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ただただ文体を味わう豊かな時間

どうも、マーケターのエルモ(@elmo_marketing)です。

今日は、淡々と思うがままに文章を書いていきます。

利益の見込める情報収集ではなく、ただアート観賞のよう読書もまた、心を豊かにするのではないか、そんな話です。

読書は新しい情報との出会い

 僕は基本的にビジネス書しか読みません。小説やエッセイは1年に10冊読むか読まないか。そんなもんです。

 なぜビジネス書ばかりを読むかというと、「新しい情報」「機能としての情報」をつねに求めているからだと思います。「この知識を知っているかどうか、その違いが勝敗を分けるのではないか?」そういった恐怖感や義務感が僕を読書に向かわせています。

 また小説も、ある意味では、「新しい情報」を獲得する手段です。ページをめくるたびに新しいシーンがやってきて、一冊を読み終える頃には、ストーリーを通して新しい世界観・情報が自分にインプットされる。


 ビジネス書も小説も、新しい世界を自分に仕入れるという意味で、1つの情報収集なわけです。

ただただ文体を楽しむ贅沢な時間

 ところで、あなたには、好きな文章・文体がありますか?

僕が何度も何度も読みなおしている本に、松浦弥太郎さんの「センス入門」があります。

 この本は、松浦さんが考える「センス」についてまとめられた一冊です。「センスとは何か?」「良いセンスを身に付けるにはどうしたらいいのか?」といった内容が綴られています。

 昨晩、お風呂につかりながら、この本を読んでいました。さすがに何十回と読んでいると、どのページに何が書かれているのか、次にどんな情報が入ってくるのか、ある程度分かるようになります。

そのときにふと思ったんです。

 なんで俺、次のページに何が書かれているのか分かっている本を、わざわざ読んでるの?。

そんな自分に気付いて、ハッとしました。

この瞬間は、新しい情報を仕入れるためではなく、ただ「松浦さんの文体を味わいたい」その一心で、この本を読んでいるのだなと。

 読書には20代を過ぎてからハマりだして、いろいろな本を読んできました。ただこれまでの僕の読書は、前半で説明したような「知的好奇心を満たすため」の情報の仕入れ作業でした。それがいわゆるビジネス書の乱読です。

 そして今回感じたのは、情報のインプットではなくただただ文体を味わう、読書を通じてアートの世界観を体感する、そういう読書の面白さです。

 機能的な情報を仕入れるだけではなく、アート鑑賞の一環として本を読む、そんな読書時間も良いモノだとふと思いました。

 ぼくはまだまだアートセンスの欠片もなく、何が美しいのか判断もつきません。それでも、読書を文体を味わう時間として楽しめるようになったのは、1つ大きな発見でした。これからも、美しい文章に出会っていけたらいいなと思います。

センス入門の一節をご紹介

 最後に、「センス入門」で好きな文章を引用して終わりにします。書くことについて、そして何より、松浦さんの文体を楽しんでいただけたらと思います。

 人が何かを考える過程のなかで、書くという作業はとても大事です。

 僕のなかでは、「書くこと」が、すなわち「考える」ということなので、思考においては、書かなければ前にすすめないこともあります。

 自分の頭のなかでふわふわ漂っている、非常に感覚的なものをつかまえて、ひとつひとつ言葉に落とし込んでいくというのが「考えること」だと僕は思っています。つかまえてきて言葉にしたものを文章にしていくと、さらにいろんなものが見えてきます。

 文章を書くということは、たいへんな集中力がいることですし、時には苦しいことですが、その末に生み出されるものは、純粋な自己情報です。ひょっとしたら何の利益ももたらさないこともあるかもしれませんが、どこかからもってきたものではない、完全な自分のものです。

 残念なことに、ここ最近の傾向として、多くの人がものを考えなくなってきているように思います。下手をすると、そのうち「考える」ということばは死語になってしまうのではないか、とすら僕は感じています。「考える人である」というのは、「美徳」のひとつです。考えることができる人は、間違いなく魅力のある人で、センスのいい人です。

 余談ですが、自分が好きな文体を見つけて、その文章を徹底的に読みつくすことは、文章力向上に大いに役立つと言われています。「書く力」を身に付けるなら、乱読より良い文章に繰り返し触れるのも一つの手だと思います。

ではでは、ご機嫌よう。


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