note事始②角川『短歌』2019年8月号に寄せて

Twitterとnoteを使い始めた契機について書いています。今日で最後です。

睦月都の「歌壇時評」には色々考えさせられた。

〈若手歌人の評論がまとまった本の形で刊行されることは、本当に、ほんとうに少ない。(…)この世のたいていの評論は総合誌なり結社誌なりに一度発表されて、されたまま忘れられていく。〉

この言葉は痛みを伴って実感した。若手歌人だけではない。自分が総合誌に評論を書いた時もそうだ。反応はほとんど無く、一か月経って総合誌の新しい号が出たら、流れてしまう。

自分も書くから分かるのだが、各総合誌にサラッと2~4ページ載っている評論でも、書くのは大変だ。先行の論を読み、論旨を組み立て・・・と。

だから評論について、どんどんTwitterで触れていきたい、と思った。さらに、それは自分が論を書く時に、資料を探す手掛かりになることもあるだろう。「あの人が〇〇について面白い論を書いてたよね…。何年の何の総合誌だったったけ?」と思った時、家中の総合誌をひっくり返して探した経験が今までにもあったからだ。(そして時々発見できない。)Twitterで書いておけば、付箋になるだろう。

さらに約9カ月後の2020年5月に、noteにまとめ始めた。それが2020年8月の現状だ。

今後どう使っていくのか、まだ未定だが、いつかnoteには、昔行った海外旅行の写真や旅行記も載せてみたい。Twitterはやはり、今のことを今発信するものだが、noteには過去のことも書ける深さがあると思う。

今は短歌関係の本を読むのに毎日必死だが、いつか楽しんで、短歌以外の記事もnoteに載せられたらいいなあと思っている。


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