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[読切] メイリーンと露払い

 メイリーンは東の空が白み始めたころ起き出して庭に出ると、井戸から地下水を汲み上げ、頭から三度、氷のように冷たい水をかぶった。

 こうして気合を入れてから道場に向かうのが彼女の日課なのだ。

 半着と袴を身につけ、敷地内にある道場へ一礼をし入る。

 壁に掛けてある数本の木刀から一本を取り、素振りを始める。

 ビュン、ビュンと空を切る力強い音と共に長く真っ直ぐな金髪が揺れる。
 そろそろ二十代も終盤に差し掛かる歳頃になったが、十年前と比べても、身体の衰えなどは全く感じていなかった。

 こうして毎朝木刀を振っていれば、老化とは無縁でいられると自分に言い聞かせるかのように、彼女は毎日素振りを続けていた。

 およそ百ほど木刀を振ったところで、露払いの太一が戻ってきた。

「メイリーン殿。松川街道の北側、トの三十地区から出陣要請です。」

 言いながら、太一は道場の扉を少しだけ開けてするりと中に入ってきた。闇夜に溶け込む紺色の装束を身に纏っている。幼顔で小柄なため、少年のように見えるが実は三十半ばの古参である。

「またあの地区か…。太一、状況を簡単に説明してくれ。」

 メイリーンは素振りを中断し、話を聞くためにその場に正座した。

 太一は事前に確認してきた事項を簡潔にメイリーンに説明した。

 露払い。それは戦闘に向かう主人のために、戦場へ先回りして周囲を調査する役割の者たちだ。

「状況はよく分かった。それではこれより出陣する。」

 太一は深々とお辞儀をし、道場を出て行った。メイリーンは立ち上がり、床の間に置かれた刀を二振り取ると腰に刺した。

 そう、彼女は二刀流なのだ。

 道場を出ると彼女の愛馬、駿流(カケル)が用意されていた。太一の姿はもうない。先回りして危険があれば回避できるよう偵察に出たのだ。

 メイリーンは駿流の背中にひらりと飛び乗ると、トの三十地区へと向かった。

 駿流は風のように走り、メイリーンはあっとゆう間に戦場へと到着した。

 馬を降り、太一から事前に聞いていた本陣へと向かう。どこからともなく太一が現れ、メイリーンに近寄ると、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。

「メイリーン殿。先程本陣の主将が負傷し、ジョンソンという者が代わりに就いています。評判はよくありません。ご注意を。」

 メイリーンは頷くと、着物の襟をキュッと締め直した。

 本陣には大きなテントが張られていた。見張りの者に到着の旨を告げると、すぐに中に通された。

 中に入ると、左右にずらりと兵士を従え、先程太一に知らされたジョンソンと思しき人物が中央に座っていた。

 全身を覆う鎧から目だけを出し、こちらをうかがっている。メイリーンは深々とお辞儀をすると、規則通りの方式で名を名乗った。

「長谷部流146代目頭首、長谷部メイリーン。入りました。」

 ジョンソンはしばらく鎧の向こうからこちらを伺っていたが、やがてガハハハと豪快に笑い出した。

「女子(おなご)だとは聞いていたが、こんなに可憐なレディーだったとは。一人で一個小隊に相当する戦闘能力の持ち主だというから、どんなゴリラみたいな女だろうと想像してたのに。」

 メイリーンはそれを聞いても表情ひとつ変えずに黙っていた。ジョンソンは構わず話を続けている。

「長谷部流頭首と言っても、もうお前一人なんだろう?いくら強いからって女子(おなご)一人に戦場の一角を任せるなんて正気の沙汰じゃないな…。前任の品川は何を考えているんだ。」

 さすがにメイリーンもこの意見にはムッとした様子で、口を開いた。

「恐れ入りますがジョンソン大将。そのご不安をこのメイリーンが身をもって晴らして見せましょう。どうぞ配置のご命令を。」

 それを聞くと、ジョンソンはガハハと再び笑った。

「気に入ったぞ。生きて戻れ。」

 メイリーンは一礼するとジョンソンのテントを出て行こうとした。

「ちょっと待てメイリーン。鎧は持ってきていないのか?いくらなんでもそんな軽装で戦うわけではなかろう?よかったらうちの最上級の鎧を貸してやってもいいのだよ。」

 メイリーンは振り返ると、腰に差している刀に手を触れこう言った。

「お気遣いありがたく頂戴いたします。しかし、私にはこの太刀があれば充分なのでございます。」

 あっけにとられるジョンソンに向かって、メイリーンはにっこりと微笑みテントを出た。
 そして、早速指定された戦場へと向かった。

 途中で太一が走り寄ってきた。

「班長は例の鉄塔の下にいました。班長以外全滅しています。どうぞお気をつけて。」

「ありがとう。太一も気をつけて。」

 太一は一礼すると森の中へと姿を消した。

 戦場が近づくと、メイリーンは姿勢を低くし、音を立てずに走った。

 鉄塔が見えてきた。あれは旧人類が残した遺物だ。現在は廃墟と化している。

 その下に突撃班の穴が見えた。班長はあそこにいる。

 音を立てないまま走り、穴の中に身体を滑り込ませた。
 穴の中には数人の兵士の遺体が並べられていた。
 先端で双眼鏡を構え外の様子を伺っていた男が気配に気がつき振り返った。

 独り生き残った彼は、やっとの思いで数人の部下をこの穴の中へと運んだのだろう。
 状況を察しメイリーンの胸は痛んだ。

 彼はメイリーンの出で立ちを見ると一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに真剣な顔をつきになり、手招きをして彼女をそばに来させた。
 メイリーンが隣に行くと、男は双眼鏡を彼女に渡し、見るように指示をした。

 前方には同じような穴があり、アージュナー人の兵士たちが潜んでいるのが見えた。彼らは十人ほど生き残っているようだ。
 アージュナー人の兵士たちの援護するのが人類の仕事だ。

 さらにその向こうには、プルドズビ人たちの砦が見えた。そこから先は、およそ1キロ四方にわたってプルドズビ人が占拠している「トの三十地区」となる。

 旧人類が軍事施設として使っていたその土地にはかつての文明が残した様々な技術の痕跡があり、何としても取り戻したい場所なのである。

 西暦10542年。

 銀河の果てからやって来たアージュナー人とプルドズビ人の争いに人類が巻き込まれてから、五千年の月日が流れていた。

 地球型の惑星が複数存在する恒星系で発展したアージュナー人とプルドズビ人は、環境汚染のためにそれぞれ故郷を終われ、勝手に地球を移住先に選んでやって来たものの、先住民である地球の生物の扱い方を巡って対立し、終わりの見えない戦争が何世紀にも渡って続いているのであった。

 どちらと戦っても勝ち目はないと判断した人類は、アージュナー人に従うことを選択した。
 彼らが地球の生命と共存していく方針だったとうこともあるのだが、何より見た目が地球人に似ていたから、という理由でもある。

 対するプルドズビ人は、地球人がどうしても受け入れられない容姿をしてたのだ。
 黒くてツヤツヤで平べったく、カサカサと動くあの昆虫にそっくりな姿。
 そして、彼らは地球上の生き物を何でも食べた。

 銀河の果てから地球にやって来るほどの高度な文明を持ちながら、彼らは個体通し殺し合うという原始的な戦い方を採用していた。
 アージュナー人が言うには、一周回って原点に帰ったとのことだった。
 その影響で、人類も戦闘に特化した進化を歩むこととなり、それまで築いて来た人類の文明は完全に崩壊していた。

 メイリーンは双眼鏡を班長に戻すと、腰の太刀に手をかけ、出撃の瞬間を待った。

 前方にヒュルヒュルと赤の狼煙弾が上がった。戦闘開始の合図だ。
 アージュナー人たちが潜んでいた穴から飛び出し、砦へと走っていくのが見えた。数十人いる。見えていたよりも多く生き残っていたようだ。

 メイリーンも続いて穴を飛び出した。
 この戦闘に参加している地球人は、彼女と班長のみなので、二人はお互いを護衛する隊形で走った。

 プルドズビ人の砦がザザザザザと波打ち崩れながら、こちらへなだれ込んでくるのが見えた。
 奴らの砦は、プルドズビ人たちそのものでできているのだ。
 プルドズビ人の大群が、ガサガサと猛スピードでこちらへ這ってくる。

 先に飛びだしていたアージュナー人たちが彼らの独特の斧のような武器を持って、プルドズビ人たちを片っ端から叩き潰していった。
 この宇宙人たちの独特の倫理観により、戦闘に飛び道具が使われることはない。

 プルドズビ人は決して強くはないのだが、とにかく数が多い。彼らは凄まじい繁殖力で数を増やし、殺しても殺しても出てくるのだ。

 これがこの戦争が長引いている最大の理由だった。

 アージュナー人たちの作戦といえば、ひたすら突撃、休憩、突撃を何度も繰り返して、徐々にプルドズビ人の砦を後退させ、狭い範囲に奴らを追い詰めて、皆殺しにするというやり方だった。

 人類は、かつて所有していた大量殺戮兵器を捨て、アージュナー人のやり方に従うこととなった。従わざるを得ない状況だったと言った方がよいだろう。もはや人類には自由に選択する余地はなかったのだ。

 メイリーンたちは戦闘の最前線へと入って行った。

 二振りの太刀を抜くと、メイリーンは低い姿勢で走り、足元を這いまわるプルドズビ人を斬って斬って斬りまくった。
 右側を走ってくる班長もナタのような武器でプルドズビ人をカチ割って行った。

「ここで一気に追い詰めるようだ。休憩はないぞ。」

 班長が声を出して言った。

 斜め左前方で一人のアージュナー人が苦戦しているのが見えた。

「班長、彼を援護します。」
「よし、行け。」

 メイリーンは地を蹴ってアージュナー人の方へと向かった。
 そのアージュナー人は一匹のプルドズビ人を倒すのに手こずっているようだった。
 腕にひどい傷を負っている。

 あんな奴、アージュナー人だったら一撃でやれるはずなのでは?
 メイリーンは不信に思ってさらに近寄ると、ゾッとして一瞬体の動きを止めた。

 そのプルドズビ人は異様な姿をしていた。
 一つの下半身に二つの上半身が付いていたのだ。そして不気味なほど動きが速い。

「助太刀します!」

 メイリーンはアージュナー人に声をかけると、戦闘に加わった。
 ちょこまかと動き回る異形のプルドズビ人を目で追い、進路を読むと、一気に太刀を振り下ろした。
 二股になっている上半身の右側をすっぱりと斬り落とすことができたが、驚くべきことに、すぐに代わりの上半身がそこから生えてきて、斬ったはずのプルドズビ人が元通りになってしまった。

「なんだこいつはっ!」

 メイリーンはアージュナー人の無事な方の腕を引き、プルドズビ人と間合いを取らせた。
 数メートル離れると、プルドズビ人もじっとこちらを睨みつけながら動きを止めた。

「メイリーン殿。」

 いつのまにか背後に太一がいた。

「メイリーン殿。奴はこのごろ噂にあった変異体です。二股の上半身は片方だけ斬った場合、0.3秒で復活します。その前にもう片方を斬らないと死にません。」

 0.3秒。幸いメイリーンは二刀流だ。

「太一、了解だ。彼を衛生班の元へ頼む。」

 メイリーンは太一に傷を負ったアージュナー人を任せると、地を蹴って二股のプルドズビ人の懐へと飛び込んで行った。
 二振りの太刀を同時に振り下ろして、プルドズビ人がよける前に二つの頭を斬り落とした。

 ドサッとプルドズビ人が地面に倒れて死んだ。

 班長が駆け寄って来て、なんだこいつは…とつぶやいた。

「プルドズビ人の変異体です。0.3秒以内に両方の頭を斬り落とさないと死にません。」

「噂では聞いていたが、本当に存在したとは…。いまのところ、こいつは君にしか切れないな。同類を優先的に見つけて片っ端から斬ってくれ。」

「了解。」

 メイリーンはプルドズビ人が群れを成している領域に突撃し、変異体を見つけては斬った。
 ざっと見た感じ、変異体は数十匹に一匹ほどの割合でいるようだった。

 それから数時間。メイリーンは休みなしに異形のプルドズビ人を斬りまくった。

 溢れるほどいたプルドズビ人もやがて目に見えて減っていき、ついにアージュナー人と人類は「トの三十地区」奪還に成功した。

 班長もこの戦いを生き残った。
 メイリーンと太一は彼が部下を埋葬するのを手伝った。

 本陣に戻るとジョンソンがメイリーンを出迎えてくれた。

「本当に一人で三十人分の仕事をする女子だったとはな。アージュナー人が呼んでいたぞ、褒美でもくれるんじゃないか。」

 途中で太一が持ってきた謁見用の着物に着替え、メイリーンは彼女を呼んでいるというアージュナー人のテントへと向かった。
 テントへ入ると、メイリーンを呼び寄せたのは、戦場で助けたアージュナー人だった。

 腕の傷は治療されており、命に別状はないようだった。

 アージュナー人は、シュライダーと名乗り、メイリーンに命を助けてもらったお礼を言った。
 そして、彼女に座るように向かいの椅子を指示した。

 メイリーンは椅子に座ると、シュライダーの顔をまっすぐ見た。

 アージュナー人は地球人の価値観からすると、大変美しい顔立ちをしている。体格も見た目もほぼ地球人と同じなのだが、ただ一つ異なっているところがある。

 彼らの額には第三の目があったのだ。

 メイリーンは吸い込まれるようにその目を見つめていた。

「君の噂は聞いていたよ。二本の刀を持ち、驚くほど強い人間がいると。まさかその君に命を助けられるとは思わなかった。ぜひ、私の妻になってほしいのだが、どうだろうか。」

 えっ、とメイリーンは驚きの声を発した。
 アージュナー人と地球人の間には、もちろん子供はできないが、結婚するケースは珍しくない。むしろ、地球人はアージュナー人と結ばれることを望むものが多く存在する。
 ただ、メイリーンのような戦闘要員が求婚されることはほとんどないのだ。アージュナー人は戦争と家庭を完全に分けて考えており、自分の家族を戦闘に出すことはまずない。

「結論は急がない。知ってのとおり、我が妻になった暁には、君は戦闘から外される。君のような優秀な戦士は自ら戦場を退くことは難しいだろう。もしも戦場に生きることが君の本来の望みでないのであれば、我が妻になることで解放されるであろう。」

 メイリーンは答えを出さないままシュライダーのテントを出た。

 少し先で太一が駿流を連れて待っていた。
 無言で愛馬にまたがると、メイリーンは振り返らずに家路へとついた。

 戦闘から帰ってからのメイリーンの日課は決まっている。
 まずは風呂に入り、刀の手入れを済ませると、食事の支度をする。食事は太一の分も作り共に食べる。

「太一、おまえ、按摩はできるか?」

 食事のあと、メイリーンからの意外な申し出に太一は少々驚いたようだった。露払いの太一はもちろん按摩もできた。頭首の依頼には何でも応えられるよう訓練されているのだ。
 だが、これまで、メイリーンが按摩を依頼することは一度もなかった。

「今日は変異体を斬りまくった。体中が痛いのだ。」

 メイリーンはそう言ってうつぶせに寝転んだ。太一は黙って主人のマッサージを始めた。

「メイリーン殿、アージュナー人のテントで何かあったんですか?」

 それを聞いてメイリーンはクスクス笑いだした。

「太一は何でもお見通しだな。あのアージュナー人に求婚されたんだよ。」

 太一の手が止まった。

「安心しろ、まだ返事はしていない。」

 太一がほっとしたのが伝わって来た。再びマッサージが始まる。

「アージュナー人と結婚するということは戦闘を離れることを意味する。私はその人生を想像してみたんだよ。それもいいかもしれないと一瞬思ったが…」

 太一の手が止まる。

「だけど、戦わないメイリーンはメイリーンではなくなる。私はそれがとても恐ろしかった。戦場で死ぬのよりもずっと恐ろしい。だからきっと私は戦うことを選ぶのであろうな…。」

 太一は何も言わなかったが、メイリーンが戦場を離れることで自分はお役目ごめんになる恐怖と、このまま戦闘に参加し続けて、いつしかメイリーンを救えない日がくるのではないかという恐怖に震えていた。

 メイリーンはそれを背中で感じていたが、彼女も何も言わなかった。
 露払いとの関係とはそんなものだ。

 きっと明日になれば、再び彼女は戦場へ赴くだろう。プルドズビ人を斬って斬って斬りまくる。
 それが彼女の人生なのだから。

(おわり)


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