【災害記録帳】善光寺地震〜「土葬にされ、火葬にされ、水葬にされ三度弔われた。」と例えられる被害の多様性〜
江戸時代の1847年5月8日(弘化4年3月24日)、長野盆地西縁断層帯を震源とするM7.4の善光寺地震が発生した。
善光寺地震を考えるには、被害の多様性に着目する必要がある。犠牲者は「土葬にされ、火葬にされ、水葬にされ三度弔われた。」と例えられるように、さまざまな災難が人々を襲った。
善光寺の門前町だった長野村(現在の長野市)では、家屋の倒壊や火災により大きな被害を記録しており、震度は6~7であったと推定されている。
不運なことに地震発生はちょうど善光寺が常念仏6万5,00