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五月の景色に君を見る


 降り注ぐのは太陽の光で、真夏日のような暑さの中を僕と高部は歩いていた。

「どのバスだっけ」

 僕が問うと、高部は無言で自分のスマートフォンを差し出した。

「じゃあ、あっちの乗り場だね」

 僕が右手を指さす。示した方向に、高部が歩く。二十二歳。同い年の女友達と比べて、高部はやたらと無口だった。それでも、僕と高部が付き合うことになったのは、なんというか気まぐれだったのだろう。高部の。


「高部美緒です」

 同じ大学だった高部と知り合ったのは、三回生の時。ゼミが同じだった。
 初回の自己紹介で名乗っただけで、役目は終えたとばかりに座った高部を見て、僕は興味を覚えた。
 今にして思えば、特別に憧れていたのかもしれない。「彼女は普通の人と違う」と勝手に思った僕は、ことあるごとに高部につきまとっていた。常に無口なことも、教授の質問に単語のみで返すことも、バイトをいくつも掛け持ちしているはずなのに、誰もその内容を知らないことも。すべて、高部の特別さに昇華されていった。
 だから、ゼミ教授の召集で開かれた飲み会の帰り、高部に付き合おうと言われた時は、これで自分も特別になれるような気がしたのだった。
 高部は付き合ってからも変わらなかった。基本的には無口だし、手は繋がないし、キスもしない。もしかしたら言えばできたのかもしれないけれど、僕と高部の間にそれは必要ないように思えた。普通の人と違うのだから、当たり前だと思っていた。


「高部の実家ってお寺だっけ」

 高部に着いたと言われて見えた建物は、どう見ても寺だった。
 最後に実家についてきてほしいと、言われたのは別れ話が一段落ついた後だった。
 別れ話は、僕から切り出した。高部の承諾は早かった。少しだけ悲しそうに見えたのはおそらく僕の希望的観測だけど、そんな顔で、高部はわかったと言った。そして、思いの外あっさりと終わった話にそのまま立ち去るべきか迷っていた僕に、高部は提案したのだ。
 高部からの好意を感じられないことに耐えかねて切り出した別れだったが、高部への信頼はあった。なにか最後に用事があるのだろうと、僕はその提案を快諾した。振った負い目もあった。

「違う、お墓」

 僕の問いに高部が答えた。

「誰の?」

「両親」

 サァと血の気が引いた。実家に行くのだから、両親に挨拶くらいはするつもりだった。その人たちの墓。そういえば、高部から家のことは聞いたことがなかった。それ以前に、高部とはプライベートな話をした覚えがなかった。

「どうしてここに」

「謝りたかった」

 高部が答える。今日はいつもより言葉が柔らかく感じる。細く、ふわりと届く声は、少し沈んで聞こえた。

「両親に?」

 僕が問うと、高部は首を振った。

「あなた」

「へ?」

 素っ頓狂な声をあげてしまった。「僕?」と改めて確認する。高部は黙って頷く。

「一つ、私の勝手でこんなところに連れてきたこと」

 高部が訥々と話しだす。

「そして、あなたの期待に応えられなかったこと」

「期待?」

 話が見えない僕は、情けないことにオウム返しに聞き返すことしかできない。

「貫けなくて、ごめんなさい」

「なんのことかわからないよ、高部」

 僕は、高部になにか期待をしていただろうか。周りと違う高部に勝手に憧れて、そんな高部の彼氏でいることを貫けなかったのは僕の方だ。今更そんな、まるで普通の女の子みたいなことを。

「あ……」

 気が付いた。かもしれない。でも、可能性の一つというだけだ。そんなまさか。
 一年付き合ってそれに気づかないなんて、そんなことがあるのかと混乱する。

「高部、わざと作ってたのか」

 震える。もっと早く感じるべきだった重さが、今更になって腹の底に現れる。

「周りとは違う高部を」

 高部が頷く。垂れる前髪の隙間からつーと頬を伝う涙が見えた。

「なんで……」

 わかっていて、聞いた。そうではない、最後の可能性に賭けた。

「あなたが、そういう私に興味を持っていたから」

 都合良く、ひっくり返ったりはしない。僕の遅すぎる気付きは、こんな時に限って大当たりだった。

「僕と付き合って、愛想尽かされないように、周りと違うように振る舞っていた……?」

 自分で言うととても馬鹿らしく感じた。その馬鹿らしい行動を、高部は実行していた。その健気さは高部らしくないと、この期に及んで僕は思ってしまった。

「ごめんなさい」

 謝る高部に、わかった大丈夫と言う。自分勝手な言葉しか出てこない自分にいらつく。
 ふーっと息を吐いて、「帰ろうか」と声をかける。

「一人で帰る。ここでさようなら」

 高部が言う。

「なにかするのか」

「親に。あなたとのこと毎回、報告してたから」

 もう、分かる。悲しい顔をしている。潰した思いの重さは、まだ腹の底にいる。

「そうか、じゃあ帰るね」

 背を向けて帰途につく。五月間近の空が、鮮やかな夕焼けを見せていた。美しい景色と腹に残る自分への嫌悪感が、ぐるぐると混ざる。
 五月の暑さを感じる度に、これから僕はこの日を思い出すのだろう。

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