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沖森卓也『日本語全史』「ちくま新書」

 日本語史、通史、しかも新書という画期的な本。これを読めば日本語の変遷が分かる。まず歴史区分として、古代前期(奈良時代まで)、古代後期(平安時代)、中世前期(院政鎌倉時代)、中世後期(室町時代)、近世(江戸時代)、近代(明治以降)の六つに分け、それぞれの総説・文字表記・音韻・語彙・文法の変化について述べている。ざっくり全体を見渡してから細部に論を進める形だ。
  語彙や文法変化は一語一語に解説がされ、特に巻末に索引があるのがうれしい。ある語について、疑問が生じた時にさっと参照できるのだ。
 文字表記・音韻は、この本に先立って読んだ釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか』に通じる。この類の本はとにかく古代前期(奈良時代)の項を読むのがキツイ。明治時代の項と比べて別の本のようにすら思える。
 この本、及び釘貫の著書を読んで、古語(文語)の完成期が古代後期(平安時代)であり、次代に既にそれが変化し始めた。し始めたゆえに、完成期である平安時代を黄金期として崇拝する潮流が生まれたのだと理解した。その中世前期(院政鎌倉時代)の価値観が、現代21世紀の今も中学高校の国語教育の古典(あるいは古文)の中心となっているのだという感想を持った。

以下は自分の為の覚書である。

 〈日本語という場合、話しことばと書きことばがあるが、その歴史を考える場合には話しことばを対象とすることは言うまでもない。(…)実際には、多くの場合、文語の中に口語の反映を見出していくことになるが、その新たな言語事象の断片的事実から大きな言語変化の流れが浮かび上がってくるのである。〉(P14~15 はじめに)
 もちろん、短歌の文語口語問題を考える上での本書の読書である。
〈現代語の共通語では、たとえば、セッテン(接点)という語はセ・ッ・テ・ンという四つの等間隔的最少単位、すなわち拍(モーラ)からなるととらえられる。俳句や短歌は五音と七音の組み合わせを定型としているが、その音数の数え方はこのモーラに基づく。(…)撥音・引き音・促音も一つの拍(モーラ)となる。(…)
 撥音・促音・引き音や二重母音の後続母音が寸づまりに聞こえ、直前の拍と合わせて一つの単位と数えるというとらえ方がなされる。このような等時間的な単位は「シラビーム(syllabeme)と名付けられている。〉(P48~49 古代前期ー奈良時代まで)
 モーラとシラビーム。現代短歌的にはシラビームで数えていることが多いのでは。
〈和歌における字余りは言語における音節のあり方、またそのとらえ方と深く関係している。(…)「字余り」を破格とする見方は近代的なものである。(…)和歌の音律におけるシラビームのような単位は朗詠上の問題として別に扱うべきであろう。〉(P49~50)
 九字に対して七音、など読み方の問題としても考えるべきだろう。字数(
(音節構造)だけを考えていては特に現代短歌は読めない。
〈V3R型(未然形と命令形が同じもの)では、過去の助動詞「き」に付く場合、カ変「来」は「来(こ)しかた」(「来(き)しかた」は平安時代以降の言い方)のように「こ(乙)」であり、サ変「す」は「せし時」のように「せ」に付く。すなわち、過去の助動詞は連用形接続であることから、カ変の連用形に「こ」が、サ変の連用形に「せ」が古くには存在したことになる。(P71)
 「し」は「さみしよ」、つまり、サ変は未然形に、四段は連用形に接続する、と覚えている。サ変、カ変は未然形に接続する、という解釈ではなく、古代には未然形と同じ形の連用形があったという解釈でいいのだろうか。
〈命令形が他者めあてに強く言い切る語法であるのに対して、已然形は話し手自身めあての強い言い切りであると考えられる。〉(P81)
 こういう説明はよく分かる。
〈現代語では、ク活用は「ーい」、シク活用は「ーしい」となる、ク活用には(…)主として事物の属性を表す語が属するのに対して、シク活用には(…)主として人間の感情・感覚を表す語が属する。このようにク活用は属性形容詞、シク活用は情意性形容詞であるという傾向が認められ、シク活用における語幹末尾に添加された「し」は、そのような情意性を示す要素であると捉えられる。
 (…)シク活用は(…)語幹が終止形を兼ねると捉えるのが正しい。〉(P83~84)
 活用の違いだけでなく、表すカテゴリーも違う。語幹の捉え方も考え直しが必要。
〈形容詞の語幹に接尾語「み(甲)」が付き、原因・理由を表す表現をミ語法という。〉(P89)
 最近の「うれしみ」「分かりみ」とかと関係は無さそうだが、「み」が接尾語というのは知っておくべきかも。また、この用法は平安時代に消滅したとのこと。
〈過去の助動詞「き」の終止形「き」はカ変動詞「来(く)」の連用形と同源で、過去の時制を表す。他方、「けり」は過去の事実を今の時点で発見したり把握したりする意が基本義で、カ変動詞連用形に由来する「き」にラ変「あり」が付いて「ki-ari→ keri」となったものである。
 完了の「ぬ」は主として自動詞に付き、変化した結果、新しい状態が発生した意を表し、「つ」は主として他動詞に付き、動作・作用が完了した意を表した。この両者の特徴を「なりゆきの〈ぬ〉」「打ち捨ての〈つ〉」と呼ぶことがある。(…)
 この「つ」の連用形が形式化して接続助詞「て」となったが、この「て」にラ変「あり」が付いたのが「たり」である(te-ari → tari)。「たり」は動詞全般に付いて動作・状態の存続、動作・作用の完了を表した。他方、完了・存続の「り」は四段およびサ変の動詞連用形にだけ接するもので、これは連用形末尾母音iに「あり」が付いて変化したものである。(…)そのエ段は甲類相当であって、命令形活用語尾に相当する。その語形は、「行く」「す」を例にすると、「行きあり」「しあり」から変化して「行けり」「せり」となった。〉(P95)
 「ぬ」は「いぬ」、「つ」は「うつ」(棄)に由来するらしい。
 「り」は「さみしい」、サ行未然形、四段已然形・命令形。これは変化後の形を語幹と取ったものか。著者はあくまで過去の助動詞は連用接続という態度。

〈十一世紀は、古典語が伝統を保ちつつ成熟していった時代で(…)
 この時期の言語はその後、文語として明治前半に至るまで長く尊重されることになる。文語が成立するとは、話しことば(口語)が古典語とかなり異なるようになったことを物語っている。そのような、古典語からの逸脱が始まるのが院政時代であり、そこに時代の区切りを認めることができる。〉(P111 古代後期ー平安時代)
 平安時代に古典語が完成した。そしてそれを尊重する姿勢は院政鎌倉時代から現在まで続いている。
〈連体形で文が終わる用法(連体止め)では、文末が低く終わらず、高いままであることから、次に続くというニュアンスを持ち、そのため余情・余韻を残して文が終わるように感じたわけである。四段活用動詞の終止形・連体形は、書きことばではともに同じ表記となるが、実際には口頭で発音された場合には明らかな違いがあり、連体止めという実質を確認できたのである。〉(P145~146)
 連体止めが余情、余韻。現在の連用止めにも通じるのでは。
〈(形容動詞の)ナリ活用は連用形語尾「に」に動詞「あり」が接して「ni-ari→ nari」となり、タリ活用は連用形語尾「と」に動詞「あり」が接して「to-ari→ tari」となって、それぞれラ変に活用された。(…)本活用はナリ活用、タリ活用とも連用形の「に」「と」しかないということになり、このことはとりもなおさず形容動詞が副詞の用法に由来することを物語る。〉(P161)
 タリ活用は漢文訓読から発し、漢語を語幹とした、に続く部分。形容動詞という概念そのものが難しい。補助活用という活用も考え合わさなければならない。この語尾は助動詞「なり」と(元々が「あり」だから)活用形は同じ。
〈音便形は次第に勢力を増し、十八世紀には普通の言い方となった。〉(P164)
 音便形は外国語で言うところのリエゾンに近いと思う。進めば進むほど元の語と離れていく。音便形が元の語と認識されることの方が多いかも。
〈完了の「り」は四段・サ変にしか接続しないという制限の多い助動詞であり、意味も「たり」と異なるところがなかったことから、十一世紀以降次第に消滅していった。〉(P167)
 十一世紀というと鎌倉幕府成立より前。
〈また、格助詞「と」に動詞「あり」が付いた「とあり」から転じた「たり」も断定の助動詞として用いられた。(…)ただし、和文での使用は少なく、主として漢文訓読調の文章に用いられるだけであった。〉(P168~169)
 とすると、「り」も「たり」もあまり使われていなかったということになる。

〈古典とされる前代のことばから見ると誤用である言い方が次第にふつうの言い方となり、後世へ受け継がれていくのである。ただし、それは日常の話しことばにおいてであって、書きことばにおいては、物語にせよ和歌にせよ、模範とすべき十世紀を中心とする古典語を継承した。このように、古典語は文語としてその後長らく規範性を保ち続けることになるが、話しことば(口語)はそれから徐々に乖離していく。〉(P180~181 中世前期ー院政鎌倉時代)
 鎌倉時代に平安時代崇拝が生まれ、それが現代にも続いている。つまりは鎌倉時代から古典語は乱れ始め、日常の話しことばは文語とは違うものになっていった。話しことばは常に書きことばから乖離する。いつの時代でも。〈終止形は連体形と混同され、次第に古代語の終止形が消滅し、連体形が終止形をも兼ねるようになっていった。(…)
   古典語には係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結ばれるよいう法則があった。しかし、連体形が文の終止に用いられることが一般化したため、連体形にかかるという係助詞の表現価値が希薄化し、書き言葉において終止形で結ばれるという用法が生じた。(…)
   「こそ」の結びは本来「こそ…けれ」のように已然形であるが、一般的な文終止の形式である連体形で結ばれるに至った。〉(P213)
 終止形と連体形の兼用と、係り結びの消滅。係り結びってこんな早い時期に消滅していたんだ。現代の高校生が係り結びを一生懸命覚えてるのって何か意味があるのかなとすら思う。
〈院政時代の東国方言では連体形語尾の「る」を脱落させた言い方が広まっていたことがわかる。(…)
   古典語の助動詞「たり」は連体形(終止形)で「た」となり、現代語の過去の助動詞(「昨日、来た。」)となるのである。(P219~220)
 これもこんな早い時期に。
〈過去の時制を表すものとして、古典語では「き」「けり」があった。「き」は、連体形が終止形を兼ねるようになると、連体形「し」が過去を表す語として用いられるようになった。しかし、この「し」は(…)もともと変化の結果の状態を表す意を強く有していたことから、時制としての過去を表す用法は「たり(たる・た)」に吸収されて、次第に口語では用いられなくなった。
 「けり」も「き」とともに時制を失い、単なる詠嘆の意で用いられるだけとなった。(…)
 完了では、「ぬ」は変化した結果、新しい状態が発生したという意を表す語で、(…)(十二世紀ごろになると)本来の意味用法から変質し、次第に衰退に向かっていった。他方、「つ」は、動作・作用が完了した意を表していたが、これも「ぬ」とともに鎌倉時代以降口語では用いられなくなった。
 「り」は平安時代にすでに衰退の一途をたどっていたことから、過去・完了の意は「たり」だけが担うこととなった。そしてその「たり」は前述のように、十二世紀には連体形「たる」の語尾が脱落した「た」の形でも用いられるようになっていった。〉(P226~227)
 古典文語としては12世紀(院政時代)にもはや過去の助動詞は「た」に集約されていったのだ。それを現代においてさも使い分けているように使っているのはなぜだろう。
〈終助詞では、願望表現に「ばや」はそのまま用いられたが、「もがも」「なむ」「てしが」「にしが」などは口語で次第に衰退し、新たに生じた助動詞「たし(たい)」に取って代わられた。〉(P235)
 「たい」が新しいと感じる感覚はどこから来るのだろう。こんな古い語なのだ。

〈「てやる」のほかにも、「てくれる」が話し手側に対して恩恵を与える表現に、〉(P277 中世後期ー室町時代)
 授受表現。「~してくれる」も「~たい」同様、現代短歌頻出の表現。しかしその発生は室町時代。
〈過去を表す「た」は前代に「たり」の連体形「たる」を経て成立していたが、この「た」が状態継続の意も表すようになった。(…)
 一方、存続の用法は「たり」が消滅して、十五世紀になると、「ている」が動作・作用の持続・反復進行、完了の継続の意を担うようになる。
 そして、「てある」も自動詞について継続・反復、完了の存続の意を表した。(…)
 ちなみに、「てある」が、現代語のように、他動詞に付いて完了した事態の存続の意を表すのは近世の江戸語からである。〉(P287~288)
 古典文法の規範が平安時代である限り、決して学校では教えない事柄。
それから長いので要約するが「である」→「であ」→「ぢゃ」→「だ」への変化が起こった。「ぢゃ」は中世末期京都、「だ」は東国。(P288~289)
〈願望の助動詞では、「たし」の連体形イ音便「たい」が口語で勢力を増していった。〉(P290)
 「たし」は古語っぽい。「たい」は現代語。

〈漢文体は公的、もしくは学術的な書物に用いられていた。〉(P310 近世ー江戸時代)
 以下要約、学者の随筆や啓蒙的な著作、文芸作品は和漢混淆文、井原西鶴「雅俗折衷文」、滝沢馬琴は漢文脈の色濃い文章、国学者本居宣長らは和文的な「擬古文」を用いた。
〈アスペクトでは、「てある」が江戸期で完了の継続の用法を持つようになった。(…)
 「ている」の縮約形「てる」も江戸期から現れるようになる。(…)
 完了を意味する「てしまう」も近世前期から用いられるようになった。〉(P359)
 時制を意味する表現は古典語の助動詞とは違う目で見るべきだろう。
〈仮定条件には「たら」「なら」も前代に比して多用されるようになった。「たら」は動作の完了を仮定する条件法(たら+ば)に由来するものであるが、過去の動作についても用いられるようになった。一説に、「たれば→たりゃ→たら」の転とも言われている。〉(P361)
 この転の最中の「たりゃ」が古臭い。「ぢゃ」もそうだけど。いかにも江戸時代の言葉。

〈一八八七年ごろ以降盛んになる言文一致運動は、話しことばを基盤とした口語体を一般化させていった。〉(P374 近代―明治以降)
 言文一致は運動であって、自然な言語変化ではない。学校教育などの施策と同じく、人為的なものだ。時代の意志とも言える。
〈京阪式と東京式のアクセントは糸魚川から県境を横断して岐阜県揖斐川に至るラインを境界にして対立しているが、この東側は奈良時代から「あづま」と呼ばれる地域であった。「買った・買(こ)うた」「早く・早(はよ)う」「借りる・借(か)る」「行かない・行かん」などのさまざまな言語項目においても、東西方言の境界線がこの辺りでほぼ重なり合っている。〉(P403)(関係記述P280 室町時代)
 自分の父親との通じない会話を思い出す。「その本は図書館で借ったんか?」「買ってない。図書館では本は売ってない」「だから借ったんやろ?」という不毛な会話を延々と交わした。最後に父親は「買うたんか?」と尋ね、「買うてない」という返事で理解していたが、小学生の私は父がなぜ理解に時間がかかったのか分からなかった。昭和40年代、生粋の京都人の父との思い出だ。
〈「れる」という多義的な語において、可能と受身・自発・尊敬とでは接続形式が異なることになれば、用法上の違いが明示できるという利点もある。つまり、ラ抜きことばが一般化していくことにには合理的な側面があり、支障はほとんどない。〉(P418)
 言語学者でラ抜きことばに批判的な言説をする人は無い。ラ抜き言葉批判は、慣れた言葉が美しいと感じる感情論でしかないのだ。
〈(「きり」は)動詞の連用形に付く接尾語でも〈ずっと…している〉の意で用いられた。
 「ばかり」は前代に「ぬばかり」の形が〈今にも…しそうに〉の意で用いられるようになっていたが、「た」に付いた「たばかり」の形で〈完了して間もない〉意を表すようにもなった。〉(P423~424)
 この辺りも助動詞ではない。(副助詞)。時間を表す表現は時間の助動詞に限るものではない。
〈過去推量では、明治前期において「たろう」「ましたろう」が用いられていた。(…)
 しかし、こららに代わって「ただろう」「たでしょう」が用いられ、一八九〇年代以降次第に一般化していった。〉(P432)
 本書の最終部分。推量の話なのだが、時制の話でもある。
〈それぞれの時代に生きた人々の絶対的多数の言い馴れた言い方が、結果的に見ればことばの変化を決定づけ、その弛(たゆ)みない繰り返しが言葉の歴史を形作っている。〉(P433 あとがき)
 ことばの乱れも揺れも自然なあり方とする著者の姿勢に全面的に賛成だ。

ちくま新書 2017.4. 定価(本体価格1250円+税)




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