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【日記】10年前の祇園祭での災難

が京都では夏の風物詩のひとつである祇園祭が始まっています。

祇園祭は八坂神社の祭礼で、貞観11年(869)に各地で蔓延した疫病を鎮めようと行われた「御霊会」が起源とされています。儀礼では当時の国の数を表す66本の矛を立て、悪霊を矛に移すことで町のケガレを祓ったのだそうです。
1カ月にわたる祭りの中でもハイライトと言われているのが「山鉾巡行」です。
前祭の7月17日(後祭では7月24日)には、長刀鉾を先頭に23基の豪華絢爛な山鉾が街をねり歩く山鉾巡行が行われますが、その前夜祭にあたるのが「宵山」です。
15日と16日の夕方から歩行者天国になり、お祭りムードが盛り上がります。
事件は10年前の宵山ムードの町で発生しました。

2014年7月16日、私は北陸での調査仕事を終えて、次の調査のために金沢から京都へ入りました。
その日の夕方までやれるだけの調査して、一旦四条通りのホテルにチェックインしました。やたらと人が多いと思ったら、ちょうど祇園祭の宵山の期間。人をかき分けて進むのが何気に大変でした。

夕方からは堀川三条で打合せがあり、これが21時頃まで続きました。
打ち合わせが終わって四条に戻る頃は祭も最高潮。ホテルへの帰路はひとしきりムードは味わいました。
夕食を取りたかったのですが、どこも人が多くて、仕方なくコンビニでお弁当を買ってホテルで食べることにしました。
もちろんビールも。そしておつまみにおいしそうな胡瓜の漬物を買いました。
その時点では翌日降りかかる災難のことは思いもしませんでした。

宵山の様子
凄い人、人、人

翌日も町のお祭りムードをよそに、朝から調査仕事にいそしんでいました。
ミッションは地下鉄の駅の調査で、指定された駅をまわって出入口等を調べて写真も撮影するというもの。
何分にも歩き回る仕事なので、ホテルをチェックアウトして四条駅のコインロッカーに荷物を入れ、身軽になってスタートしました。
身軽といっても、前の週に左足を肉離れしていて、歩行はえっちらおっちらという感じ。それでもまあ調査に支障はないかなと。

そして事件は午前11時頃の地下鉄五条駅で起きました。
出口の階段を上っていたところ、足がもつれたような躓いたようなな感じで、階段相手にダイビングヘッドをかましてしまったのです。
倒れる際はまるでスローモーションのようで、それでいてなぜか手も出ず、受け身もできませんでした。
年齢からくる身体の衰えなのか、肉離れの影響なのか、とにかく頭から突っ込んでしまったのです。

不思議と痛みはなく、でも「ああ、やっちまったな」という感触はあったし、瞬間的に流血も覚悟しました。そして案の定血だらけになりました。
とはいえ、自分で自分の姿が見えないのでどの程度切れているのか分かりません。ただ、出血はそれなりにあって、簡単には止まらないし拭きとることもできず、血がぽたぽたと垂れるままでした。

結構無様な姿だったと思うのですが、最初は通る人もあまり気づいてくれず(笑)
とりあえず血だらけになりながら階段を地上まで登りました。
旅先でもあり、この血だらけの状態で立ち去るわけにもいかずどうしたものか真剣に考えました。その結果救急車のお世話になる意外この場を収める策はないなと。

そのうち外国人の方が一人ティッシュを差し出してくれたけど言葉の壁もあり…その後若いサラリーマンが通りかかり声をかけてくれて「救急車呼びましょうか」と。
親切な方でとても助かりました。車が来た時も誘導してくれて救急に受け渡してくれました。御礼だけ言ったものの名前も聞けないまま。
あの時はありがとうございました(とここに書いても仕方ないですが)。

ということで人生初の救急車でした。
自力で車に乗って救急隊に事情を説明します。
頭打っているので隊員は「今日何日だか分かりますか?」などと異常がないかを盛んに質問されました。
とりあえず拭けるところだけ血を拭いて、血圧測ったり問診したり、元確認など色々。それで病院問い合わせてサイレン鳴らしながら向かいました。

なんだか申し訳なさが頭にあって、車内ではすごく饒舌だったように思います。何か面白いことを言わなきゃいけないと一生懸命話すのですが、渾身のギャグもすべて滑っていました。

救急隊員の皆さんもすごく親切でした。
心細さと情けなさでいっぱいいっぱいだったので本当にありがたかったです。そしてたどり着いたのが京都回生病院でした。

病院に着くと救急のスタッフが出迎えてくれていました。
そのまま歩いて救急処置質のベッドに。隊員から引きつきがされて、先生が傷口を確認。その他痛いところはないか聞かれましたが、アドレナリンが出ていたせいか「痛いところはまったくありません」と答えましたが、翌日はあちこち痛みが出ました。

とりあえず傷の応急処置をしました。傷は2cm程度とのこと「深いですか?」と聞いたら「深いです」と。
その先生は縫合はせず、テープでちらす手を選択。その方が傷を残さないで治せるのだとか。
治療もそれほど痛みはありませんでした。むしろ擦りむいた肘の消毒の方が痛いくらい。その後CTスキャンとレントゲン検査へ。

病院内をストレッチャーに乗せられて移動するのも初体験でした。
周囲のみんなに見てるのだろうけど、視線は感じませんでした。
「ああ天井しか見えないんだな」「だったら病院の天井ってもっと工夫があってもいいのに」などとどうでもいいことを考えていました。

検査の結果は問題なし。出血もないし脳みそもある(笑)骨も大丈夫。
先生が手紙を書いてくれて「明日東京でもう一度病院に行ってください。その時にこれ見せて」と。
若いけどやり手っぽい先生。看護師さんもみんなやさしかった。患者が看護婦さんに惚れるの分かる気がしました。

ここで初めて顔を洗いました。といっても患部は洗えません。当面シャンプーもアルコールもNG。
鏡で自分の顔を見てびっくり。顔から胸のあたりにかけて血だらけじゃありませんか。目の中も血が入っていました。コンタクトが見にくいのはそのせいだったか。これは知らない人が見たら絶対に怖いと思うレベル。
とりあえず見れる程度に洗いました。

その後薬局と会計。現金ないので心配したがカード使えて助wpました。
それはともかく、旅先で、しかも救急車で連れて来られたので病院の場所もわからない。そこで受付の人に「ここどこですか?」と聞いてみる。
すると「だ、大丈夫ですかああ」と心配されてしまい。こちらもあわてて「あ、いえそういう意味ではなくて…」みたいなやり取りが続く。

病院の場所は五条通りで丹波口の駅を越えたあたりらしい。五条通り1本だからバスで元の場所に戻れると。
受付の人に説明を受けて外に出るも方向を間違える。すると受付の人が追いかけてくれてもう一度説明してくれました。親切で惚れそう。

とりあえず五条通りに出ようと歩いていると、すれ違う人が皆大きく避けていく。そうか、着ている服が血だらけだからだ。ということで何とか服を買って着替えなければと思っていたところで表通りにユニクロを発見。
お店に入ると店員が「きゃああ」と。そりゃそうだろうな。とりあえず事情を説明すると、親切に対応してくれました。
Tシャツを買って(万が一出血しても目立たないえんじ色を選びました)、フィッティングルームで着替えされてもらいました。
ユニクロのスタッフもとても親切でした。こういう惨めな時のやさしさは本当に浸みます。

着替えたものの頭は大きガーゼ(多少血に染まっている)をテープで止めた状態なのでいやおうなしに目立ちます。
通行人の注目を集めるけど「これが俺のスタイルだ」くらいの気持ちで気にしないようにしました。いや、気にしたけど。

バスに乗って現場に戻ると、まだ血が残っていて駅や街を汚してしまった罪悪感に駆られました。
仕事が中途半端に残っていたので片づけて(竹田まで調査に行きました)、その後四条に戻りコインロッカーの荷物を出し、そのまま京都駅へ向かい食事をとって新幹線に乗って20時頃には東京へ戻りました。
その頃になると、あちこち痛みだします。右肩とか右手とか、やった時打ったのだろうけど後になって痛み出すのだから不思議です。傷口もその頃になって痛くなってきました。

この日ことは自分の人生の年表では「五条事件」(2014年)として刻まれています。

そしてこの話にはさらにオチがあったのです。
前の日に宵山のコンビニで買った胡瓜の漬物。

実は京都の人は祇園祭の期間中には胡瓜を食べない風習があるのです。
これは祇園さん(八坂神社)の神紋が、きゅうりの断面の模様と似ているからで、。 旬の時季にあえてきゅうりを断つことで、祭りの無事を祈るのだそうです。

八坂神社の神紋「唐花木瓜紋」(八坂神社ウェブサイトより)

しかもこの話、自分は知っていたのです(こち亀で得た知識)。にもかかわらず、すっかり忘れて胡瓜を食べてしまったことが五条事件の遠因なのではないかと密かに思っています。





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