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北辻一展『無限遠点』

 第一歌集。青磁社。2003年から2020年の作品を収録する。研究者として、医学生、医師としての日々を詠う。具体を描く描写力に詩的感性の高さが加わる。家族の歌も陰影が深く、魅力的だ。

地平線見わたすように眼を細めきみは歌論を語りはじめる

 初句二句の比喩が魅力。実際には見えない地平線、遠いところを見るように目を細め、何かを思い描く「きみ」。そして「きみ」は歌論を語り始める。硬質な理系の単語が列ねられた歌の中に、突然現れて歌論を語り始める「きみ」の存在が際立つ。作中主体も共に歌論を語り合うのであろう。瑞々しい関係性を感じさせる歌。

ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち桜の花片のごとき耳もつ

 主体は研究者として日々動物実験を行っている。主に扱うのはマウスのようだ。マウスは実験用動物として、モノのように扱われる一方、生き物として主体と同様一生に一つの命を持ったものとして意識される。もうすぐ実験に使われることも知らずにケージの隅にかたまって寝ているマウスたち。その耳のほの紅さを「桜の花片のごとき」と捉える主体。その感性は詩を作る人のものであり、これから命を使って実験をする者としての使命と相容れない。しかし主体はそれらを擦り合わせて生きていかなければいけないのだ。

マウスにもわれにも等しくある命エレベーターで加速度を負う

 エレベーターに乗った状態でマウスのことを考えているのか、あるいはケージなどを持ってマウスと一緒にエレベーターに乗っているのか。私は後者と取った。エレベーターの加速度は日常生活の中では当たり前のものとしてさほど意識されないが、マウスも自分も共に受けていると思うと、敏感に感じ取れる。マウスからすれば長い一生の人間と、人間からすれば短い一生のマウス。しかしどちらもともに一個体としては一回限りの命なのだ。エレベーターの加速度を負うのもその一つずつの命。「命」が「加速度を負う」という把握がいい。一瞬の加重に体感的に真理を感じ取っている。

〔マウス胎児繊維芽細胞〕かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる 〔 〕内詞書

 どのような処置なのか正確には分からないのだが、胎児の形をほぐして、その中の必要な細胞だけ取り出している場面だと思う。胎児ではあるが、既に眼が出来ており、胎児の形を崩した時、その眼の黒目の部分だけがぽつんんと残った。とても残酷な場面を淡々と描いている。研究者である主体にはあまり珍しくない作業なのかもしれない。しかしやはりその眼だけ残して命を取り去る行為についての違和感がこの歌を詠ませるのだろう。抑えた、描写のみの歌の、詠われないものに強く心を揺さぶられる。

会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごと喉(のみど)は伸びる

 相手に会える日が告げられない。忙しいからか、あるいは会いたいという気持ちに迷いがあるのか。それでも会うことに対しての渇望はある。「はつ夏の立葵」という三句四句の比喩が美しい。言いたいことが言えないことを、「喉が伸びる」と表現する。そに体感としてのリアリティを感じる。

コピー室はきみをしずかに想う部屋アカシア材の紙は置かれて

 コピー室で機械的な作業を行いながら「きみ」のことを想っている。主体のように命を扱う研究をしているものにとってはコピーのような作業はかなり思考に対する負荷が低いのだろう。コピーをしながら他の事を考える余裕があるのだろう。アカシア材は紙の原料だろうが、アカシアの木が詩的な想像力をそそる。「きみ」への想いに清新な気持ちが加わる。

祖父の余命を思いて破るカレンダーは数字を隠しながら丸まる

 祖父の死の前と後にそれぞれ連作が作られている。家族の中における祖父の位置、自分と祖父との関係性を辿りながら詠われている。仕事の歌と相聞から始まった歌群が、家族の歌へと流れていくターニングポイントになっている連作だ。この歌は死の前の連作から。病いが重く、余命が宣告されている祖父。祖父の余命を、おそらく死が訪れるであろう時期を、予測しながら主体はカレンダーを破る。破られた月のカレンダーの紙が丸まる。数字を、過ぎた日を隠すように。祖父と過ごした日々が見えなくなっていくような、ある種の諦念が感じられる。

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃

 家族の中でも強い個性を持った人として父が描かれる。父はおそらく彫刻家である。その父が少年天使像を作ろうとして、主体をモデルにした。主体はまだ少年であり、父に逆らうことも考えられず、素直に背中を見せたのであろう。芸術という視点を通して、父と息子ではなく、彫刻家とモデルという関係性があったのだ。モデルを見る芸術家としての父の非情な視線。それに晒される無防備な裸体。どこか遠くエロスを薫らせる詠い口で、父と子の間に流れた、緊張した時間を蘇らせている。

鏡にもたれ双子のように見える友鏡の方に声をかけたり

 日常の中にふと異世界を描き出したような一首。普通に友に話しかけようとして、立ち止まる主体。友が双子に見えるほど磨かれた大きな鏡だったのだろう。双子のようだ、と思った時、もはや日常から少しずれた異世界に踏み込んでいる。さらにその歩を進めるように、「鏡の方に」声をかけている。鏡の中の、いないはずの双子の片方に。友の返事が普通に返って来たら、たちまち日常に戻るのだが、それまでのほんのわずかな一瞬の感覚の齟齬を巧みに捉えている。

炭鉱で栄えし島が近づきぬ香焼(こうやぎ)、蚊焼(かやき)とバス停過ぎて

 友と旅行した時の歌。長崎で医師としての研修を積んでいた主体は友と長崎市の端島(はじま、通称軍艦島)、あるいはその近辺に旅行に行ったのだろう。炭鉱で栄え、今は廃墟となった島。その周辺の香焼、蚊焼という実際の地名が歌のリアリティを強くしている。時間や歴史への思いが詠われた一連だが、現実の事物を描く陰でそれらの思考がさらりと詠われているのが、歌の彫りを深めていると思った。

青磁社 2021年7月 2300円(税別)*作者の「辻」は一点しんにょうですが、PCの関係で二点になっています。



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