見出し画像

都会に暮らすということ

平和な九州出張をつつがなく終えて、東京に戻ってきました。


帰宅前に寄ったスーパーで、隣りにいる男性をふと見たら、会計を済ませたお惣菜のパッケージやペットボトルを念入りにアルコールを含ませたキッチンペーパーで拭いているのを見て、あぁそうだ、わたしはこういう場所で生活していたのだと、東京が汚染地帯のようでなんだかかなしくなりました。あまりにも地方との格差がありすぎて、、、
九州の某県ではハンドドライヤーが普通に使えそうな場所があって、使えませんという貼り紙を忘れたのかしら?なんて疑いながらそこを離れてしばらくすると、ヴォォオ〜オォーンって音が聞こえて、あ、使えるんだ、あの音久しぶりに聞くなぁ、なんて思ったり。出張先で外食するのがめちゃめちゃ後ろめたい気持ちになりながら店に入ると、なごやかにテーブルを囲んで談笑している人たちがいたり。

それが嫌とかけしからんとかそういうことではなくて、広い日本、やはりどこもかしこも同じ状況ではないのだと改めて気づかされました。逆にいえば、東京に住んで暮らすということを選択している以上は、窮屈だと思わずにやらねばならないことがたくさんあるのだということも。大げさにいえば、東京で生きてゆくには覚悟がいるというか。


そういえば、羽田でPCR検査のキットを配ってるのはどうなったんだろう、そんなの見かけなかったな、と思ったら

到着時間が遅かったからだわ、、、


たぶんまた近々クライアントから検査してくださいと言われるとは思うのだけれど。なんとなくね、帰りの電車とか、スーパーとか、やっぱり桁違いに人が多くて、いつのまにか必要以上に神経を尖らせている自分に戻っていることに気づかされてハッとしました。そう、東京は人をそんなふうに変える街なのだなぁと。いっぽうでわたしは数分おきに電車が来て、夜中でも明るくて、24時間営業しているスーパーも大手コンビニ3社も郵便局も複数の銀行も徒歩圏内にある便利な東京が大好きですし、帰ってきたことにほっとしているのも間違いないのです。

まぁ、こんなふうに感傷的というかあれこれ気になってしまうのは、久しぶりに羽をのばせた日々(あくまでお仕事絡みなのだけれどもね)が終わってしまったさみしさから来ているのでしょうねきっと。
とりあえず、雨に降られずに帰れたのだからよしと思いながら明日から続く日々をまた、粛々と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?