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カメラやレンズはなんでもいい。撮りたいものをランダムに撮ろう

写真を始めてから12年、初めて一眼レフを買ってから10年。

その間ずっと「撮りたいもの」を撮り続けてきた。

飽きっぽくて何をやっても長続きしない私が、10年以上1度も飽きることなく「撮る」を続けてきたのは結構すごいことだ。

といっても、使ってきたカメラの種類はさまざまだ。

写真を始めたころは手軽さがウリのコンデジや「写ルンです」がメイン。

鳥などをガチ撮りしていたころは動体撮影に強い一眼レフがメイン。それなりにレンズもそろえた。

そして少々カメラ熱が冷めた今は、手軽に持ち歩けるスマホがメイン。

でも気分によっては複数のカメラを持ち歩くこともある。

「この被写体を撮るからこの機材でなければ」といったこだわりはあまりなく、たまたまその時見た風景をその日の気分で持ち出した機材で自由気ままに撮っている。

被写体も実にさまざまで、その時撮りたいものをランダムに撮っている。

風で舞い散る桜吹雪やその向こうに見える富士山を

道端の草木や近所を流れる小川のきらめきを

水辺で戯れる水鳥や木々の間でさえずる小鳥を

獲物を狙って一直線に急降下する猛禽を

夏の木漏れ日が漏れる木々の緑を

悠々と雲が流れる青空を

怖いほどに赤く染まった夕焼けを

夜の跨線橋から見た街の明かりや夜汽車を

ただ思いのままに撮って10年余。

だからこそ、「撮る」を飽きずに続けていられるのだろう。

「撮る」は楽しいことばかりではない。

そもそも会心のショットなどめったに撮れないのがお約束。シャッターを切ってもそのほとんどはボツ写真だ。

経験値と撮影技術が上がるほどボツ写真は増えて自己嫌悪。自分など足元に及ばぬほどの名手がいることも思い知る。

現場では機材マウンティングや女性差別に出くわすこともしばしば。

写真愛好者ワールドのどろどろした一面もたっぷり堪能し、一時期全部機材を処分しようかと思ったこともある。

それでもカメラを一度も手放さなかったのは、写真という形で自分が見た風景や自分にとって大切な人や大切な思い出を残しておきたいと思ったから。

カメラは後々まで残しておきたい一瞬を切り取り、忘れてはならない思い出を形に残してくれる貴重な道具。それを使って残しておきたいものが私にはあった。

二度と帰ってこない「今」という時間、

明日はもう会えないかもしれない大切な人との思い出、

そして「今」を確かに自分が生きている証だ。

人の脳は大切な人や思い出すら薄れさせてしまうが紙の写真やデジタルデータは保管がよければ長く残る。

残したくない写真を撮らない、撮らせない強い気持ちがあれば後世まで恥になる写真が残ることもないだろう。

そんなカメラはやっぱりすごい。

そう思ったから、今もなおカメラを手放せない。手放すつもりもない。

そんな私がこれからカメラを始める人に伝えたいのは、

「外野に何を言われても自分のスタイルで撮り続けてほしい」

というメッセージだ。

カメラやレンズは好きなものを自由に選ぼう。

とりあえず手持ちのスマホだってけっこういい画が撮れる。

ちょっとガチ撮りしたければ一眼レフもあり。

予算があれば高い機材を買ってもいい。

ただし家計が傾かない程度の予算を組んだほうがいいかもしれない。

家を買うほどのお金を機材につぎ込むのはさすがにまずい。レンズ沼ははまると家計が破綻する。

それさえ気をつければ写真は長く楽しめるライフワークとなる。

なにも気負う必要はない。今持っているカメラを使って明日から目に留まったものをランダムに撮ってみよう。

カメラは本当に楽しいよ。

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