想いの強さ

今回の地震で柳さんのツイートを見かけて、そういえば福島に住んでらっしゃるんだった、と思い出した。


実は、正直に言うと柳さんの生き方があまりに激しすぎて、この方のことをこれまであまり好きになれなかった。なにか話題になるたびにどうしても色々考えさせられてしまうということもあった。それならあまり気にしないようにしようとなんとなく脳内で距離を置いていたら、いつしかすっかり存在自体を忘れてしまっていたのだ。だから昨年全米図書賞を受賞なさったことも全然知らなかった。(こうやって文字にするとひどい感じがするけれどたぶん、自分と直接の知り合いでない存在との関わりをリアルに考えたらこういうこと)

でも今回、誰かのリツイートで柳さんのことを思い出し、なんとなくあれこれ調べたり、今夜のNHKニュースのインタビューを見たりしているうちに、柳さんの想いの強さに、やはりどこか惹かれている自分がいる。


柳さんの作品との初めての出会いは『魚の祭』という戯曲である。当時、図書館通いが大好きだったわたし。ふと目についてパラパラとめくりだしたら止まらなくなった。でも、同時に「これは家で読んじゃいけないな」という感覚があった。借りられないから、その場で立ってものすごい勢いで読んだのだけれど、読み終えたときその場にしゃがみ込んだような記憶がある。どうしていいかわからなかったのだ。なんだか、大変なものを読んでしまったような気がしていた。なんというか、自分の心がざらざらとするような。
けれど一方で、どこか惹きつけてやまない部分もあって他の作品を読みたくなった。当時、図書館にある何冊かの本を、やはり借りずに行くたびにこっそり読んだ。

その後、なにかのきっかけで柳さんがTVに出ていたことがあり、たまたま一緒に見ていた母が「わたしこの人あまり好きじゃないわ」と言った。そうだろうな、と思った。わたしも、生き様を知れば知るほど、どうしてそんなことができるのかと思ってしまうことの方が多かったし、どちらかと言えば好きな人とか尊敬する人という分類ではなかった。そして図書館で本を借りてこなかったあの日のわたしは正解だったんだとなんだか妙に納得した。でも、あの鮮烈な読後感は決して忘れることはなかった。

そして時を経て、震災があり、さらに十年後また地震が起きたこのタイミングで、柳さんのことを思い出したのだ。久しぶりに画面越しに見る柳さんはこころなしか穏やかになられたような気もするが、作品に対する静かな執念みたいなものは変わらず感じられて、改めてすごいなと思った。こういう人のことを想いが強いとか、ブレない人というのではなかろうかと思った。わたしのこの十年の生き方と比べたら(比べるなんてまあおこがましいのだけれど)なんて芯が通っているのだろうか。
そして再び、柳さんの作品が読みたくなった。あの頃のわたしはまだきっと精神的に幼すぎていろいろ理解できていなかった部分があるはずだ。あれから大人になって少なからず辛い経験もしたなかで読んでみたら、どうなんだろうかと。過去に読んだ作品を読み返してみたいし、3.11以降のまだ読んだことのない作品も読んでみたい。たぶん明るい気持ちになるような感じではないだろうから勇気がいるだろうけれど。でも「闇で闇を照らす」とか、「世の中の歪みについて考える」とか「人が本を手にとるのは居場所がなくなったときではないか」とか、とても印象的なことばで話されていたのを見て、やはり読んでみたいと思ったのだ。

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