秋ナスは嫁に食わすな
秋ナスは嫁に食わすな、なんて言葉があったか。あれは確か、姑からの嫁いびりの常套句みたいなものだったな。
夜勤明けの疲れた脳でぼうとそんなことを思う。もっとも僕には妻はいない。最近付き合い始めた彼女はいるが、秋ナスがそんなに美味しいのなら僕は彼女にたらふく食べてほしいなと思う。僕より年上の彼女は、僕よりたくさんの美味しいものをとっくに知っているかもしれないけれど。
「自分の浮かれ具合がうかがえるなあ。まったく」
平日の昼間だ。人が少ない路地なのをいいことに独り言にしてはまあまあ大きな声でぼやいた。
「ナス、好きかな」
嫌いだったらどうしよう。そういえば僕自身、幼い時分はナスが嫌いだった。好きになったのはお酒を飲むようになってからだ。
好きだったら問題ない。僕も今ではナスが好きだし美味しいらしい秋ナス(実はそれらしいものを食べたことがない)を二人で食べよう。
嫌いだったらそうだな。好きな物を聞こう。食欲の秋なんていうくらいだ。美味しいもの、一緒に食べたいものならたくさんある。
ぼんやりと考えながら歩いていたら、びゅうと涼しい風が吹いた。もう、少し寒いくらいだけれど想う人がいるだけでこんなに暖かくなれるのかと思った。
「……いや、さむ」
自分の考えに一人で勝手に赤面して、感情を言葉で逃がしてまた歩く。
少し歩くとまた風が吹く。顔の熱が少し冷める。風に乗って金木犀の香りが鼻をくすぐった。ああ、秋だな。それだけのことも伝えたくなる。
「秋ナスを君と食べたい」
口に出した言葉はそんなにしっくりこなかった。でも、好きだった。