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石牟礼道子・藤原新也『なみだふるはな』(河出文庫)

 2011年3月11日に起こった東日本大震災の3か月後、6月13日から15日の3日間に石牟礼道子(詩人、作家)と藤原新也(写真家、作家)が語り合った対談集。水俣と福島の二つの地に対する鎮魂の思い、日本の近代とは何だったのかを振り返る視線。思想以前の思想が一冊に結実した本。

藤原 水俣の場合は、国の嘘がばれてきたというのは、そうとう年月が経ってからでしょう。今回福島では、ものすごく早くばれました。
石牟礼 早くばれてますね。ああ、よかったと思って。
藤原 わずか二か月でばれましたからね。それはやっぱり、水俣の時代との大きなちがいは、いまのメディアは表の新聞だとかテレビという大きなメディアと、もう一つネットメディアが生まれたということがあります。(「国の嘘」より)
 (ネットには批判の声も大きいが、大きなメディアが隠そうとすることを全て明らかにするという意味では、ネットメディアが果たしている役割はとても大きいのではないか。)

藤原 死体を写すべきだという人は、お前が死体になったらどうだという、そういう観点がないんですね。人は死体になったから人権がなくなるわけではありません。
 もう一つは、死体を出したからリアリティが伝わるかどうかという、それはまた別ですね。むしろ僕が撮った、カモメが陸に群れている写真のほうが、ぞっとする力がある。リアリティといいますかね。
石牟礼 感じました、とても。この下には死体があって、鳥たちは食べるわけですからね。
藤原 リアリティというのは想像力だと思うんです。そのものを見せてしまうと想像力は封印されてしまう。見ることはカタルシスにつながってそれで終わってしまう。(…)あえて写さない。全部写してしまうと写真から含蓄が消える。(「リアリティ」より)
 (ここがこの本で一番響いた。事実をそのまま写せばリアリティが出るわけでは無い、これは全ての表現活動に言えることではないだろうか。リアルとリアリティの違いというか。短歌の世界でも最近は、一時期よく使われた、リアルという言葉がほとんど使われなくなった。リアリティは元々あんまり使われていないが。リアリティという語の持つ意味を分かろうとする時、この藤原の発言はとても重い。)

石牟礼 放射能を写真に撮るって、むずかしいですね。
藤原 僕は、写るんじゃないかと思っています。それをいま撮っているんですけれど。
 動物の中で人間という動物がいちばん鈍感ですよね。野生から遠のいているから。放射能というのは痛くもかゆくもないから、みんなマスクもしないし、とくに九州までくると、みんなもう平気な顔をしていますね。でも測ってみると、東京とあまり変わらないですよ。0.01か02ぐらいしか変わらないです。だから、空間にはもう行き渡っているんですよね。
(…)
藤原 植物というのは生体反応が早いんですね。植物を育てる三大栄養素の中に窒素・リン酸・カリというのがありますが、根や葉っぱの生育を促すカリウムは自然放射線を出す物質で、セシウムと化学構造も似ているので、植物はせっせせっせとカリウムとまちがえてセシウムを取り込むわけです。そこで妙に葉っぱがでかくなったり、逆に細胞が傷ついて花が変にねじれたりする。地中にいまセシウムが入り込んでいるのは、すでにわかっているでしょう。植物にいちばん最初に兆候が出る。(「敏感な植物」より)
 (放射能を怖れて西へ逃げてもあまり意味は無かったのだ。今になれば冷静にふり返れるが、あの頃はそうではなかった。一種のパニック状況だったのだと思う。しかし同時期にこんなに冷静にものを判断している人がいたというのがショッキングだ。分かっている人には分かっていたのだ。2023年の今でも緑が濃い、鮮やかな木々を見ると、もしかしたらセシウムではとこれを読んだら思うようになった。)

藤原 憎しみとか憎悪というのは人間が他者に持つネガティブな感情の中では最も重苦しいものですね。その「憎い」という言葉を聞いて僕の頭に思い浮かんだのは旅したアラブやイスラム世界でした。パレスティナがいい例ですが、あの世界ではいたるところで憎しみの連鎖がいつまでもつづき、いまに至っている。
 その憎しみの根源には何があるかというと、土地の略奪と喪失なんです。アラブやイスラム世界というのは人口密度が低いことが物語っているように、住める土地が非常に少ない。つまり土地の奪い合いなんですね。
 今回の強制非難区域で聞いた「憎い」という言葉の根源には、そのイスラムの憎悪の根源にある、自分が住んでいる「土地や家を失う」に似たあの感じがありました。つまりある日、代々伝わり子どものころから住み慣れた土地や家を強制的に略奪されたわけです。この悲しみや怒りは、放射能を浴びるよりずっと大きい。
(…)
石牟礼 「道子さん、私は全部許すことにしました。チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばっかりおれば苦しゅうてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのあっとばい。痙攣も来るとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも、人を恨むなといわれて、全部許すことにした。親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽うなった。
 病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。
 知らんちゅうことがいちばんの罪ばい。人を憎めば憎んだぶんだけ苦しかもんなあ。許すち思うたら気の軽うなった。人を憎めばわが身もきつかろうが。自分が変わらんことには人は変わらんと父にいわれよったがやっとわかってきた。うちは家族全部、水俣病にかかっとる。漁師じゃもんで」
 こうおっしゃったのは杉本栄子さんという方ですが、亡くなってしまわれました。彼女が最後におっしゃったひとことは、「ほんとうをいえば、わたしはまだ、生きとろうごたる」というお言葉でした。(「憎しみと許し」より)
(憎しみと許し、というのは本当に難しい問題だ。許す、と簡単に言うが、深い憎悪は解けるものではない。許した方が自分も楽だと分かっていててもである。しかし石牟礼の語る、水俣病被害者の言葉は深い。誰よりも憎悪を持っても良さそうなのに、許すのだ。崇高な感すら抱く。)

藤原 ほんとうは悲しいことを悲しいといってあげなければならない。苦しいことを苦しいといってあげなければならない。そこには救いはないけど、その苦しみや悲しみを少しでも分けてもらうところからはじまるんですね。声高にがんばれというのは現実をしらない他人事(ひとごと)なんですね。だからイラつく。その言葉は、苦しみや悲しみを消化したずっとあとの言葉です。
(…)
藤原 あの言葉(水俣病になってよかったばい)は、水俣病になることによって人の心に触れたとか、そういう言葉化できるものと、その方の心の中にあるおそらく言葉化できない、その方でなければわからない心情があるのでしょうが、震災によって起きた人の心の化学変化にも共通するものがあるように思うんです。結局、被災があって、人の心がふっと開いて、見ず知らずの人々の間で心の交歓が起きはじめている。被災の直前までは無縁社会なんていわれていたのが、逆に被災によって無縁の者にまで縁ができはじめたという、そういう部分があるような気がするんです。
石牟礼 心が出てきたのですね、今度。
(…)
藤原 そのことは、ベトナムで枯葉剤を撒かれて奇形児が生まれた家族の母親の姿が、まるで聖母のような優しさを湛えているのを見てもそう思いましたね。そのことによって気持ちを荒(すさ)ませるのではなく、苦しみや悪の仕打ちによって、むしろ善や優しさという人間の側面が一層磨かれることもあるのだと、そう思います。(「光明」より)
(この辺り、前半は共感したが、後半はいささか批判的に読んだ。もしかしたら、ここで語られる被災者には「こうあってほしい被害者像」がある程度紛れ込んでいないか。特に最後の「聖母のような…」のくだり。特に女性が、特に母が、その対応を期待されている面はないだろうか。)

藤原 その親子というのは、巡礼じゃなくて、乞食?
石牟礼 はい。乞食さんでしたが、巡礼さんと乞食さんを区別はしなかったです。すぐわかるんですけれども。それと、半分盲目の瞽女(ごぜ)さんがよく回ってきて。母は、「必ず、手ばあわせてから、さしあげろ」っていつもいっていました。(「お遍路」より)
(最も聖なるものと最も卑しめられているものが近く感じられている。近代以前の庶民の考え方だったのだろう。今では失われてしまった感覚なのだろうか。すんなり納得できる気もする。)

藤原 この子はいろいろ悲惨なことを見てきていると思うんですね。被災地で。それでこんなきれいな目になっているというのは、びっくりしちゃって。だから何か、そういう悲劇的なこととか、ダメージみたいなものというのは、必ずしも人間の心を荒ませるわけじゃなくて、逆にきれいなものだとか力強さみたいなものがそこから湧き出てくるような人間の強さといいますか、そういうものがあるのかなと思って、この子の目を見ていたんですね。(「目」より)
(この辺りは前出の「光明」の部分と同じで全面的には腑に落ちない。そこは私の修行不足という面もあるのだろう。)

石牟礼 本能的におっしゃることが、哲学を超える、宗教を超えることがあります。
藤原 おもしろいですね。漁師とか農夫の言葉といおうのは自然に根ざし経験に根ざしているから、言葉は単純でもじつに哲学的で、時には神話的な言葉を吐くことがありますよね。反対に哲学をやっているようなインテリの言葉は、ほんとうは単純なことをむずかしい言い回しをして権威づけているようなところがある。(「『苦界浄土』第四部」より)
(難しいことを易しく言うのが賢人、難しいことを難しく言うのが凡人、易しいことを難しくいうのが愚人、とは誰の言葉だったか。)

藤原 このたびの大震災の大津波でものすごくたくさんの人が亡くなられました。そういう絶望からも果たして神話は生まれることもあるのだろうかと、いまのお話をお聞きしながらふと思います。神話ができはじめたら、もうそれは過去形になり、ふたたび自然を愛(め)ではじめたということでしょうが、それは遠い先の話のような気もします。
石牟礼 いまは絶望のほうが大きいですね。でも、やっぱり夢みる生命を信じたい。折れた花に対して「死ぬな生きろ」って。
藤原 死ぬな生きろ、というのは、大きな声で言ってるのじゃなく、ほんとうは小さな声で言ってるんです。花がぽっと咲いていてそれに気持ちを奪われている心の状態とか、定食屋に行ったらおいしいうどん定食の蠟細工があって、それを見ながら人生最後の食事はうどん定食でよい、とか思ったり。
石牟礼 小さな生命たちがかえって、ものをいいかけている感じがしますね。
藤原 大きく祈ったりすると、だいたい失敗します。(「『苦界浄土』第四部」より)
(震災直後にここまで話がされていたというのに衝撃を受ける。12年経った今この対談を読んで、この思いを風化させてはいけないと感じた。)

2022.3.(単行本は2012) 河出書房新社 850円(税別)






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