note事始 角川『短歌』2019年8月号に寄せて~デジタル・アーカイブ

2020年5月にnoteを始めました。そのきっかけを書きます。

2019年8月、私はTwitterを始めた。短歌総合誌、新聞、歌集、などで短歌や短歌評論を読んだら、その感想を発信していきたい、どこかで短歌評論史のようなものと繋げたい、と思ったからだ。

また、短歌に関する記事、特に短歌評論が、書かれては、どんどん失われていくということにも危機感を感じていた。

刺激を受けたのは、角川『短歌』2019年8月号の睦月都の「歌壇時評」、デジタル・アーカイブ化に関する文章である。

〈インターネットという場はまたリアルタイムの情報発信だけでなく、過去の作品や評論、対談、イベントの動画などをアーカイブする場としても優れている。現在でも、それこそどこかに発表したままの評論を個人ブログに上げなおす、といったことを行っている人もいる。インターネットでのアーカイブが今後多方面でより積極的に行われるようになれば、少なからず短歌の言語空間は変わるだろう。それには個人の努力だけでなく、大規模になるにつれて、新たなプラットフォームの存在やスタイルガイドのようなものが必要になってくるかもしれない。〉

まさに卓見というべきで、目の前が明るくなるような気がした。

何よりも、個人が自分の書いたものをアーカイブ化するだけでなく、歌壇横断的な、大規模デジタル・アーカイブが出来たらどんなに便利だろう、と思った。・・・ネット上の「短歌(評論)図書館」というべきものが出来ないだろうか。

例えば、歌人の団体が、短歌評論に関するデジタル・アーカイブを作ったらどうだろう。ネット普及以前の文献はアルバイトやボランティアの手を借りてデータ化して、整理する。ヒントになるのはネットの「青空文庫」だ。

ネット普及以後の文献は、もっと簡単。書き手が自分の評論のデータを持っていたら、それをコピペするだけ。大きな外枠だけ団体側が作る。

作者としてはより多くの読者に触れられるなら、参加する人は多いのではないだろうか。自分を基準にして考えてみれば、だが。

ただ、自分がそういう事がしたいなら、それ以前にまず、自分の書いたものをネット上のどこかに保存しなければならないだろう。

そこで、2020年5月にnoteを利用し始めた。

今までTwitterに書いた、総合誌や結社誌の感想をまとめる。さらに、自分が結社誌・総合誌などに書いた文章も公開する。

自分でブログを作るのは難しい・・・と思っていた私にはnoteはとても便利だった。さらにマガジンにまとめるとテーマごとに分けられて、見やすい。いいことづくめだ。

ただ、困ったこともある。やはり「流れて行く」感覚が強いので、あまり重くて長い文は載せにくい。それとあまり古い文章も載せにくい。昔、書いた文とか、どうしようか。

などと考えながらも、今日もせっせとnoteを書いている。最近は読書感想文や新聞の感想など写真付きでメモ代わりにも使っている。個人的デジタル・アーカイブは取り合えず進行中。

歌壇横断的デジタル・アーカイブ、決して不可能ではないはずだ。評論だけでなく、歌集も収録していければ理想的だ。一歩でも近づけるよう、今後も発信していきたい。

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