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コミュニティの価値ってなに? ~ コミュニティの5分類 ~

コミュニティの価値は複雑で、受け取るものも人それぞれだから一概には語れないよね、ということで明確にすることを避けてきた「コミュニティの価値」について、思考の沼にはまらない程度に考えてみたいと思います。

コミュニティの分類

そもそもコミュニティにはどんなものがあるのでしょうか?

ざっくりと5つに分類してみます。

①血縁コミュニティ→家族・親戚
②地縁コミュニティ→地域・同級生
③趣味コミュニティ→趣味のサークル
④目的コミュニティ→企業・NPO・ギルド
⑤価値コミュニティ→宗教・ファンクラブ・サロン

これらの分類は、境界線があるというよりも重なり合って存在しています。地縁×趣味(地元の人たちの野球サークル)や、趣味×価値(カレーという趣味でつながりとそこに集まる場に価値を見出す)という重なりもあり得るでしょう。


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コミュニティで得られる価値

では、これらの5つに分類されるコミュニティから得られる価値とは、どんなものでしょうか?

ちなみに私が各コミュニティで得ている価値は以下の通りです。

①血縁コミュニティ→愛情・回復
②地縁コミュニティ→安心感
③趣味コミュニティ→ナシ(読書や散歩を一人でするのが趣味)
④目的コミュニティ→金銭・信頼・学習
⑤価値コミュニティ→貢献感・自己理解

きっと人によって違う部分も多いでしょう。同じ分類に属していても、全く違う性質を持つコミュニティもたくさんありますし、そこから得られるものも違ってくる。

するとやっぱり、コミュニティの価値を考えようとするとき、この「人によって違う」から抜けられない気がします。

そこでちょっと論点を変えて

わざわざ新たにコミュニティに入る価値は?

という問いにしてみるとどうなるでしょうか?

多くの人はすでにいくつかのコミュニティ(家族・会社・学校・地域など)に所属している状態のはずです。

それでもわざわざ新たにコミュニティを求めて入る人がいますし、わたしがやっている「議論メシ」もそういったニーズがあって成り立っています。

その人たちが求めている価値はどんなものでしょうか?


わざわざ新しいコミュニティに入る価値は?

コミュニティごとに、自分のあり方や役割は違います。家族といるときと、会社にいるときでは、その表情すら違うかもしれません。

こうした分人主義的な考え方をしてみると、「新しい分人の発見」のためにわざわざ新しいコミュニティに入る、ということなのかな、と考えています。

「分人」は「個人」と対をなす概念で、英語で言うindividualに対するdivisualと言えます。一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない、という考え方は平野啓一郎さんが『私とは何か 「個人」から「分人」へ』という本のなかで示しています。

家庭でも会社でもないサードプレイスという言い方もありますね。他のコミュニティでの固定的な在り方や役割を離れて、新しい自分の側面を知ることができるサードプレイスとしてのコミュニティが求められているのではないでしょうか。

「新しいコミュニティ」で「新しい分人の発見」をすることによってアイデンティティが拡充されます。それが他のコミュニティでの分人にも良い影響を与えてくれるかもしれない。

そうした波及効果があれば、QOL(quality of life)の向上というカタチで、「新たにコミュニティに入る価値」は大きなものになり得ます。

自分が入っているコミュニティでの在り方や役割が固定化してきたと感じたら、別のコミュニティに入ってみると良いかもしれませんね!改めてコミュニティの5分類を載せておくので、参考にしていただけたらと思います。

①血縁コミュニティ
②地縁コミュニティ
③趣味コミュニティ
④目的コミュニティ
⑤価値コミュニティ

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