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お菓子が心に刻んだもの

その日、得意先との打ち合わせは午前10時からの予定だった。初めて訪れる得意先だったので遅刻することが無いようにと琴音は少し早めに家を出た。しかし、思っていたよりも早く最寄り駅に着いてしまった。

Googleマップで得意先の所在地を確認する。得意先までここから徒歩約5分。左手首に目を向けるとまだ9時30分だった。いくらなんでも早すぎる。
「少し時間潰さないと……」
駅から出た琴音は目の前にあったコンビニに入った。

琴音はコンビニが好きだった。
「コンビニエンス」なだけあって、やはりいろいろなものが揃っている。特に、洋菓子業界で働く琴音にとってお菓子コーナーはいつ行っても魅力的だった。新商品、季節商品の入れ替わりが激しい、激戦を繰り広げているそのコーナーは見ているだけで瞬く間に時間が過ぎていく。そして、お金を使わない! と強く心に決めてから足を踏み入れないとついあれもこれもと買ってしまうのだ。

その日のお菓子コーナーもいつものように賑わっていた。
まずは菓子エリア。学生の頃よく買っていたグミが数十種類並んでいる。
今はジュレ入りのグミが流行っているようで、レギュラー商品の横に数種類、ジュレ入りの商品も並んでいる。
その隣に目を向けると飴のコーナーが広く展開されていた。朝晩が涼しくなってきたこの季節。会社でも風邪気味の人が多いことを思い出す。りんごやきんかん、蜂蜜を使用したのど飴がぴしっと胸を張ってこちらを見ている。
そして最も展開スペースが多いのがチョコレートを使用したスナック菓子だ。季節柄、ハロウィーンのパッケージのもの、芋、栗、南京味のお菓子がズラッと並び、秋の到来を感じさせる。

その中で琴音はある一つのチョコレート菓子を見つけた。
大きさは2~3センチのひとくちサイズ。レボパンを使って加工されているのだろうか、手につきにくいツルンとしたチョコレートでコーティングされたそのお菓子は中までチョコレートがぎっしりと詰め合わされている。一見、柔らかい粒チョコレート。しかし口に含むとサクサクとした食感が感じられる、見た目と中身のギャップが一粒に凝縮された、そんなチョコレート菓子、galboだった。

その昔、日本のとあるお菓子会社の陰謀でバレンタインデーは好きな人にチョコレートを渡して愛の告白をするという日になった。時が経ち、今では自分のご褒美用に海外から輸入した高級チョコを買う女性が多くなっている。しかし、琴音がまだ高校生だった頃は本命に渡すためにチョコレートを選ぶのではなく、仲の良い部活動の仲間やクラスメイトにチョコレートを配る「友チョコ」が大流行していた。

琴音は昔からお菓子を作るのが好きだった。正確に測った材料を丁寧に、順番に混ぜ合わせていくことで全く違ったものを作り上げるのが楽しかった。それを食べた人々が、目をかまぼこ型にし、口角を上げて口をもぐもぐさせる姿を見ると琴音は幸せを感じることができた。そんな琴音にとってバレンタインデーは公に人々にお菓子を振る舞うことができる日だったため毎年腕をふるってチョコレートやケーキを作っていた。

高校2年生のとき、バレンタインデーは月曜日だった。そこで琴音は土曜日、日曜日と2日間、ひたすらお菓子を作り続けた。
バレンタインデーということで、「チョコレートを必ず使用する」という自分ルールの下、琴音は朝から晩までチョコレートを刻み続けた。
刻んだチョコレートは湯煎でゆっくりと溶かす。ヘラを使って丁寧に溶かしていくとチョコレートに艶が現れてくる。それを見ているとつい生唾が出てきてしまう。湯煎したチョコレートに生クリームを合わせればガナッシュに、温度を調節しテンパリングをすればコート用のチョコレートにもなる。

台所を占領しすぎたため、母親からはブーイングが出たけれど、できたお菓子を振る舞うと、先程まで文句を言っていた家族が人が変わったように笑顔になる。それがお菓子の持つ力であると琴音は感じていた。

二日間で琴音はブラウニー、チョコレートパウンドケーキ、はちみつホワイトトリュフを作り上げた。どれも胸を張って出せる自信のある品ばかりだった。作ったお菓子は日曜日の夜に全てダイソーで購入したラッピングバッグに一つ一つ梱包していった。そしてバレンタイン当日。琴音はクラスメイトにお菓子をふるまい続けた。まるで遅れてきたハロウィーン。それもtrick or treatなんていう言葉もない、ただの自己満足の一人ハロウィーンだ。琴音は女子にも、男子にも分け隔てなく、いつも仲良くしているクラスメイトに手作りのお菓子を配りつづけた。

「え、何これ! ことみのケーキ、めっちゃうまいんだけど!」
声のする方を見るとケーキを片手に興奮している男子がいた。
琴音のことを「ことみ」と呼ぶひとは一人しかいない。当時、一緒に風紀委員をしていた涼介だ。男子にしては背が低く、小柄で細身な彼はかっこいいというよりは可愛らしいという言葉のほうがぴったりだった。だけど、所属するバスケ部ではシュート率が高く、隠れファンも多いという噂を聞いたことがある。

そんな涼介と仲良くなれたのはたまたま風紀委員を一緒にすることになったからだ。
「風紀委員だし、俺、ことみって呼ぼうかな」
何度目かの委員会の後、急に涼介が琴音に向かって言ってきた。
「え? その『み』ってどこからきたの?」
「ことみの『み』は美しいの『美(み)』、だよ。風紀を正しく、美しく!」
突発的に生まれたあだ名はいまいち腑に落ちなかった。
「じゃあ……私も『涼美(りょうみ)』って呼んだらいいのかな」
同じ流れで提案したのだけれど
「それはやめてくれ。俺は男だ」
とあっさり断られてしまった。

場をつなぐためのノリでついたあだ名は一瞬にして消えてなくなると思っていたけれど、涼介はそれ以降、私のことをずっと「ことみ」と呼び続けた。独特のあだ名の付け方に若干の戸惑いはあったものの、自分と涼介だけの間での呼び方が決まったことで、二人の距離が少し縮まった気がした。

そんな涼介には、風紀委員のよしみでチョコレートパウンドケーキを渡したのだった。

ケーキを両手で受け取ったその姿はまるでハムスターのようだった。つぶらな瞳をこちらに向け、「今、食べていい?」と聞かれた時、少し心がときめいたのはここだけの話だ。
だけどそのときめきも束の間、「琴音ー、私にもちょうだい!」と別の女子グループに声をかけられたので私は慌ててそちらへとお菓子を配りに行ったのだ。

涼介は
「ありがとなー」
とケーキほおばりながらこちらに手を振っていた。

そして、一ヶ月後の3月14日。
「ことみ! はい、これ」
机に座る琴音の目の前に、チョコレート菓子のgalboがことりと置かれた。
顔を上げると、少し照れくさそうな涼介が立っていた。
「え、なにこれ、くれるの?」
「だって今日は、ホワイトデーだから。ことみ、俺にケーキくれたでしょ? もらったものにはお返しするのが基本だろ?」
お返しをもらえると思ってケーキを配っていたわけではなかったので、思いがけないプレゼントに琴音は驚いた。
「あ、ありがとう……」
琴音のお礼の言葉を聞いて満足したのか、大きく頷いて涼介は去っていった。

その後姿とともにカサカサと揺れるなんの変哲もないコンビニの袋。
その袋にはまだおにぎりが2つ入っていた。おそらく今日の涼介の昼ごはんだろう。コンビニに入ったときに今日がホワイトデーだということを思い出したのか。だけどそれでも嬉しかった。琴音が1ヶ月前にあげたケーキのことを、その瞬間、思い出してくれたということが胸を熱くした。

3年生に上がるときのクラス替えで琴音と涼介とは別のクラスになった。
その途端、全く関わりがなくなってしなったため、「ことみ」と呼ばれることもなくなった。また風紀委員になれば委員会で会えるかも、と頭のどこかで思ったのかもしれない。
新しいクラスでも風紀委員に立候補をしたのだけれど、4月の委員会に涼介の姿はなかった。

あれから数年。
涼介とは高校を卒業して以来会っていない。
会っていないどころか、同級生の誰に聞いても涼介の所在不明なのだ。

涼介の実家は小さな地元で小さな内科を開業していた。両親共にお医者様。
長男だった涼介はレールの上を歩くかのように医者を目指していた。もちろん、医学部を受験したのだが、上手く行かず、浪人生活を送ることになっている、というところまではみんな知っていた。だけど、それ以降、誰も涼介のその後を知る人はいなくなった。
同級生に会いたくなかったのだろうか、地元を離れ、寮付きの予備校に入り勉強に励んだ涼介のその後は誰も知らない。
もちろん、涼介の本心だって、誰も知らない。

だけどgalboを見ると思い出す。あの頃、「ことみ」と呼んでくれた涼介のことを。
琴音は気づけばgalboを一つ手にとって、レジに並んでいた。
今日、あの日のことを鮮明に思い出したのはなにかの縁なのかもしれない。

涼介は私の心にgalboを刻んでいった。
それは10年以上経った今も、消えずに残っている。

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