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ひきこもりのわたしでも行きたいところがあるのです

初詣、どうしようかなと思っていたらあっという間に三が日はすぎ、仕事はじめで世の中が通常運転になり、さてさて、と思っていたら緊急事態宣言の再発令とは、、、

平日の日中ならもう比較的すいているのだろうけれど、わたしが行きたい神社が今度の連休中に限定の御朱印を授与しているとのこと。うーんそれならせっかくの限定のがほしいと思ってしまうわたし(不純)なんだけれど、宣言後になってしまうから迷う、すっごく迷う。おそらくそこまで有名ではない、知る人ぞ知る、な神社なのだけれどどうだろう。ぶっちゃけ、マイナーだからたぶん参拝客もうそんなにいないと思うの(失礼)。何度かふと思いたって参拝したとき(一月ではなかったけれど)、ほとんど貸切状態だったもの。

もちろん、お参りするだけでなくて家のなかでも折にふれてお祈り(と文字にしてしまうと、なんだかスピッぽかったりとある宗教の信者みたいなものものしい感じになってしまうけど、基本は神様仏様キリスト様なんでもありのカジュアルな感じね)はしている。最近めっきりココロが弱くなってしまってね。でもそれだけじゃやっぱり足りなくて神様にお願いごとをしにゆくのって、不要不急の用事になってしまうのかな。これは昨年秋に京都に立ち寄ったときにも思っていたこと。悩みなんてそれぞれ人によってレベルは違うから、そんなの誰にも判断できないことだとは思うけれど。でもそこに少しでも観光の要素が加わるととたんに“不要不急臭”がぷんぷんしてきてしまう。他人の目がどうこうというのもあるけれど、その前に「いいのかな、、」って自問自答で苦しくなってしまう。答えなんて出るはずないのに。

そんなこんなであれこれ考えていると日にちばかりがたってしまう。ほんと時間がたつのが速く感じる。一月からこんな調子だとあっという間に2022年になっちゃいそう。心の痛みとか、忘れたいことは時の流れが解決してくれることが多いけれど、コロナは時間が過ぎてもちっとも解決の方向に向かってそうに見えないね。

それでも、生活は続く。
やっぱり苦しいときのなんとやら、、、は必要だな。
近々ひっそり行ってこよう。

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