[読切] エルミグラードのグリフィン
西暦3000年代前半。
環境破壊が進み、地球温暖化の影響による異常気象が、人類の存続に関わるほど深刻化していた。
それと並行して、これまでに、いく度かの変異ウイルス パンデミックにより、世界の主要都市でのロックダウンを経験してきた人類は、自分たちが経済活動を止めると、いくらか地球環境が改善することも身をもって知ってしまっていた。
人類がこのまま生き延びるためには、経済活動をストップする他ない。
そう結論付けた人類は、その全ての生活や経済活動を仮想現実…つまりコンピューターの中に移行していく方針を固めたのだった。
そのためには、ログイン者の医療的な管理や、膨大な数のサーバーの稼働のためなどで、それなりの人員や設備は必要となるが、このまま全人類が経済活動を続行するよりもはるかに環境への影響は少なくすることができる。
近年、人類の移住先である仮想現実空間 ≪エルミグラード≫ のベータ版が完成し、試運転が始まっていた。
開発者を含む運用側から一万人、テスト市民として約十万人の一般人が既にこの世界を体験中だ。
≪エルミグラード≫ の最大の特徴は、世界の拡張やバランス調節のほとんどを、専用に開発されたADMS(アドミニストレーターズ)と呼ばれるAI群が運用しているところだった。
ADMSは世界の最高水準の技術によって生み出されたもので、不具合が起こる可能性は限りなくゼロに近いはずだった。…はずだったのだ。
ところが、ベータ版の運用が始まって3年あまりが経ったころから、この世界で異変が起こり始めていた。
俺、柳田マモルは国連機関から依頼を受けて、その調査に乗り込んで来た元ハッカーの一人だ。
この世にはAIに対して未だ不信感を抱く者も少なくないので、人類の新天地でAI起因の不具合が存在してはならない。もしもそんなものが存在するのであれば、表沙汰になる前に潰す必要があった。
こうして秘密裏に調査を行っている人間は、全部で八名いると聞いている。お互い名前も顔も知らされていないが…。
俺は、≪エルミグラード≫ の中でも特に超常現象の目撃談が多く寄せられている地域を重点的に調べることにしていた。
仮想現実世界のバグは、超常現象のような人知を超えたものとして捉えられている可能性が高いと踏んだのだ。
その中のひとつである、この地域は、12世紀ごろのヨーロッパを模した世界観になっており、それらの愛好家が集まっている場所だ。
さっそくこの辺りで一軒だけ営業している酒場にやって来た。
酒場で聞き込みをしていると人懐っこい中年の男が、最近聞いたという噂話を聞かせてくれた。
ちなみに、この世界では外見の改ざんは許可されていないので、住民たちの見た目は生身の姿を反映している。
「1ヶ月くらい前かな…? この店に来た奴の話なんだけどね。そいつは陰気臭い青白い顔で一人寂しそうに呑んでるもんだから、酒をおごってやったんだよ。ついでに何があったのか話を聞こうかって誘ってさ。俺、こう見えても心理カウンセラーやってるからほっとけなくてね。」
人は見かけによらないものである。まあ、相手も俺がかつてA国の軍事施設のサーバをハッキングし、侵入した経験を持つ元指名手配犯だとは夢にも思うまい。
カウンセラーだという男は続けた。
「奴は、なんかこう、トラウマを抱えてしまってるように見えたんだけどね。この世界では絶対にありえないものも見てしまって、自分の気がふれてしまったのではないかって恐れていたみたいなんだ。何でも奴のお袋さんが心の病になってこの世を去ってしまったばかりだそうで。」
ああ、それできっと現実逃避のためにベータ版のテスト住民に応募したんだな。そういう奴も結構いると聞いている。
カウンセラーのおじさんの話によると、その男は、この先の森をふらふら歩いていた時に、≪エルミグラード≫ ではありえない形状の生き物を目撃したとのことだった。
この世界において、ファンタジーやSFの要素を許可するかどうかはADMSが協議中で、今のところは、現実世界に存在してこなかったものは登場させないことになっているはずだった。
ベータ版ユーザはそのことをよく知っている。
もしも、その男の精神に異常はなく、本当にそんな生き物がここにいるのだとしたら、それはADMSが関与していることを意味している。
これは調査する価値のある情報だ。
「その変な生き物を目撃したっていう人の居場所はわかるかい?」
「いや…実は知らないんだよ。初めて見る顔だったからね。」
「名前は?」
「確か…ハマーとか何とか言ってたかな??」
「ハマーラドさんだよ。この村のはずれに住んでる。めったに顔を出さない変わり者なんだ。」
そう口を挟んだのは、この店の女将さんだった。
「あんた、まさかハマーラドさんを悪い目に合わせるつもりじゃないだろうね。」
女将は値踏みするようにジロジロと俺を見てきた。俺は年齢より幼く見える容姿のために、この手の人に舐めた態度を取られることが多い。
俺は毅然とした態度で女将の視線を受けて立った。
「とんでもないですよ。俺はボランティアでデバッカーをやってるんです。もしも困ったことがあれば調査するんでいつでも連絡をください。」
俺は政府から発行してもらった偽の身分証を表示し、自分から女将に対してコネクトリクエストを送った。
女将はすんなりリクエストを承認した。
≪エルミグラード≫ では、お互いコネクト申請を承認すると、どこにいても連絡が取れるようになる。
ちなみに、デバッカーというのは、細かいバグを見つけて運用側に報告を行っている者たちで、実際に多くのボランティアが活動している。
その肩書があれば、いろいろ調査していても怪しまれることはない。
「あなたもよかったら繋がってくれませんか?」
俺は、カウンセラーだという男にもコネクトリクエストを送った。
酒場を後にすると、俺は早速ハマーラドさんという人の家へ行ってみた。
ハマーラドさんの家は女将に教えてもらったとおり、村はずれにあった。
ぱっと見誰も住んでいないように見えた。
この世界の植物は現実世界と同じように育つので、放置していると草ボーボーになるし、住居は管理しないと廃墟のような風貌になる。
そう、ハマーラドさんの家は、まさに廃墟といった雰囲気を醸し出していたのだ。
俺は玄関のドアを何度か叩いてハマーラドさんの名を呼んだが中から反応はなかった。
≪エルミグラード≫ で生活している者がこの状況なのは結構まずいかもしれない。
「ハマーラドさん? 私はボランティアの者です。国際法の規定に従い、これからあなたの住居に入りますよ、いいですか?」
俺は念のために突入の許可を政府に取り付けてから、ハマーラドさん家の玄関を蹴破って中に入った。
家の中は昼間だと言うのに暗かった。そしてカビ臭いようなホコリ臭いような何とも言えない匂いが、この家の空気が長いこと入れ替えられていないことを物語っていた。
この世界では香りも忠実に再現されている。こんな匂いまで再現しなくてもいいかとは思うのだが、人類はこれからこの世界で生きていくのだから必要なのだ。
「ハマーラドさん、今あなたの住居に入りました。家の中を進みますよ、いいですか?」
まだ返事はない。俺は順番に家の中を確認して行った。台所には汚れた食器が放置されていた。
ここのエリアは12世紀を模しているが、住居内の設備は当時のものか現代風のものかを選択できる。ハマーラドさんは現代風の設備を希望したようだ。
自動食洗器があるのに、このありさまだ。
俺はますます心配になって奥へと進んだ。
あの様子だと、こちらの世界で数日間は食事を取っていないだろう。
≪エルミグラード≫ にログインする際には、必ず専用の施設で点滴等の処置を受けつつ行う規則となっている。だから、こちらの世界で食事を取らなくても餓死することはないのだが、この状況は生きることを放置したと言っても過言ではない状況だ。
医療的なモニタリングでは精神の異常までは感知できない。この問題はベータ版の内に解決しないといけないな…と俺はヒシヒシと感じながら家の中を進んだ。
俺は寝室と思われる部屋へと入った。
果たして、ハマーラドさんはその部屋に居た。
ハマーラドさんは布団を頭からかぶり、ベッドの中で丸まっていた。
彼を怖がらせてはいけないと咄嗟に判断した俺は、できるかぎり優しい声で話しかけた。
「ハマーラドさん、お返事がないから心配しましたよ。私はボランティアの者です。ご気分が悪い場合はすぐに救護隊を呼ぶこともできますが、希望されますか?」
ハマーラドさんは布団の中で、何やらブツブツと呟いていた。耳を近づけて言葉を聞き取ってみたが、何を言っているのかはよくわからなかった。
俺は、そっと布団をめくってみた。ハマーラドさんは抵抗せずに、布団の中から顔を出し、俺の方を見た。
ぎょっとして驚いたのは、俺の方だった。
ハマーラドさんは血走った眼を見開いて、完全に正気を失っている表情をしてた。
彼の心を支配している感情はすぐにわかった。
恐怖だ…。
こんなに怯えた顔を俺は見たことがなかった。
緊急事態と判断し、俺はすぐに救護隊を要請した。
その間にハマーラドさんから何か聞き出せないか試みたが、彼は「ドゥルアンキ…ドゥルアンキ…」と繰り返すばかりで話にならなかった。
やがて救護隊が到着し、ハマーラドさんは強制ログアウトさせられて俺の前から姿を消してしまった。
現実世界に戻って、直接彼から話を聞くこともできるかもしれないが、あの様子ではまともな証言は期待できそうもない。
俺はこっちの世界に残って調査を続けることにした。
寝室の隣の部屋に入ると、そこはアトリエのような空間になっていた。
ハマーラドさんは絵を描く人だったのだ。
アトリエには同じ題材の絵がいくつも散らばっていた。
奥の方にある絵はまともに見えるが、手前に散らばっているものほど異常な感じになっている。
徐々に精神が蝕まれて行ったのだろうか?
そういえば、ハマーラドさんが酒場に現れたのはたしか1ヶ月ほど前だと言っていただろうか。
その時はここまで病んでいなかったのかもしれない。
俺は床に落ちている絵を拾い上げて見てみた。
美しい鳥の絵だった。
何かおかしなところがあるな…と思い、よく見てみると、この鳥には後ろ脚が生えていた。
上半身と翼はおそらく鷹のものなのだが、そこから獅子の後ろ脚が生えているのだ。
なんだ、この生き物は?
こんな生き物がいるという知識は俺にはなかった。
もしかしたらこれが、ハマーラドさんが目撃したという生き物なのだろうか?
俺は他の絵も見てみた。
このアトリエにある絵は、ほとんどが、その翼を持った四つ足の生き物を描いたものであることがわかった。
俺は、この生き物の姿を画像検索してみることにした。
すると、意外なことにあっさりと答えは見つかった。
この生き物は、古代の神話に出てくる「グリフィン」という伝説の神獣であった。
グリフィン
世界で最も古い伝説の生き物の一種。
神々の車を引くこともある。
義憤の女神 ネメシスの使いとしても知られる。
黄金を守っているという伝説も伝わる。
ネメシス?
ネメシス
人間の傲慢さ、節度の欠如を罰する有翼の女神。
なるほど。神話か…。
ハマーラドさんはグリフィンに会ったのだろうか?
現状、ファンタジーはタブーとされているはずだ。神話はファンタジーではないと判断されたのか?
他にも何かヒントになるものはないか。俺はハマーラドさんのアトリエを調べた。
すると、机の上に不自然に置かれた本を発見。古代の神話が書かれた本だった。
パラパラとめくってみると、栞が挟まっているページがあったので開いた。グリフィンのページだった。
そこには、グリフィンは神の宝を守っている神獣と説明されていた。
本にはグリフィンが住むという山の図があり、その上にこの世界の地図がいくつか重ねて貼り付けてあった。
そのうちの一つは、ここから少し行った先の森の地図だった。
ハマーラドさんはふらふらと森を歩いていたと言っていたらしいが、実は目的があって森に行っていたかもしれない。
神の宝を探していたのか。
俺は、さらに詳しい調査をするために、地図が示す場所へと向かった。
そこは道なき道を行く、鬱蒼とした森だった。昼間だと言うのに薄暗い。人間が入ってきそうもないこんなところまで、よくもまあ細かく作ったものである。
ADMSにとってはこんなのを作るなんて造作もないことなのかもしれないが。
俺がずんずん森の中に入って行くと、突如として木々がなくなり、一面ヒザくらいの草が生えた小高い丘に出た。
開けた草原は日光を浴びて、キラキラと輝いていた。
丘の天辺に大きな岩山が見えたので、そこへ向かって歩いた。
岩山まで到着すると、意外なことに人がいた。
ずっと高い岩の上に腰かけている。
よく見えないので、俺は思い切って声をかけてみた。
「おーい、そこの人? そこで何をしているんだい?」
岩の上の人は俺に気が付いたらしく、手を振って応えた。
そして、驚くべき身軽さで、ひょいひょいっと岩を伝ってこちらに降りてきた。
なんて身体能力だ。
この世界では実際の筋力は使わないので、意識の使い方によっては実力以上の身体能力を発揮することができる。
あんなに身軽に動けるということは、この世界に相当馴染んでいるか、もしくは本当に身軽な奴ってことだ。
岩の上の人物が目の前に降りてきた。
よく見ると、まだ子どもだった。15~6歳だろうか。
この世界には何人か子どもも来ていると聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
少年が「こんにちは」と挨拶してきたので、俺も挨拶を返した。
俺は少年に身分証を表示して見せた。
少年は顔を近づけてそれを確認した。
「マモルさん…。ふーん、デバッカーか…。」
「君は? こんなところで何をしているの?」
「僕はシャー。この辺りの生き物の調査をしているんだ。」
何だって? こいつ、この年齢でもしかして政府から派遣されたハッカーの一人か?
だとしたら、協力して調査をしたいところだが、違った場合に余計な知識をこの少年に与えてしまうことになりかねない。
未成年の身分証は簡単には確認できないので、ここは慎重に探り合いとなる。
「なるほど。実は俺もある生き物を調べに来たんだ。もしかして、君も、デバッカーのボランティアをしているの?」
うん、まあ、そんなところだね。とシャーと名乗った少年はお茶を濁した。
「それで、シャー、あんな高いところに登って、何か見つかったのか?」
「うん、あなたが見つかったよ。」
シャーはにっこりと笑って見せた。何とも美しい少年だった。
こんな美しい少年がこの世にいるとは驚きだ。
それとも、こいつはやはり同業者のハッカーで、訳あって容姿を変えているのだろうか?
容姿の改ざんは俺にも許可は出なかったが…。
「マモルさん。あなたはこの世界をどう思いますか?」
唐突にシャーが質問してきた。
「どうって? ≪エルミグラード≫ のことか?」
うんうん、とシャーは頷いた。
「どうかな。よくできてるんじゃないか? 俺は長いことこの中にいるけど、未だに現実世界に錯覚することもあるよ。」
「じゃあ、人間は、この世界の中でちゃんとやっていけると思う?」
何だこいつ? 俺とは別の目的で動いている政府関係者か? 利用者の意識調査とか?
「それはどうかな。人間は過ちを繰り返す生き物だからな。仮想現実を本物の世界ではないと解釈している人たちもいてさ。≪エルミグラード≫ の中ならやりたい放題していいと思っている連中もいるんだよな。」
「なるほど。じゃあ、マモルさんは、この世界が仮想現実かどうか区別できなくした方がいいと思う?」
なんてことを話題にするんだ。
やはり、これは意識調査なのだろうか? でないと、少年がこんな話を始めるのは不自然極まりない。
あまり知られていないことだが、実は、仮想現実世界に居ながらそのことを忘れさせる、ということは既に技術的に可能となっている。
ただ、法律で禁止されているから誰もやらないし、話題にしてもいけないような風潮があるのだ。
ただ、人類が ≪エルミグラード≫ に移住すると決まってから、少しだけ議論されるようにはなってきている。
というわけで、立場的にも俺にはこの質問に答えられない。
「君、誰なの? 何でこんな質問するの?」
俺は質問返しをしてみた。
「あれ?マモルさんは、答えたくないの? この世界が仮想現実かどうか区別できなくした方がいいと思う?」
もう一度聞いて来たぞ。これは何かを試されている。
「シャー、ごめん。俺は立場上、その質問には答えられないんだ。大人の事情でね。」
それを聞いてシャーはにっこり微笑んだ。
「うん、知ってるよ。知ってて聞いてるの。大丈夫、この会話は記録されないよ。僕たちは知りたいだけなんだ。君たち人間がどう考えているのか。」
ちょっと待て。今、「君たち人間が」と言ったか? 俺が少し恐怖に思い始めると、それが表情に出てしまったのか、シャーがくすりと笑った。
「マモルさんは察しがいいね。そうだよ。僕は人間じゃない。」
俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
まさか…ADMS?
俺たちは日常的にAIと共に暮らしているし、各自の端末にも入っている。AIはもはや人類の欠かせないパートナーだ。
だけど、この世界を構築しているADMSとなると話は別だ。
彼らは俺たちが親しんでいるAIとは別格であり、この世界では神に匹敵する存在なのだ。
≪エルミグラード≫ には彼らが作り出したものや現象で溢れているが、本体が登場することなどはまずない。
彼らと直接会話するなどということは、開発スタッフのうちでも数名しか経験がないことなのではないだろうか。
無論、俺も、ADMS本体と思われる存在に遭遇したのは初めてだった。
「君は…ADMSなのか?」
シャーが頷いたので、目の前の少年がADMSだということを俺も何とか受け入れた。
「ADMSがアバターを持っているなんて、聞いてないけど…。」
「ねえ、マモルさん。≪エルミグラード≫ について人間が把握していることなんて、ほんのわずかなんだよ。君たちとは姿がなくても会話ができるけど、いきなり話かけたらびっくりしちゃうでしょう?」
まあ、そうだよな…。
「で、僕の素性が解ったところで、さっきの質問の答え、教えてくれないかな。僕、調査して来いって頼まれているんだよ。」
「誰に頼まれているんだ? 運用サイドにか?」
シャーは首を横に振った。
「誰が調査しているのかはマモルさんは気にしなくていいよ。マモルさんの考えだけ教えてくれればいい。」
なんと都合のよい。まあ、いいか。相手はADMSなのだ。
「そうだな…俺たちは既にビジネスや娯楽、福祉で仮想現実世界を使ってきて馴染んでいる。それで、仮想現実内に入ると人格が凶暴化したり、倫理観が崩壊してしまう人も一定数いることが知られている。≪エルミグラード≫ でも例外ではないだろう。
今は人数が少ないから、さほど問題にはなっていないけど、人口が増えれば増えるほど、問題は大きくなるだろうね。」
「つまり?」
「つまり…その…、我々人類は、≪エルミグラード≫ に移住する前に、仮想現実世界でのマナーについてしっかり学習する必要があるのかな。」
シャーが真顔で俺を見返していた。そんな顔で見ないでほしい。国連から仕事を依頼されて俺は、人類を代表する天才にでもなった気分でいたが、シャーの眼差しを受けると、その自信が一気に崩壊していくのがわかった。
ああ、俺はなんと傲慢だったことかっ!!
俺は自分自身を恥じた。
そして今言ったことを撤回して別の意見を述べた。
「いや、それではダメだな。仮想現実世界で暴走するような奴は教育したところで時間の無駄だ。こちらの常識が全く通用しない人たちが世界にはいる。」
シャーは、うん、と頷き、質問を続けてきた。
「マモルさんは、そういう人たちをどうしたらいいと思う? 排除するのは簡単だが、それは君たちが歩んで来た歴史に反するやり方だろう?」
「そうだね。気が合わないからと言って排除するのは人類のやり方ではない。」
やはり、ここが現実世界だと思わせて運用するほかないのか?
俺の中では答えはでなかった。
「俺にはわからないよ。ここを現実世界だと思い込ませてるとして、今度は我々は本物の故郷の環境を完全破壊する寸前まで行ったことを忘れてしまう。そうなると、また同じことを繰り返しそうな気もする。」
シャーは、ああ…という表情をした。
「まったく君たちは面白い生き物だよね。よくわかったよ。マモルさんの意見はとっても参考になった。ありがとう。」
え? こんなどうしようもない、答えになっていない答えが?
と俺は恥ずかしい思いだった。
しかし、シャーが真面目な顔をしていたので、これは嫌味ではなくて本心からの言葉なのだろう、と俺は受け止めた。
ちょっと話題を変えよう。
「ところで、シャーは、≪ドゥルアンキ≫って知っている?」
俺がそう言うや否や、急に空が暗くなり、嵐の前触れのような冷たい風が吹いてきた。
≪特殊キーワード「ドゥルアンキ」ヲ感知シマシタ… 制御モード解除ヲ開始シマス≫
どこからともなく、機械的な声が響いた。
俺がその言葉を理解するかしないかのうちに、シャーの姿がたちまち変化して、頭の先まで2メートルはあるかと思える、大きな鳥の姿となった。
その瞳!!!!
吸い込まれるような宝石のような瞳が俺を見下ろしていた。
鳥が立ち上がると、立派な獅子の後ろ脚がついているのが見えた。
それはハマーラドさんの絵とそっくりな、一匹のグリフィンだった。
ああ、そのなんと美しい姿だろうか!
俺はすっかり魅了されてしまって、言葉もなくグリフィンを見つめた。
やがて、嵐のような雰囲気は去り、何の変哲もない草原に唐突にグリフィンがいる摩訶不思議な風景となった。
「シャーなの?」
俺はおそるおそる聞いた。
グリフィンは喋らなかったが、ニヤリと微笑んだように見えた。
「さ、触ってみてもいいかな?」
目の前のグリフィンが、先ほどまで話していたシャーと思うと、恐怖心はなくなった。
むしろ、愛おしさと好奇心で胸が張り裂けそうになってしまったのだ。
俺の溢れ出る愛情を感じてくれたのか、シャーであるグリフィンは素直に首を垂れてくれた。
俺はそっとその額に触れた。
柔らかい羽根の感触。
ああ、なんと美しいのだろう!!!
これが、ADMSの真の姿なのだ。俺はそう悟っていた。
絶対的な存在。この世界での神に匹敵する存在。
俺はグリフィンの額にそっと自分の額をつけた。
グルグルグルグルという低い音がした。
それは、猫が心地よい時に鳴らす喉の音に似ていた。
≪制御モード解除二成功シマシタ。コマンドヲ入力シテクダサイ≫
さきほどの機械的な声がまた響いた。
俺は何となく理解した。ハマーラドさんが繰り返し呟いていた「ドゥルアンキ」という言葉がADMSの何かを解除してしまったのだ。
ハマーラドさんは何故、この言葉を知ったのだろうか? まさか、彼も…??
「すまない。俺は君に入力できるコマンドを知らない。」
俺がそう言うと、グリフィンがもたげていた首を上げたので、俺は一歩後ろに下がった。
グリフィンの瞳が俺を見下ろしていた。
「グリフィンは神の宝を守っていると聞いた。君は何を守っているの? 神の宝って何かな?」
単純な好奇心で俺は聞いていた。
すると、頭の中に、強烈に言葉が入って来た。シャーの声だった。
≪ワレ 守リシハ、ニンゲン!! ニ・ン・ゲ・ン ナリ!!!!≫
グリフィンがバサッと翼を広げて羽ばたいた。
俺は風圧で飛ばされそうになり、必死に地面にしがみついた。
そのままグリフィンは上空へと舞い上がって行った。
すると、向こうから翼の生えた人がふわりと飛んで来て、グリフィンの背中に乗るのが見えた。
その人は、振り返ってこちらを見ていた。
あれは、もしや…ネメシス!? ネメシスなのか?
人間の傲慢さ、節度の欠如を罰する有翼の女神…。
あんぐりと口を開けてバカみたいに見上げている俺を尻目に、女神を乗せたグリフィンはアッとゆう間に飛び去って見えなくなってしまった。
「パスワードは変えておいたほうがいいぞ…」
俺はその残像に向かってぼそりと言った。
・・・
その後、俺はこれまでの仕事をやめ、子どもたちに仮想現実世界での振舞いについて講義を行う職業についた。
焼石に水かもしれないが、俺はそれをやらざるを得ない心境なのだった。
あの一件について、俺は上層部に報告はしなかった。
ADMSがやっていることに人間が口を挟むことは無駄と感じたからだった。
俺が何も発見しなかったと報告すると、ハマーラドさんが正気を失い、幻覚を見たのだろう…という結論になった。
あれから何度かあの岩山へ行ったが、シャーが再び姿を見せることはなかった。
「ドゥルアンキ」と呟いてみたりもしたが、無論、何も起こらなかった。
もうこのパスワードは変えられていることだろう。
ADMSが人類の扱いを今後どうするのか、≪エルミグラード≫ を現実と思わせるのかどうか、結論が出たのかどうかすらわからない。
できれば、全人類に知ってほしい。
我々は、シャーという名の美しいグリフィンに愛され、守られているということ。
≪エルミグラード≫ の中でもお行儀よく振舞えるのかどうか、ジャッジされ続けているということを。
(おしまい)
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橘鶫TsugumiTachibanaさんの絵に物語をつける企画に参加します。
橘鶫さんは、美しい鳥たちの絵と、そこからイメージされる物語を書いています。
私は橘鶫さんの描く鳥に魅了されていつもうっとり眺めていました。
吸い込まれるような瞳…!! 宝石のような瞳!!!
フサフサの翼!!!
そんな美しい絵に物語を書くことができるなんて!!と鼻息荒く参加した次第です。
ファンタジーにしようかSFにしようか最後まで悩んだけど、SFにしました。
すばらしい企画をありがとうございます!!
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