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noteの7年と私の1年の思いと感謝

7年前は息子が10歳で、まだ見上げてくれる目がまぶしかった。
一方で家族から離れて、友達を大事にし始めたころだった。

私にとって大事なのは家族の時間、主に息子との時間で、それと仕事と家事と多少の趣味とでいっぱいいっぱいだった。

そのころnoteは知らなかった。
FaceBookを友人との連絡や報告程度に使っていた。

noteを始めた時

もう息子は17歳になって、親と出かけようとはしない。
寂しいけれど当たり前のことで、どこかで安堵もしている。
昨年、私は自分のことを自分の手で始めようと思った。
思いのほか、たっぷりの時間が急に目の前に広がった。

言い訳しながらやっていなかったブログを始めようかと調べたが、らちが開かない。自分の技術と知識と情報のなさに毒づいては、布団に転がってため息をついて。

ところがnoteはふわっと始められた。
あら、思ったよりもずっと簡単。

これなら私にもできる。

そうやって去年、始めたnoteがこんなに私の生活の中に入り込んでくるなんて思いもよらなかった。
ポツリポツリと書き始めて、少しずつ投稿が増えて、毎日投稿するようになって。

生活が大きく変わった。
「書きたい」が「書かなきゃ」になった。
何かを見ては「これ書けるかな?」と考え、誰かの言葉を聞いて「おもしろいな、書けるかも」と思ったり。

プレッシャー、ともいう。
誰からも押し付けられてはいないのに。
新鮮でもあった。
仕事でもないのに、自分で決めてやっている。

息子は「なんかやっている」という目で見ている。
それが刺激になっているわけでもなさそうだけど。
やっていることは伝わっている。

交流が始まった時

フワフワ読んでいたnoteが、「読みたい」になった。
スキしてコメントして、交流するってこういうことなんだと知った。

直接会っていなくても、人柄が伝わってくる。
やっていること、感じていること、発言することに、感心して、笑って、泣いて、共感して、あこがれた。

もっと読みたい、でも時間がない、のせめぎ合い。
読みながら寝落ちしたこともあった。
息子が電気を消してくれたこともあった。何度も。

次第に何人かと会い、話すこともあった。
話した人はみんな前向きで、発言に個性と思いが満ちていた。

そういえば、こんなに「読むこと」「書くこと」が好きな人たちの集団って初めてかもしれない。
大学でも会社でも、どこか違和感があった。
言葉を尊重しきっていないような。
私が深く話していないだけ?
そうかもしれない。

でもここではなんて自然に、みんな言葉を操るんだろう。

驚きだった。わくわくした。

ますますのめり込んだ。

noteのある生活の今

今少し自分を見直している。

ちょっと疲れて、でも楽しさは変わらずあって、迷ったり悩んだりしている。

さてどうしようかな。

私は去年の5月5日にnoteを始めて、まだ1年たっていないし、連続投稿をして、まだ220日くらい。

noteの時間ってすっごく早く流れている。

3か月前に知り合った人とすごく仲良くなって、3か月しか知らないことに気がついてハッとする。

2か月前に自分の記事を読んで「私、こうだったんだ!」って驚愕するくらいに、自分の変化を感じたりしている。

noteのある生活にすっかりなれてしまった。

note7周年。
おめでとうございます。
7年間。
生まれた子が小学校に入学するまでの時間。

私はまだ1年にもなっていないけれど、noteのおかげで得られたことはたくさんある。

毎日必ず書くこと。読むこと。
スキすること、スキされること。
コメントすること。コメントされること。

たくさんの人が来て、また去ってもいくnote。
去った人のことも忘れないし、新しく来た人とも知り合う。

大事にしたい人と時間。

1年にもなっていないけれど、心から感謝しています。

あなたと、noteに。

ありがとう💕



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