ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ひっさしぶりに、ブランコなんぞに乗ってみました。

こんなのどかな朝早い公園での待ち時間、ぼんやりとしていると眠ってしまいそうで
人もいなかったから誰も気にしてないだろうし、いいトシして恥ずかしいという気持ちよりも、乗りたいという気持ちが勝ってしまったのです。まさに、旅の恥はナントヤラ(旅しに来た訳ではないけれど)。

小さい頃のわたしは、ぶらんこが大好きで、家のすぐ近くの公園でもよく乗っていたのを覚えています。立ちこぎしたり、空を見るようにのけぞってみたり。大して運動神経よくないくせに結構おてんばで、できる限り勢いよくこいでは、調子に乗っておりました。

けれど、いつからから公園の遊具では遊ばなくなり、そのうち遊べなくなり、、、オトナになってゆくのですよね。

子供がいれば公園に行くこともあるのでしょうけれど、残念ながらわたしにはそういうこともなく。
かつて笑い声をあげていた公園を通りかかることがあっても、そこのブランコにのるどころか、中に入ることもほとんどありません。その公園は子供時代のキラキラした思い出の場所となり、距離的にはいつでも行ける近いところであっても、心理的には果てしなく遠いのです。

ほかの公園にブランコがあっても、乗ってる大人ははぼいませんから、乗りたい気持ちがふつふつとわいてきても「あれはこどものモノなんだから恥ずかしい」と自分に言い聞かせてやりすごしておりました。

一度だけ、その子供時代に通っていた公園に真夜中に行ったことがあります。ほんとに真夜中も真夜中、丑三つ時の頃でしたので、もちろん誰もいませんでした。そのときふっと思ったんです。

「今なら、乗れる!」

誰もいない夜中の公園で、ブランコにそっと腰をおろし、ゆっくりとこぎはじめました。まわりの景色が闇に溶けていって、頬に当たる風が気持ちよくて、そして懐かしくて、一心不乱にこぎながらいつしか涙を流していました。

ーーコワイデスヨネ。泣きながらブランコを一心不乱にこぐ妙齢の女。ホラーですよね、、、

でもそのときのわたしは、ちょっとおかしかったんです。そもそも真夜中に生まれ育った場所を徘徊してたんですから。さらに、こぎ終わってひと息ついて「もし今ここに刃物を持った屈強な男がきたら助からないな」と、自分の精神状況より存在していない暴漢が急に怖くなって急いで家に帰ったのは、相当だったのだろうと思います。

あとは、酔っぱらって、一緒にいた人を困らせたくなってこぎまくったこともありましたっけ、、、

精神状態が不安定なときに、それをカモフラージュするために揺れる乗り物に乗りたくなってしまうのでしょうか。
今日のわたしも、実はメンタルがちょいとヤられてしまっているのでしょうか、、、

でも大丈夫、仕事もちゃんとこなせたし、空を見て綺麗だと思えたし、食べたかった白えび丼に舌鼓を打ったし、今日真剣にブランコをこいだせいで微妙に筋肉痛になっていて、「もうブランコは無理して乗らなくてもいいかな」って思えたから。

ありがと。
すっごくたのしかったよ。

夕方、彩雲を見ることもできたし、きっといいことあるって信じて、おやすみなさい

わかるかな
左側のちょっと明くなってる部分がそう

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