見出し画像

父親からの性的虐待で逝った女性「佑月(仮名)」の場合。part6

さて、ここからは佑月と私の元夫とのどうにもならない不毛の闘いについて書いていく事になる。

「袖すり合うも他生の縁」は、道で見知らぬ人と袖が触れ合うようなことも全て前世からの因縁であることから、どんな些細なことやちょっとした人との関わりも決して偶然ではなく、何かのご縁によって起こるという意味である。
人をなぜ憎んではいけないのか?それは様々なトラブルを引き起こすことになるからである。人を憎んでいる人が、「幸福」であるということがあるだろうか?私はそんな人を見たことがない!憎しみは憎しみを呼び、人は憎悪によって破滅する。

佑月は、一緒に仕事をしようとなった時に離婚した。もともと夫は彼女に対してモラハラを長年繰り返していた。佑月を精神的に追い詰める行為や嫌がらせの言葉をかける状態を長年に渡って続けていたのだ。にもかかわらず、彼は「マスオさん」だったのだが、離婚後も佑月の家に住み続けた。佑月が逆に実家を出たのである。なぜそういったことが可能だったかおわかりだろうか?
佑月を自分の夫に差し出し、佑月を虐待した佑月の母親の夫は佑月の母親のお気に入りだったからである。

彼女は私の夫を追いかけまわした。夫は嫌がり、彼女に対して別れた佑月の夫のように罵詈雑言を並べ立て罵る。そうすると今度は、ショッピングモールのテナントとして入ってる店前で泣き叫び、夫が佑月を虐めているという演出をし、警備員がやってきて、物見遊山の人だかりができるということの繰り返しだった。
夫は、社長になりたがり財布を握ろうとした。経営の才覚は全くなく放漫経営、資金繰りが悪化すると失踪する。私が何とか経営を立て直した頃に何事もなかったかのように戻ってくる。そんなことが、何度もあった。そのたびに、私も佑月も一晩中探し回ることが多々あった。
最後に失踪した時に私は探さなかった。探さないことでこの争いに終止符を打つことがやっとできた。5年もかけて。佑月が生きていけたのは私の夫の存在が大きかったのだろう。追いかける存在を失って2か月後に、佑月は首を吊った。

本当に死んでしまう3年前に佑月は自殺を図ろうとしていた。その日は、連絡が取れずに私は何度もメールを入れていた。深夜、佑月は私の家にやってきた。そして開口一番「せっかく気持ちよく死のうと思っていたのに、私がメールをガンガン送ってくるので死ねなくなった。どうしてくれる?」と怒ってきた。そう、本当はずっと前から自分で命の灯を消そうとしていたのに、私は佑月に「生きろ!生きろ!」と言い続けたことで彼女の決心を鈍らせていたことを今になって痛感するのだ。そして、今度は本当に佑月は自殺を決行した。

part7に続く

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?