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小学校教員が「13歳からのアート思考」を読んだら図工の評価が変わった

衝撃でした。私の実践していた「図工」は200年以上昔の常識だったのです…

今日は末永幸歩さんの著書「13歳からのアート思考を読んだら図工の評価が変わった」というテーマでお話したいと思います。かつての私のように、図画工作科で育てるべき資質能力を勘違いしている先生は多いので一緒に学んでいきましょう。


1.「絵がうまい」とは何か?

次の2つの自画像のうち、どちらが「うまい絵」だと思いますか。

私は前者でした。少なくとも、この本を読むまでは前者がうまい絵だと思っていました。絵がうまいとは、現実をそのまま写すようにかく絵のことをいう。このように信じていたのです。

しかし、違いました。この本を読んで、絵は「もっと広い可能性をもつ」ことに気付かされたのです。

ルネサンス期以降の絵画の歴史では、長く、絵がうまい=「目に見えたように描く力」と信じられていました。風景や人物の「ベストタイミング」を切り取って残す唯一の手段が絵画でしたから、貴族はこぞってうまい絵を求めました。

しかし時代は変わります。そう、産業革命です。1826年にカメラが登場すると、これまで絵が担っていた「現実をそのまま写す」という役割は、カメラに取って代わられるようになりました。


2.「目に映るとおりに描く力」と、「自分なりに解釈して表現する力」

目に映るとおりに描く力を否定するわけではありません。学ぶの語源が「真似ぶ」という説もあるように、真似して描くという力も大切だと思います。私は教育起業家として複数の教育事業を展開する身ですが、優れた知り合い経営者をみると、この「真似る力」は本当に大切だと感じます。

しかし「目に映るとおりに描く力」と同じくらいかそれ以上に、「自分なりに解釈して表現する力」は価値があるようにみえます。コロナ禍で大打撃を受けた飲食業界も「ピンチをチャンスと捉えてやり方を工夫したお店が生き残った」ように、自分なりの解釈ができるようになれば環境がいかに変わろうとも、自ら道を切り拓くことができるからです。

私は小学校の先生として長く働きましたが、伸びる若手と伸びない若手の「差」は、言われたことを「その通りにやる」か「自分なりの解釈を加えてやる」か、にありました。


3.図工はこれからの時代に必要な教科

冒頭に提示した2枚の絵のうち後者は「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」という作品です。この作品はマティスが妻を描いた絵画ですが、「絵を描くときは”現実そっくりに色を使う”という既存ルールからの解放」が評価された世界の有名作です。

それまで目に映るとおりに描くことしかできなかった絵画に、”目に見えない部分を色で表現する”という可能性を与えたのです。教育においてもブラック校則や意味のない業務に疑問をもち、学校を変えていける先生は「自分なりに解釈して表現する力」が優れているようにみえます。

教師として大切にしたい事実は、「図工や美術においてこれからの時代に必要な力を育てられる」という点です。図工や美術は作業の時間ではなく、子どもたちが「自分なりの解釈」を働かせ、伸ばす貴重な機会なのです。

4.解釈して表現する力の代表格が「ピカソ」

ピカソが天才だといわれる所以は、目に見えない部分までアートで表現したところにあると、私にはみえます。一人の女性を多視点でみて再構成した「アヴィニョンの娘たち」という作品は、人間にはさまざまな顔があるという”リアル”を絵で追究した傑作です。

私たち教師も児童の一面だけでなく、さまざまな面から総合的にその子を理解し、プロデュースしていくことが大切です。表面的に”いい先生”も裏の顔があったりと、人間のリアルとはいかに奥深いか、ピカソは教えてくれるように感じます。


5.図工の評価が変わった

図画工作科の授業では、私は子どもが「うまくかけるように」「うまく作れるように」教えることが多かったように思います。この本を読んでからは、その子のものの見方を大切にして、その子が対象をどのように見て、何を考えるのかを引き出すことが「図工の中心」になりました。

学級にいる40人の存在を生かし、一人ひとりが「どのように感じ、見方を働かせるか」を共有し、楽しむようになりました。

絵も、工作も、「見方・解釈を表現するひとつの手段」です。どんな時代になっていくにせよ、彼らが自分なりの解釈で困難を切り拓いていけるように、さまざまな見方・考え方を育んでいきたいものです。


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