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藤井青銅『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)

 一般的に長い歴史を持ち「伝統的である」と考えられるものが、実は短い歴史しか持たず、伝統の伝統たる所以も怪しい、という例ををこれでもかというぐらいたくさん集めている。まあ、まず和歌が1000年続いたものとかいうのも怪しい話だしね。そのほか短歌和歌に関係があるのは「桜はパッと散るから美しい?」「民謡と万葉集」。前者の参考書籍は佐藤俊樹『桜が創った『日本』」、後者は品田悦一『万葉集の発明』。私自身が以前に評論の参考書籍にしたものだ。興味の共通点を感じる。北原白秋が「民謡」の歌詞を作詞していた件についても疑問が氷解した。手元に置いて時々見直したい本。2020年を起点に振り返り、「~が始まって約○○年」、というのが各項目の最後についているのも分かりやすい。文章も軽くて面白い。

〈人は、普通はそんな「歴史」など考えません。千年前でも百年前でも、同じ「昔から」。いえ、自分が生まれていなければ、三十年前だって「昔から」です。その心理を利用した「日本の伝統」は多い。なんとなれば、「伝統」を強調することで正統性をアピールでき、権威ができ、価値が増すからです。よって「日本の伝統」はビジネスになり、権威で人を従わせることもできるのです。〉「まえがき」

〈当時の新産業である鉄道会社と新聞社による宣伝・営業努力がなければ、初詣は新しい伝統として定着しなかったかもしれない。〉「日本人はいつから初詣をしているのか?」

〈福沢諭吉は『改暦弁』(一八七三年)を書いており、そこでは、(…)とケチョンケチョンに六曜をけなしている。「こんなものは日本の伝統」でもなんでもない、と正式に禁止されていたのだ。そして実際に、正式の暦からは消えた。しかしまあ、庶民としては旧暦が必要な場合もある。そこで高島易断などで、旧暦と合わせて六曜も生き残った。戦後、政府の縛りもなくなったので復活している。もちろん、迷信であることに変わりはない。〉「大安や仏滅は禁止?」

〈なぜ、どれもこれも「一般的になったのは、明治三十年代に入ってから」なのか?明治三十七年(一九〇四年)、日本で最初のデパート・三越ができている。そこから、東京大阪を中心に、色々なデパートがどんどんできた。お中元・お歳暮・そしてこの七五三も、デパートが盛り上げることで、全国で一般的になった。そういう「伝統」は、結構多い。〉「お中元・お歳暮・七五三に共通するもの」

〈平成元年(一九八九)、セブンーイレブンの広島の一部店舗で、「関西ではこういうことをやってます」ということで売り出した。これが売れた!以降販売地域を拡大。平成十年(一九九八)に、「丸かぶり寿司 恵方巻」という名前で全国のセブンーイレブンで発売となった。ここでようやく「恵方巻」という名前が登場するのだ。そこへコンビニ各社もどっと参入することで、恵方巻は一気に全国的になったのだ。いまやセブンーイレブンだけで六百万本を売っている。〉「恵方巻のもやもや感」

〈日本人は新しいもの好きなのだ。それが「新しいものだから」という理由だけで、とりあえず飛びつく。そして、一見新しいが、「実は古い伝統がある」ということを知って、安心する。つまり、「古い伝統をバックボーンに持つ新しい風習」が理想。それが商売と結びつくと、一気に「伝統行事」として広がるのだ。昔・デパート、今・コンビニだ。そうやって三世代くらいたてば、新しい風習はすっかり伝統となる。〉「バレンタインデーが作ったもの」

〈この手の「いい話」は、「実話」の肩書をはずして読むと「安易な大衆演劇話」のケースが多い。ここで急いで付け加えておくが、大衆演劇話が悪いと言っているのではない。フィクションで勝負できないから「実話」だと偽るのはたちが悪い、と言っているのだ。道徳、気配り、マナー……などを訴えたい気持ちはわかる。が、そこに無理に「江戸っぽさ(伝統)」をからめなくてもいいのではないか?〉「「江戸しぐさ」はいつから?」

〈一般に、人は一世代前に反発し、二世代以上前には好意を持つ。子は親には反発するが、お祖父ちゃん・お祖母ちゃんとは仲がいいのと同じ。近すぎる古さはダサいが、もっと古くなると味が出てくるわけだ。歴史区分で言うと、「戦後」はその前の「戦前」に嫌悪感を持ち、さらにその前の「江戸」には好意を持つ。元号で言うと、「平成」は「昭和」をダサいと思い、その前の「大正・明治」の古さにはロマンを感じる。「令和」になると、すでに「昭和」がロマン側に入りつつあるのを感じるだろう。二十世紀には十九世紀が古臭かったが、いま二十一世紀になると、十九世紀もロマンの範疇に入ってきた。実際は江戸時代起源でなくても、どことなく「江戸っぽい」ものは伝統感が一気に増す。近代にとって、江戸時代は「無条件にいいもの」なのだ。京都もそう。旧国名もそうだ。〉「旧国名の伝統感」

〈改元の権限は一貫して天皇にあった。だが次第に、公家同士の権力争いに使われる。時代が下れば武家が介入してきて、将軍の代始改元もある。天皇が代始改元を行えなかったこともある。権力者はつねに、「この国を流れる時間を支配する元号は、俺様が決める!」とやりたいものなのだ。〉
〈こうして発表された新元号が、ご存知の「令和」。その出典は『万葉集』巻五「梅花の歌三十二首」の序にある、「初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ……」だと発表され、「由来は日本の古典である」ことが強調された。だがすぐに、それに先立って中国の「文選(もんぜん)」に「仲春令月、時和気清」とあるのが元ではないかとも指摘された。当時の知識人は中国の古典を下敷きにしているのだがら、当然だろう。というか、元々「元号」という制度が中国から持ってきたものなのだから、そんな所で張り合ってみてもあまり意味がないのではないか?〉「元号は、結構いいかげんだ」

〈江戸時代の「藩」という言葉だって、当初は使っていない。開府から百年ほど経っての、新井白石『藩翰譜(はんかんふ)』(一七〇二年)あたりが初出だと思われる。けれど、まだ一般的ではない。幕末に、流行語となってよく使われた。が、「藩」が公式になるのは、なんと明治元年だ。そして三年後「県」に置き換えられる。〉「「鎖国」は祖法なり!」

〈大正期後半から昭和初期は「新民謡」のブームがあった。地方自治体や地方企業の依頼で、その土地の観光地・名産品などを織り込んだご当地ソングを作るのだ。レコード産業の勃興期であり、NHKラジオ放送が始まった時期でもあるからだろう。新民謡のいくつかは、古くからあるように思われている。(…)
 「ちゃっきり節」(歌詞省略)(静岡)(作詞・北原白秋/作曲・町田嘉章)
 昭和二年(一九二七)、静岡市近郊に「狐ヶ崎遊園地」なるものがオープンした。その宣伝用に、静岡鉄道の依頼によって作られた。新民謡だが、CMソングでもある。当時、白秋はすでに有名詩人だった。依頼を受け、取材と称して静岡の花柳街で芸者遊びを続け、いっこうに作詞をしないまま長逗留していた。豪遊続きで、ちっとも作詩を始めないため、スポンサーが依頼を取り下げようとしたところ、古い芸者さんの方言にヒントを得て三十番まであるこの長い詞を書きあげたという。〉「民謡「○○節」」
 「○○音頭」も「○○節」も庶民の間に伝わってきた古謡ではなく、作詞作曲者がはっきり分かる流行歌の場合が多いことが、この本で分かった。

〈なんらかの理由でその効果が薄れ、世間に飽きられ、やがて消えていった「伝統」だって、実はたくさんあるのだ。いいもの・立派なものだから伝統として残っているのではなく、たまたま消えずに残っているものが伝統と呼ばれている。「強い者が生き延びたのではない。変化に適応した者が生き延びたのだ」という言葉は、「伝統」にも当てはまるのかもしれない。〉「「よさこい」と「ソーラン」の関係」
 和歌短歌を含む、文学作品一般にも当てはまることだろう。

新潮文庫 2021.1. 本体590円(税別)(柏書房 2019.12. より文庫化)





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