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三浦英之『五色の虹』満州建国大学卒業生たちの戦後(集英社)

 〈日中戦争の最中、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選抜され、約六年間、共同生活を送った若者たちがいた―。〉
 現在、語られることの少ない、満州国新京(現・長春)に作られた建国大学。傀儡政権の元、満州国を牛耳っていた日本が、将来満州国の国家運営を担う人材を作ろうと建学した。満州国が当時国是として掲げていた「五族協和」の実践のための実験場であったのだ。そこでは言論の自由が保障されるなど、他とは違う環境の中で、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族、ロシア、日本、と様々な出自の若者たちが学んでいた。
 しかし、日本の敗戦後、各国のスーパーエリートであった彼らの人生は激変する。新聞記者である著者は、まず日本に住む卒業生たちに会った後、それぞれの国で彼らがどんな戦後を送ったかを現地へ飛んで取材する。2010年の取材当時、彼らのほとんどが85歳以上。最後の機会かも知れないとの思いから、渾身の努力で取材された記録が本書である。戦争と、欺瞞に満ちた政策に翻弄された数多の人生が、ここに明らかにされている。

以下は個人的に記憶に残したい箇所。
〈事実を捉える角度によって「罪」の意識も逆転する。「罪」とは倫理という物差しではかられるものではなく、視点や立場といった主観によって決定されるものなのだ。〉
《企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ―》
〈「建国大学は徹底した『教養主義』でね」と百々は学生に語りかけるような口調で私に言った。「在学時には私も『こんな知識が社会で役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれる。難点は、それを身につけるためにはとても時間がかかるということだよ。だから、私はそれを身につけることができる大学という場所を愛していたし、人生の一時期を大学で過ごせるということがいかに素晴らしく、貴重であるのかということを学生に伝えたかったんだ……」〉
〈「あの頃の日本人にとっては『潔さ』とは『美しさ』とそれほど変わらない意味だった。そして『美しく』あることは、『生きる』ことよりも、遥かに尊いことだった」〉(第四章神戸)

〈「『中国人は利で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く』。日本人を使うことがね、実は一番簡単なんだよ。ポストさえ与えておけば―あるいは与えると約束さえしておけば―彼らは極めて忠実によく働くんですよ。きっと自らの使命を達成したいという意識が他のどの民族よりも強いんでしょうね。」〉(第五章大連)

〈戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府よりも知り抜いている。記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる―。〉(第六章長春)

〈子どもたちの進学先や就職先がすべて理系分野に偏っているのは、彼らが進学先を選ぶ際、李が徹底して実用分野の選択を強要したからである。「祖国が消滅しても、研究を続けることができる普遍的な学問」というのが当時李が進学に関して唯一子どもたちに課した要求であり、条件でもあった。(…)「常々、子どもたちには『具体的なことを学びなさい』と言い続けてきたのです。確かに音楽や絵画は美しく、人を悲しみから救ってくれる。しかし、それらは所詮、人々の頭の中で形作られた『幻想』にすぎないのです。」〉(第九章台北)

〈京都大学人文科学研究所教授の山室信一。満州国をテーマとするこの国の代表的な研究者であり、満州国の関連書籍のなかでは教科書的存在にもなっている『キメラ―満州国の肖像』(中公新書)の著書でもある彼のもとを、私は建国大学をめぐる一連の取材に取りかかる前段階で訪れていた。〉(第十一章アルマトイ)
 極私的感想。2022年5月20日に入院して、この一連の読書を始めた時、最初に読んだのは山室信一『モダン語の世界へ 流行語で探る近現代』(岩波新書  2021)であった。そして、7月20日の退院を控えての今日(7月18日)、2か月の入院生活を通しての一連の読書の最後に読んだこの本の最終章に山室信一が登場した。それも満州国の研究者として。タイトルは『キメラ』。一連の読書が円環を描いて終わったような気がする。もちろん偶然だと思うのだが、今とても不思議な気持ちでいる。

集英社 2015.12. 1700円+税
 



 

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