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誰かと食事をするということ

美味しいものを食べに行くこと。
それは、1人でも誰かと一緒でも、それぞれの楽しさがあるものだ。

そして、それぞれの抱える厄介な面もある。

1人の時は「これ美味しいね」なんて、感動を分かち合いたくてもそれができない。私はもう、自分の心の中でそれを消化することが出来るけれど。ああいや、それでもその後、家族や友達に「あのお店超すばらしかった〜」って伝えたいし、それだけじゃ飽き足りなくて、こうしてSNSで誰かに語りたい。始終完全に1人きりであるならば、それはやっぱり寂しいよ。

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あとは1人だとどんどん歯止めがきかなくなって、「毎日チョコ食べてパフェ食べて…もう3食スイーツでいいわ!」とか。
流石にそれで健康的な体を維持できる人がいるならば、人間の摂理を超えて何かに進化したのではと疑ってしまう。私はまだ人間なので、自分の健康状態とも相談しながら、必死に我慢しつつ、全力で好きなものを食べている。

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誰かと一緒に食べに行くことはどうだろう。
「美味しいね」と言い合えるし、欲求の暴走についてはきっと止めてくれる…はず。
最高じゃないか。

しかしこちらもまた、やっかいな面があり過ぎる。

コロナ禍でやっぱり人と食べに行く機会は減った。ただでさえ「はぁ?お前なんかと話してやってるのは社交辞令だよ。それ以外のプライベートにまで関わりたくねーよ」とか思われたらどうしようとか、まあ少し極端すぎる気もするけれど、そんなことを考えてしまって。「誘うの苦手マン」なのだ。
相手が「え…今食事に誘うとか正気??」派の人でないかと思うと怖くて怖くて、そういう話には触れない。

1週間ほど遠方に住む家族と会い、色々なお店を巡ったのは、だから久々の誰かとの外食、だった気がする。それらはどれも素晴らしいお店だった。大大大満足だ。

それでも少し、お店様の責任は微塵も毛の先程もないいのだけれど、家族との価値観の違いからか、モヤッと感じてしまうことが度々あった。


カフェへの往復。私はそれをスムーズに行けたらラッキーと思うけれど、上手くいかなくても、それはそれでいいかなと気にしない。

赤信号はしっかり止まる。目の前で電車の扉が閉じたら次の電車で別にいいじゃないか。本を読んだり頭の中でゆっくりと空想を広げる時間ができるのだから、全然苦じゃない。
一本道を間違えたら、知らない風景に出会えてラッキーだ。

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けれどそういう些細なことを全て「不運・不幸・災難」と捉えてしまい、癇に障り耐えられない人もいるのだ。

お店に着いて、案内された席の椅子が自分に合っていないと直ぐに不満が出る。
ううん、私は色々な店の個性にあった椅子を楽しむの、結構好きなのだけれど。
でもこれは、腰が悪い人にとっては死活問題なのかもしれない。食事の店選びの時には、なるべく誰にでも座り良い椅子かを気にした方がいいのかな。

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隣の席の人が、マスクを外してわりとボリューム気にせず話す外人さんだったらしい。私は特別気にならなかったのだれど、気にする人は気になるんだね。凄く嫌がって、お店の方に席を変えてもらった。

「えぇ…迷惑じゃん」と思ったけれど、まあそれを気にする事は間違いじゃないし、責められないだろう。

「これ絶対まつ毛だよね。確実に提供時点で入ってたものだし、言っても失礼にならないよね」
「ここアルコール強くて無理だから、残しても失礼じゃないよね」
失礼かどうかを心配するのは結構だけれど、それを判断するのは私じゃない。お店の人だ。


絢爛豪華な素晴らし過ぎるパフェを食べに行った。
一口一口、感動しながら、真剣に向き合って食べる。
めっちゃ話しかけられる。

一緒に来ているのだ。話すなとは言わない。むしろ、「この部分のサクサクさあ!!!」とかそういう話題で盛り上がるなら大いに結構。
でも…でもさ、頼むよ、昨日見たワイドショーの話とか、今しないでくれよ。このパフェに、集中させてくれ。

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一方で私がそれに答え過ぎて一言二言以上に話そうとすると、「しっ、マスクしてない時にあんまり喋らないで」と怒られる。

なんなんだ。


カレーを食べに行った。
「カレースプーンは大きくてしっかり口の中に入れるものだし、今のご時世だと不安だよ。だから持参したプラスチックスプーン使っても失礼じゃないよね?」

…いや、失礼じゃないか???
でもその言い分も結局は本人がどう感じるかの問題。否定できるものでもない。曖昧に頷くしかない。

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帰りにケーキを買おうとして、ショーケースの前で立ち止まる。

「う〜ん、なんか普通だね。面白みないね」

私に言っているのだろうけど、お店の人目の前にいるから!!そういうこと言わないで!!せめて「今買いたいやつじゃないね」とか、言い方変えて!!

結構焦る。

お店の人は実際に購入するために対峙するまではディスプレイ、とでも考えているのだろうか。

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というか結構そう言われるケーキ、100点以上をつけたくなる可愛さだぞ?え、素敵のハードル高くない?


と、色々私がモヤモヤすることを書き連ねてしまったけれど。

私自身はどうだろうか。
「いただきます」と「ごちそうさま」は必ず感謝を込めて言う。お店の人には最大限の敬意を示すようにしている。全力で美味しく味わっていただく。
そういうことを意識しているつもりだけれど。

誰かにとってはモヤッとするような行動が、私の当たり前になっているかもしれない。


確かにモヤモヤする。
イライラしてしまうことさえある。
けれど、だから、そういう価値観の違いがあるからこそやっぱり、誰かと一緒に食事をするのは楽しいのかもしれない。

その相違を相手に伝えるか伝えないか。
多分、伝えない方が人間関係はうまくいく。
そんなことの折り合いの付け方が、難しい。

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