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『短歌研究』2020年7月号

たかだかと呼び出しのこゑ伸びてゆく畑のやうな体育館に 池田はるみ 「相撲とコロナ」のタイトルそのままに、一連でコロナ禍での場所中止や無観客試合を描く。無観客になって、座席ってこんな風なんだ、と驚いた。作者の相撲愛が深く、一連で読むともっと味わいがある。

どこであれ生きるさ寝ころんで菓子のパッケージなんか読みふけって 雪舟えま 二句三句のリズムが面白い。「なんか」の語選択も現代的。この歌は一首で読むほうがいい。一連に強い物語的しばりがあって、それが歌の受け取り方を狭めていると思う。そこが好きな人もいるだろうが。

人類史にのこるわざはひの日を生きて歌の結句に苦しむわれは 小池光 大状況と個人の芸術活動の比較。藤原定家の「吾が事に非ず」と違って、状況の大変さは重々分かっているのだが、それでも第一の関心事として短歌の結句に悩んでしまう自分・・・という捉え方なのだと思う。

近くにゐるそれだけのことだからひとりづつにならいつでもなれる 平井弘 緊急事態宣言が出て、人との繋がりが持ち難くなったことを嘆く声は多く聞いたが、元々人と人との繋がりなんて薄いもんだったじゃないか、と平井は言う。相変わらず冷やかで怖い。口語旧かなが迫力。

⑤小川剛生「武士と和歌ー題詠をめぐって」〈この題の「本意」をいかに的確に表現するか歌人たちは腐心したのである。〉武家歌人の歌会の描写が生々しい。知らないと恥をかく、とか今と一緒だなあ。短歌史を知るには国文学者の論が必須。こういう論が載ってるってとこ、懐が深いわ。

⑥渡辺幸一「『孤独担当大臣のいる国』で『ひきこもり』について考える」〈日本人は(イギリス人と)逆に「ほかの大多数の人と同じでないこと」に違和感を覚える。それが冷たい「世間の目」を作り出す。〉この評論は本当に短歌に関わる者だけでなく、全ての人に読んでほしい論だ。

⑦松岡秀明「光をうたった歌人」明石海人から前川佐美雄への手紙からの引用で「私は人間である以上に癩者です(・・・)自分の書くものが何等かの光となつて数万の癩者の上に還つて来るやうに。」に驚いた。人間である以上に癩者って・・・。病人にそんなことを言わせる世の中って。

それでも引用箇所の後半部分の考え方は美しい。おそらく次号から『白描』の第一部と第二部の違いについて触れられていくのだろう。『白描』は大好きな歌集の一つ。楽しみだ。

⑧松村由利子「ジャーナリスト与謝野晶子」〈女が新聞を読むこと自体、冷ややかな目で見られる時代だった(・・・)日々、何紙も新聞を読んでいた百年前の晶子の方が、現代の私達よりも偏りの少ない情報収集をし…〉本当、晶子すごい。それを教えてくれる松村の文章に敬意を表する。

2020.7.10.~13.Twitter より編集再掲