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【まちあるき】等々力渓谷を歩く

興味がありながらも訪れたことがなかった東京都世田谷区の等々力渓谷。
季節的に紅葉もいい頃かな?ということで歩きに出かけてみた。

等々力渓谷の玄関口である東急大井町線等々力駅

等々力渓谷の最寄り駅である等々力駅に降り立つ。
島式ホームの先端に改札があって、北側に出るにも南側に出るにも踏切を渡らなければならない構造。電車の時間ギリギリに駆け込むのが難しいパターンだ。
駅を降りて等々力渓谷に行く前に寄ってみたかった逆川へ行ったのだが興奮して写真を撮り忘れたのでこれについてはいずれ改めて。

駅を南へ出て成城石井の角を曲がると「ゴルフ橋」が現れる。
なぜ「ゴルフ橋」なのか気になって調べたところ、戦前にこの先にゴルフ場があって、その入り口だったとのこと。
ゴルフ場そのものは空襲で焼失して、橋の名前だけが残っているということだ。

昭和20年の地図(左)でゴルフ場が確認できる(今昔マップon the webより)

昭和20年修正の旧版地図を見るとゴルフ場があったことが確認できる。
ゴルフ場は戦時中には高射砲の陣地となり、戦後には跡地が公園と都営住宅に利用されている。

ゴルフ橋の袂に渓谷に降りる階段がある。
橋の上から下を覗き込むと存外に谷が深い。都会に潜むミニV字谷は地形好きにはなかなかの萌え要素だ。
護岸の部分に大きな排水口が口を開けている。暗渠となっている逆川からの流れ込み口だろうか。

ゴルフ橋から見た渓谷へ下る階段。大きな排水口が見えた
渓谷遊歩道。都会とは思えない景色

渓谷には谷沢川沿いに遊歩道が整備されていて手頃な散策コースになっている。都会とは思えない幽玄な景観だ。紅葉もきれいだ。いい季節に来れたかもしれない。
ところどころに湧水があって、こんな場所が世田谷によく残っていたと感心する。
途中環八通りの下をくぐるのだが、環八を車で走っていると橋の下にこんな深い渓谷があるとは気づかないだろうな。

谷沢川を渡る橋。渓谷美を堪能できる
環八通りの下をくぐる。上を走っている車はこの渓谷に気づかなさそう
ところどころで見られる湧水
谷底から見上げる紅葉
紅葉がきれいだ

しばらく歩くと、不動滝が現れる。
「滝」といっても岩盤から湧水がちょろちょろと流れ出してるレベルなのだが、飛び石が滝の下まで続いているので滝行に使われている(いた?)のかもしれない。
ちなみに滝の上には等々力不動尊が鎮座しており、境内へ上る階段もある。

不動滝。滝というより湧水か

この滝、たかが湧水と思うなかれ。というのも、この湧水が等々力渓谷をつくったと言われているからだ。
多摩川沿いの武蔵野台地の段丘崖には多くの湧水が見られる。
台地を構成する関東ローム層は透水性が高く、雨水は地中深く浸透してしまい、それが台地の縁で湧水となって現れる。
この湧水(等々力でいえば「滝」)がどんどん上方へと侵食して武蔵野台地を削った結果、等々力渓谷の深い谷が生まれたと考えられている。
ゴルフ橋の北側では谷沢川は九品仏川(呑川の支流)がつくった谷を流れている。本来であればその谷を流れるはずの九品仏川ではなく、なぜ多摩川の支流である谷沢川なのか。
これについては諸説あり、いずれもはっきりと証明されてはいないのだが、谷沢川が等々力渓谷をつくった侵食力でどんどん上流を削っていって大地を削りきってしまった結果、九品仏川の谷に侵入してその流れを奪ってしまったという考え方がもっとも有力となっている。
このような現象を「河川争奪」という。自然界のNTRというやつだ。

等々力渓谷を形成した谷沢川が九品仏川のつくった谷を流れている(地理院地図を加工)

下流に向かって歩いていくと等々力渓谷は徐々に深さを失い、遊歩道はいきなり住宅街に押し出される。
その出口の部分に日本庭園があり、世田谷の京都かと思わせる立派な竹林が見られる。

日本庭園には立派な竹林が

さらに谷沢川に沿って下ると、多摩川への合流部に達する。
合流部には水門が設けられている。多摩川が洪水で増水した際などに、溢れた水が谷沢川に流入するのを防ぐためだ。

谷沢川の多摩川への合流部に見られる水門

多摩川の河川敷に立ったのはちょうど夕暮れの時間帯だった。
川の向こう岸の下流側には武蔵小杉の高層マンション群、そしてその手前に川崎フロンターレのホームスタジアムである等々力競技場の照明塔が見える。
等々力競技場。そう世田谷区のこちらも等々力、川崎市のあちらも等々力。奇遇である。いや実は奇遇などではない。
江戸時代までは両者とも等々力村という一つの村だった。

多摩川の両岸にある野毛と等々力。かつては一つの村だったが現在は東京都世田谷区と神奈川県川崎市に分かれる(地理院地図を加工)

これは多摩川の暴れ川で洪水のたびに流路を変えていた当時の名残で、江戸時代に治水のために堤をつくり、現在に近い流路に近い形で固定された際に、古い流路に沿って存在していた村が分断されて両岸に分かれた結果なのだ。
今では東京都と神奈川県に分かれてしまったのだから切ない話だ。
等々力だけでなく、大井町線に上野毛駅があるが、下野毛は対岸の川崎市側にある。多摩川沿いには他にも丸子や瀬田、宇奈根などこのパターンが多くみられるので是非探してみていただきたい。

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