のこと。
「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「痴(おろかさ)」…

まんま三毒に犯されかけていました。ああ、瞑想やっといてよかった。

たしなむ程度で止めて、パッと電源を切りました。

先日Twitterをしていたら、トラウマ思考を手放す事について気づきの瞑想がとても有効であるというやりとりをプラユキ師のツイートの中で見かけたのですが、そのことに関して私も体験として知るエピソードがありました。

小学生のときクラスメート女子全員に無視された経験があり、それ以来女子の団体に苦手意識を持つようになりました。

そして、瞑想するようになるまで、児童館もなんとなく落ち着かない場所でした。そう、ママさんたちという女性がたくさんいるからだったのです。

しかし今日児童館に行ったときに、どんより気分の自分にハッと気づくことができました。
この、気づきの瞑想というのは不思議で、気づくだけでふっと苦手意識が解体されるんですね…
「女性を苦手としている自分」は観察対象となり、そのような自分は無常です。常にあるというのは幻。つまり「いない」。

パッと光がさしたような、何で今までこんな気分抱えてたんだっけ?という気持ちになり、まー、楽になった…別に無理に気を使って疲れなくてもいいんだ、と気づけたというか。

観察の視点を自分に持つことで、そこに完璧な静寂がある…そんなイメージです。
それを今日、詩に書いたりもしました。 
思考の横糸|chocopan|note(ノート)https://note.mu/chocopan/n/n3f950f2e7645

今日の絵はそんな気づきから得た「いまここ」に関して。
https://www.instagram.com/p/BQMkEXEF9_h/

ハッキリと、我に返って覚醒しているいまここの瞬間。
観察と気づきによって得ることのできる安全地帯なのでした。

さて、ここでまた一つ気づいたのが、トラウマの記憶は基本的に不快を伴うものなので、手放しやすい!
比べてテトリスの魅力…恐ろしいですね…もっともっとやりたいというこの執着心。

たしなむ程度に、気づきの瞑想をともなってうまく手放しつつ楽しめたらいいなと思うのでした…(笑) 

☆まるっ!☆

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