鈴木ちづる

鈴木ちづる

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はじめの一歩

誰もが 「生きていて良かった」 「生まれてきて良かった」 と思える社会にしたくて 子どもたちや 自分では声をあげることができない人たち そして その人たちを支えている人たちの声を届けるための 「通訳」の役目を、ずっとしてきました。 なのですが、 届けるだけでは、社会はなかなか変わらなくて それこそ10年がかりで、ようやく 障害者の移動支援についての「話し合い」が始まった、という現状。 そんなとき 届けた「先」の役目もやらないか?と お誘いを受けました。 私は、福祉のこ

    • 生い立ち〜

      私は子どもの頃から、長女気質で甘え方を知らず「親にも周りにも心配をかけてはならない」「私なら自分でなんとかできるはず」という気持ちを抱えて育ちました。 (いまでもまだそのスティグマは少し残っているかもしれません。) 学校では、なぜか勉強ができたので、本当は女優さんになりたかったけれど自分の気持ちにフタをして、妙に自分自身を律していた学生時代でした。 まわりの期待どおりに進学し、憧れの従姉妹と同じ法学部を選び、 先生の勧めで大学在学中から司法書士事務所で働き始めました。 当時

      • もう一つのきっかけ

        私がコロナ禍で参加して2年になる社会活動 「あなたのいばしょ(24時間SNSチャット相談のボランティアカウンセラー)」で、日々、「誰にも言えない苦しみ、孤独の声(言葉)」を傾聴していることです。 エッセンシャルワーカーですらない、まるで痰壺のような、 ハードなボランティア活動。ここで、相談を受けながら、新人カウンセラーの育成もしています。 「あなたにになら話せる」と言ってくれる障害児ママや新人カウンセラーさんたちとの対話の中で、 本来なら議員さんがするべきと思う通訳の役割、

        • きっかけの一つ

          私の生い立ち、学生時代、結婚前後のこと、そして3人の子どもの子育てについて、以前から個人の発信などで書いてきましたが、 このコロナ禍の2年間の出来事が大きなきっかけでした。 知的障害児の親として、杉並区の理事者及び各政党の区議団の方々に要望を伝えていく中で、限界を感じていたのです。 つまり 当事者の気持ち、支援に関する専門的な事柄は、どうしても伝わりにくく、 一方で 必要としている人たちへ、行政からの情報があまり伝わっていないために、保護者たちは、噂レベルや古い情報に振り回

        はじめの一歩

          もっと未来を選べていたら・・・

          「それは個人の問題ですか?」 女性特有の心身のトラブル、性被害(DV、ストーカーなども含む)、経済的自立への壁、難しい子育てと教育、誰かを犠牲にした機能不全家族… これらは個人の問題なのでしょうか? 私はこの全ての当事者でした。 これまでの人生を振り返って感じたこと 「もっと自分の未来を選べていたら。。。」 これが私の、この社会を制度から変えたいと思った動機です。

          もっと未来を選べていたら・・・

          「今よりも幸せになりたい」全てのかたへ

          障害者が幸せな社会は、すべての人が幸せな社会 私は、障害児の親の立場と、介護現場、そしてケアラー支援の経験を活かして、 福祉分野の情報を、当事者目線で確実に、必要なひとへ双方向で届けたいと思います。 人は生まれてから死ぬまで、不安のなかで生きています。 その不安の多くは「情報を知らないこと」から生じます 福祉とは、介護や手当などの、誰かを助ける活動に限ったものではありません。 福は「幸せ」 祉も「幸せ」 という意味ですから 全ての人が「自分と相手を大切にして、今より

          「今よりも幸せになりたい」全てのかたへ

          初めまして

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