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十二月に見つけたビー玉

「今年もお世話になりました、コーちゃん」

 だらりと頭を下げて葵が言う。

「こちらこそお世話になりました、葵」

 僕もそれに倣う。ふわふわしたものが増えた部屋で、二人して立って頭を下げあう光景というものは、端から見たら滑稽な気がしてすぐに頭を上げた。
 葵は鼻声だ。僕の健康管理にうるさいわりに年に五回は風邪を引く葵は、今年も例に漏れず鼻をすすりながらの年末を迎えている。

「来年はどんな年にしようかー」

 葵がわくわくした様子を隠しもせず言う。

「風邪を引かない年」

 僕が答える。毎年の会話。きゃっきゃとはしゃぐように、葵が続けて喋る。

「春には桜並木をお散歩して」

 川沿いの桜並木は今年も何度か散歩をした。葵の知らないところでひとりで歩いた日もいくつもあった。

「夏には花火に行って」

 隅田川の花火大会に行きたいという葵(毎年言っている)と人混みが嫌いな僕の対立は来年も続きそうだ。

「秋には紅葉狩りをして」

 今年は珍しく紅葉を観に行かなかった。今年一番重い風邪を引いた葵は、ベッドに寝ながら「紅葉見に行けなくなってごめんね」と謝った。僕はせっせと看病しながら、葵の真っ赤な頬を眺めて「まあ、似たようなものかな」と返した。葵は理解できなかったようだが、なぜかへへっと嬉しそうだった。

「冬にはクリスマスパーティーしよう!」

 結局一年丸々、今年と同じイベントを追うことになるらしい。この間した二人だけのパーティーでは葵の提案で、二人でぐるぐる回すだけのプレゼント交換をした。

「大変だな」

 ソファに座って、外を眺める。雨が降っていた。今年はまだ雪をみていないな。ふと思う。

「旅行にも行きたいし」

 思う間に予定がまた一つ追加。来年になったらまた追加事項は増えていくだろう。葵がふふっと笑う。

「楽しい一年になるといいね」

 葵はいつも、楽しい話をするときは本当に楽しそうに話す。良いことが待っていると信じて疑わない弾んだ声で。

「そうだね」

 応える僕の声も、自然に弾んでしまう。柄にもなく、浮かれたのかもしれない。「うん!」と笑って、葵はくるりと回って背を向ける。そして

「引っ越しもしたいなあ……」

 弾んだ声に隠すように、葵が珍しく低く呟いた。
 聞こえなかったことにする覚悟はなかった。

「引っ越し?」

 問いかけると少しだけ、間が空いた。

「ううん、なんでもないよ」

 少し、かみ合っていない。だけど、僕は深く追うことはしない。根拠もなく、二人にとってあまりよくないことになりそうだと感じた。年の終わりに嫌なイメージが一瞬だけ重なった。

「そか」

 僕が応えると葵も口をつぐんだ。二人とも黙るとノイズのようにサーと雨の音がした。
 数瞬の居心地の悪さの後で、カタッと窓が鳴る音に契機をもらって、葵に話しかける。

「そろそろ寝た方がいい。雨降ってるから冷えるかもしれない」

 こんな風に気を遣うのはわざとらしかっただろうか。自分の収まりの悪さを暗に伝えているようでさらに落ち着かなくなる。

 葵の表情は変わらない。珍しくおだやかで、その静けさに心がザワザワと鳴る。

「そうだね。ありがとう。コーちゃんも気をつけてね」

 葵は静かにそう言って寝室に向かった。

「そうだ」

 葵が立ち止まる。くるっと振り返ると、先までの表情からいつものコロコロとした笑顔になっていた。

「明日は年末大掃除をするからね!」

 やっと葵の弾んだ声が帰ってきた。安堵に頬が緩む。心は落ち着いて、だけど初耳のイベントに僕はつい黙ってしまう。僕のまぬけ面を前に、葵はふふんと鼻を鳴らす。軽やかな足取りで「七時起床ね」と言い放って寝室に消えた。

 葵の声はビー玉みたいだと思うことがある。たくさんあるとうっとおしく感じるのに、ないと探してしまう。キラキラ光るそれを、久しぶりに見つけるとつい嬉しくなる。言葉の一つ一つに純粋な美しさと、かわいさと、懐かしさを秘めた葵の声。

 十二月に見つけたビー玉に、僕は何度目かの恋をする。

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